平成27年5月21日(木)
五月十六日夕方、
堺で若い人でつくる自衛隊協力会で国防問題を語った。
その話が終わってからの懇親会で、一人の参加者が、
「ぼく、大阪市内なんですが、『都構想』の賛否どうしようか迷っています」
と言うので、
「迷ってはならん、断固反対せよ」
と言った。
あの投票は、大阪市を解体して区にするか否かの賛否を問うものだ。
賛成多数なら大阪市がなくなるのだから、旧大阪市民の支払った税金は、堺市が使えることになる。
堺市としては、おおやれやれ、ということであるが、
大きな経済力のある単位としての大阪市の解体は、日本経済に大きなダメージを与えるだろう。
二重行政解消というのが彼らの芸能プロダクション的「売り」だが、
何が二重で何が二重でないのか。
大阪市立大学と大阪府立大学があるのが二重で税金の無駄か。
そうなら東京六大学で野球の大会をしているのは六重の無駄か。
かつて「仕分け」に熱中して各種制度の削減をしていた民主党の無責任な馬鹿と同じ馬鹿が、
こんどは大阪市解体に熱中していると思えばいいのだ。
五月十七日の日曜日の午後、
東京で西村塾が開かれ、一時間余、現在の状況について話した。その最後に、
「大阪では、『都構想』で騒いでいる。今日の大阪市民の投票結果は、反対多数で否決だとみている」と述べた。
深夜、大阪に帰ると「都構想否決」との報道があった。
昨年の冬、雪の東京で都知事選挙があった。
元総理大臣の細川護煕と小泉純一郎が、「原発反対」を掲げて選挙運動をしていた。
思えばこの二人、ポピュリズムの象徴だった。
細川護煕は、改革、改革、日本維新を掲げて「小選挙区制」を実現した。
小泉純一郎は、日本をぶっつぶす、構造改革、郵政民営化を掲げて、その民営化を実現した。
何故、これらが実現したのか。
それは、一年前に原発反対を叫んでいた彼らが、それぞれ同じ手口で、
「改革をすればバラ色の未来が開ける」、
「小選挙区制はその改革である」、
「構造改革は郵政民営化であり、郵政民営化は構造改革である」
と叫んで民意をそこに流し込んだからである。
そして、・・・、何かいいことがあったのか。
小選挙区制では、選挙の度にチルドレンが泡のように生まれて政治が劣化している。
郵政民営化で、何かいいことがあったのか。
田舎の郵便局が無くなったのがいいことか。
彼らに共通しているのは、この結果の点検には全く無関心で、
今度は東京都知事選挙で「反原発」を叫んでいたことである。
しかし、落選した。
東京都民は、彼らのポピュリズム的な手法に、
もはやかつてのような反応をしなかったのだ。
そこで、今度は西の大阪で起きたのが、
都構想騒動というわけだ。
大阪市長、大阪府知事そして府会議員と市会議員が、
大阪市を解体すれば、明るい繁栄する大阪が実現するという例の手法で大騒動したのに、
大阪市民は、それを否決した。
一年前の東京都知事選挙において、
二人のあの程度(低級)だった元総理が演出した「反原発」に東京都民が動かなかったとき、
ポピュリズムの衰頽の兆候を少し感じた。
一年後のこの度の西の大阪市民による都構想否決が、
我が国の政治におけるポピュリズム的手法の衰頽の始まりを示すものであることを切に願う。
何故なら、
ポピュリズムは、一種の
「全体主義」であり
「思考停止」であり
「マインドコントロール」であり
「ガン細胞」であり、
我が国を確実に滅ぼすからである。
明日は、猪苗代湖畔のホテルで、地元の有志の皆様と会合を開く。
そこで、田母神俊雄さんと二人で話をさせていただく。
主催者からは、私に四月八日と九日の、ペリリュー島における
天皇皇后両陛下の英霊の慰霊について話して欲しいとの要請があった。
そのご提案は、実に嬉しい。
何故なら、
我が国で一番大切なものは、天皇であるからだ。
我が国は、天皇を戴くから日本なのだ。
そうであるのに、郵政民営化にしろ都構想にしろ「仕分け馬鹿」にしろ、
論者には我が国が天皇を戴く国家であるとの認識はない。
彼らは、税金節約に関して国民受けすると思えば、
宮中の伝統的儀式を「税金の無駄使い」と言い出しかねない。
私は、尊皇の志なく、国家や地方の「制度」を解体すれば日本はよくなるという論者や
民主党の税金の無駄をなくすと言って「仕分け」に熱中していた馬鹿どもに、
嫌悪感を感じる。
私には、彼らは、旧来の制度をブルジョアジーのものとして、
それをぶっつぶしてプロレタリアの支配体制を確立すれば、
バラ色の未来が開けるというプロパガンダによって、
世人を惑わせ惨害をもたらした無責任なアジテーターの現代版に思える。
西村眞悟の時事通信より。
堺で若い人でつくる自衛隊協力会で国防問題を語った。
その話が終わってからの懇親会で、一人の参加者が、
「ぼく、大阪市内なんですが、『都構想』の賛否どうしようか迷っています」
と言うので、
「迷ってはならん、断固反対せよ」
と言った。
あの投票は、大阪市を解体して区にするか否かの賛否を問うものだ。
賛成多数なら大阪市がなくなるのだから、旧大阪市民の支払った税金は、堺市が使えることになる。
堺市としては、おおやれやれ、ということであるが、
大きな経済力のある単位としての大阪市の解体は、日本経済に大きなダメージを与えるだろう。
二重行政解消というのが彼らの芸能プロダクション的「売り」だが、
何が二重で何が二重でないのか。
大阪市立大学と大阪府立大学があるのが二重で税金の無駄か。
そうなら東京六大学で野球の大会をしているのは六重の無駄か。
かつて「仕分け」に熱中して各種制度の削減をしていた民主党の無責任な馬鹿と同じ馬鹿が、
こんどは大阪市解体に熱中していると思えばいいのだ。
五月十七日の日曜日の午後、
東京で西村塾が開かれ、一時間余、現在の状況について話した。その最後に、
「大阪では、『都構想』で騒いでいる。今日の大阪市民の投票結果は、反対多数で否決だとみている」と述べた。
深夜、大阪に帰ると「都構想否決」との報道があった。
昨年の冬、雪の東京で都知事選挙があった。
元総理大臣の細川護煕と小泉純一郎が、「原発反対」を掲げて選挙運動をしていた。
思えばこの二人、ポピュリズムの象徴だった。
細川護煕は、改革、改革、日本維新を掲げて「小選挙区制」を実現した。
小泉純一郎は、日本をぶっつぶす、構造改革、郵政民営化を掲げて、その民営化を実現した。
何故、これらが実現したのか。
それは、一年前に原発反対を叫んでいた彼らが、それぞれ同じ手口で、
「改革をすればバラ色の未来が開ける」、
「小選挙区制はその改革である」、
「構造改革は郵政民営化であり、郵政民営化は構造改革である」
と叫んで民意をそこに流し込んだからである。
そして、・・・、何かいいことがあったのか。
小選挙区制では、選挙の度にチルドレンが泡のように生まれて政治が劣化している。
郵政民営化で、何かいいことがあったのか。
田舎の郵便局が無くなったのがいいことか。
彼らに共通しているのは、この結果の点検には全く無関心で、
今度は東京都知事選挙で「反原発」を叫んでいたことである。
しかし、落選した。
東京都民は、彼らのポピュリズム的な手法に、
もはやかつてのような反応をしなかったのだ。
そこで、今度は西の大阪で起きたのが、
都構想騒動というわけだ。
大阪市長、大阪府知事そして府会議員と市会議員が、
大阪市を解体すれば、明るい繁栄する大阪が実現するという例の手法で大騒動したのに、
大阪市民は、それを否決した。
一年前の東京都知事選挙において、
二人のあの程度(低級)だった元総理が演出した「反原発」に東京都民が動かなかったとき、
ポピュリズムの衰頽の兆候を少し感じた。
一年後のこの度の西の大阪市民による都構想否決が、
我が国の政治におけるポピュリズム的手法の衰頽の始まりを示すものであることを切に願う。
何故なら、
ポピュリズムは、一種の
「全体主義」であり
「思考停止」であり
「マインドコントロール」であり
「ガン細胞」であり、
我が国を確実に滅ぼすからである。
明日は、猪苗代湖畔のホテルで、地元の有志の皆様と会合を開く。
そこで、田母神俊雄さんと二人で話をさせていただく。
主催者からは、私に四月八日と九日の、ペリリュー島における
天皇皇后両陛下の英霊の慰霊について話して欲しいとの要請があった。
そのご提案は、実に嬉しい。
何故なら、
我が国で一番大切なものは、天皇であるからだ。
我が国は、天皇を戴くから日本なのだ。
そうであるのに、郵政民営化にしろ都構想にしろ「仕分け馬鹿」にしろ、
論者には我が国が天皇を戴く国家であるとの認識はない。
彼らは、税金節約に関して国民受けすると思えば、
宮中の伝統的儀式を「税金の無駄使い」と言い出しかねない。
私は、尊皇の志なく、国家や地方の「制度」を解体すれば日本はよくなるという論者や
民主党の税金の無駄をなくすと言って「仕分け」に熱中していた馬鹿どもに、
嫌悪感を感じる。
私には、彼らは、旧来の制度をブルジョアジーのものとして、
それをぶっつぶしてプロレタリアの支配体制を確立すれば、
バラ色の未来が開けるというプロパガンダによって、
世人を惑わせ惨害をもたらした無責任なアジテーターの現代版に思える。
西村眞悟の時事通信より。