【高橋昌之のとっておき】
朝日・毎日への反論(14)
「お試し」という手法批判はもういい、改憲反対なら根拠を体系的に示せ。
衆院憲法調査会は7日、今国会初の自由討議を行い、憲法改正論議がいよいよ本格化してきました。この中で、自民党は大規模災害などに対応する緊急事態条項や環境権、財政規律条項などを優先的に議論していくことを提案しました。来年の参院選の結果によっては、衆参各院ともに憲法改正に賛成する議員が3分の2以上を占め、戦後一度も実現しなかった憲法改正の発議が行われる可能性は十分あります。
それだけに、憲法改正に反対の立場をとる朝日新聞と毎日新聞は、この流れを食い止めるべく批判を強めています。こうした政治的に対立する問題への両紙の批判は、私が毎回指摘していますが、打ち合わせをしたかのように論拠がそっくりです。今回の反対論もその典型で、両紙とも自民党の憲法改正方針を「お試し改憲」と批判しました。
だれがそう名付けたのか知りませんが、こんなちゃかした表現で反対論を展開することこそ、憲法改正論議を低俗化させることにほかなりませんし、反対の論拠としても説得力はありません。今回のコラムでは、両紙の憲法改正反対論の問題点を指摘したいと思います。
朝日は3日付の社説「上からの改憲をはね返す」で、自民党の憲法改正方針について「自民党の最大の狙いは9条改正だ。だが、国会にも世論にも根強い反対があり、改正は難しい。そこで、まずは野党の賛同も得て、大災害などに備える緊急事態条項や環境権といった国民の抵抗が少なそうな項目を加える改正を実現させる。9条に取り組むのはその次だ」と分析したうえで、「『憲法改正を国民に1回味わってもらう』という、いわゆる『お試し改憲』論である」と決めつけました。
毎日も8日の社説「『お試し』には乗れない」で、「自民党の狙いは、はっきりしている。戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法9条の改正だ。しかし、最初から9条をテーブルに載せるのは難しい。そこで、まず受け入れられやすい項目に絞って改憲の実績を作り、次の段階で『本丸』の9条を打ち出そうという迂回(うかい)戦術だ」と指摘し、「『お試し改憲』と呼ばれるこの方法は、9条改正のために、他の条文の改正を『手段』として扱う発想に基づいている。最高法規たる憲法に向き合うのにふさわしい厳粛さが感じられない」と批判しました。
ご覧の通り、「違う新聞として恥ずかしくないのか」と思うほど、そっくりの主張です。両紙は「お試し改憲」という言葉を流行語にでもして、世論を憲法改正反対に誘導しようとでも思っているのかもしれませんが、この姿勢こそ、憲法改正の議論を目的や内容ではなく、低俗で情緒的な流れにおとしめるもので、良識ある新聞がとるべき主張の手法とは到底思えません。
憲法改正には発議要件が定められている以上、その要件を満たす合意が可能な内容から、改正を発議していくことは当然で、批判される手法ではありません。そして、憲法改正を問う国民投票が行われて、国民が憲法は永久に変わらないものではなく、改正が現実に行われるものであることを実感し、憲法がどうあるべきかを真剣に考えるようになるなら素晴らしいことではありませんか。それこそ、朝日のいうような「上からの改憲」ではなく、憲法が初めて国民のものになるのです。
理想論を言えば、憲法全体の整合性がとれるように抜本的な改正を一度に行うべきだと私も思いますが、現在の改正発議要件をクリアするだけの合意を得ることは現実的に不可能です。だからといって、これまでのように憲法を一度も改正しなければ、憲法は日本の社会の現実とますます乖離(かいり)していきます。したがって、要件を満たす合意ができたものから改正の発議していくことは、憲法の形骸化を防ぐという点で意義のあることなのです。
朝日、毎日両紙が最も懸念する9条の改正についても、必要な合意が整えば発議すればいいのです。9条が戦後、国際情勢が激変し、日本の国際社会で果たすべき軍事的役割が増大している中にあって、形骸化しているのは誰の目にも明らかです。朝日、毎日は「9条によって日本の平和が保たれてきた」と主張しますが、これは明らかに誤りです。日本がこれまで軍事的脅威にさらされることなく、国際社会から軍事的な貢献をしなくても許容されてきただけの話です。現在の国際情勢はもはやそんな安閑たる状況ではありません。
自民党の「本丸」は9条だと朝日、毎日は言いますが、最も現実からかけ離れた条文が9条だと感じているのは何も自民党だけではなく、ニュースで日々、国際情勢に接している多くの国民も同じです。自民党がそうしようがしまいが、9条が第1回目に改正されなくても、いずれ改正に向かうのは必然的な流れだと思います。
したがって、自民党の憲法改正方針は「お試し」でも何でもなく、ごく当たり前のことなのです。それを卑劣な手法であるかのように論じる朝日、毎日の主張は、憲法改正の流れをただ食い止めたいというだけの苦し紛れの論理です。憲法改正に反対なら、両紙ともそう主張すればいいのです。しかし、両紙とも今回紹介した社説の中でそろって「時代にそぐわない憲法の条文があれば議論し、手直しすればいい」とも書いています。
これこそ、「ごまかし」と言わざるをえません。まず、「時代にそぐわない憲法の条文があれば…」という仮定形の表現を用いていますが、両紙は現在の憲法が時代に合っているのか、合っていないのかについて、何の見解も持っていないのでしょうか。そうだとすれば、憲法について思考停止状態であることを自らさらけ出していることにほかなりません。
そうではないというなら、朝日、毎日もそれぞれ、自らがこうあるべきだという憲法私案を出したらどうでしょうか。産経、読売はすでにまとめて公表しています。そのうえで、憲法がどうあるべきなのか、議論し合い、国民に判断してもらいましょう。
朝日、毎日両紙の社説は、今回取り上げた「お試し改憲」批判のほか、96条改正による改正発議要件の緩和を「裏口入学」と指摘していることも、「押しつけ憲法」論に対する反論も全く同じで、この3点以外に改正反対の論拠はありません。両紙の憲法改正反対論の根拠がこの程度にすぎないことを如実に物語っています。
こうした主張に納得するほど、国民は愚かではないでしょう。両紙が憲法改正に反対ならそれでも構いませんが、改正が必要だと考えている人々は憲法と日本社会の現実のあり方を真剣に考えているのですから、それに対抗するだけの根拠に基づいた議論をしてもらいたいと思います。
ただ、そのために従来の主張をただひきずるのではなく、本当に憲法がどうあるべきなのかを真剣に社内で議論したら、両紙とも「憲法改正は必要」というスタンスに変えることになると思いますが。