平成27年3月4日(水)
何も決定しないことを決定し、
優柔不断でいることを決意し、
成りゆきまかせにするということでは断固としており、
変心しやすいという点では頑固であり、
全力をあげて無能であろうとする。
さて、こいれは一体、誰に対して言っているのか。
諸兄姉は、この言葉は、現在の、即ち戦後日本の政治に関するものだと思われたのではないか。
その通りだ。現在の戦後日本政治は、まさにこの言葉通りである。
しかし、実はこの言葉は、荒野にいたチャーチルが、
戦後のイギリスについて語った言葉だ。
戦後のイギリスも、戦後の日本と同じように、この言葉通りだったのだ。
但し、イギリスの戦後は第一次世界大戦の戦後であるが、
我が国の戦後は、第二次世界大戦の戦後である。
チャーチルは、この言葉を、痛恨の思いを込めて語った。
何故なら、イギリスおよびフランスをはじめとする周辺諸国の優柔不断がなければ、第二次世界大戦は起こらなかったからである。
イギリスは、ナチスドイツの台頭と軍事力(特に空軍)増強を傍観して、欧州の「力の均衡」を確保する努力をせず、
ヒットラーの力の行使によるズデーデン地方割譲要求にミュンヘンで譲歩(宥和)してイギリスに平和をもたらしたと錯覚した。
しかし、独裁者に対するこの「ミュンヘンの宥和」が第二次世界大戦の引き金になった。
従って、チャーチルは、第二次世界大戦を回顧して、
「この戦争は防ぎ得た戦争であった、せずに済んだ戦争であった」、
と言い切っている。
イギリスの「戦後の結末」は、この通りである。
では、我が国の「戦後の結末」は、これから如何に成り行くのか。
我が国の戦後も、チャーチルが嘆いたイギリスの戦後と同じである。
いや、一つ付け加えたほうがよい。それは、
「喉元過ぎれば、断固として熱さを忘れる」
という言葉だ。
これ、イギリスよりももっと重篤でたちが悪いではないか。
よって、如何に成り行くか、既に明らかであろう。
優柔不断の後であっても、ともかく、イギリスは、闘った。
しかし、我が国の「戦後の結末」は、
闘えずに生きながら腐る(腐刑)。
従って、このままでは、再起不能となる。
つい昨日、新年を祝ったと思っていたら、もう既に三月に入っている。
それ故、NHKの放映する国会中継で、衆議院第一委員室における予算委員会審議の様子を見られた方々も多いと思う。
あの委員室は、クラシックな模様の「重厚な木製の壁」で囲まれている。しかし、あのなかの議員の議論の程度(レベル)を聞いておれば、
あれは、「馬鹿の壁」だと言ったほうが適切である。
あれが、「喉元過ぎれば、断固として熱さを忘れる」者達のつくり出す風景である。
北朝鮮に拉致された数百名の日本国民は、現在も極寒の北朝鮮に抑留されたままだ。これは「現在進行中のテロ」ではないか。
従って、安倍内閣は、北朝鮮に対して、昨年末の初冬に、「拉致被害者救出は我が国最大の国家的課題である」と北朝鮮に伝達した。
しかし、その数日後に衆議院が解散になれば、
その「最大の国家的課題」をけろりと忘れて、現在も忘れたまま国会質疑をこなしている。
その間、IS(イスラム教スンニ派過激組織)による脅迫があり、大騒動になった。そして、二人が殺害されて二月にはいると、無念さは忘れられている。
安倍総理の「声明」も、ヨルダンのような報復攻撃なしの「声明」(口だけ)であり、今となっては、
「何も決定しないことを決定した声明」に他ならないように見えるではないか。
そして、中共の仕掛ける執拗な思想戦・歴史戦のなかで、安倍総理は、「戦後七十年談話」を出すという。その為に「有識者懇談会」をつくった。
しかし、結局は、新年に入って未だ靖国神社に参拝できない者が、
裏切り利敵の典型である「村山社会党談話」と整合性をもつ「談話」を書くという。
これ、村山と同様の裏切りであり、
何も決定しないことを決定し、優柔不断でいることを決意し、成りゆきまかせにするということでは断固とした態度、そのものではないか。
北朝鮮による拉致被害者救出問題であるが、
ISに殺された二人の救出に大騒ぎをしたならば、
それと同じ深刻な国民の命を救出する課題であると何故認識しないのか。
実は、安倍内閣と外務省は、この拉致被害者救出問題を
「日朝国交回復交渉問題」
と把握したうえで対処しているのだ。
その証拠に、昨年五月のストックフォルムにおける拉致被害者再調査を取り決めた日朝合意においても、平成十四年九月十七日の「日朝平壌宣言」の精神に基づくと明記されている。
この「日朝平壌宣言」こそ、「国交正常化を早急に実現させるため」の合意なのだ。従って、この合意の大半は、
「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」うえで、我が国の現在に換算した八兆円におよぶ対北朝鮮請求権を放棄し、さらに一兆円を超えると見込まれる現金を北朝鮮に贈り国交を開くことなのである。
この我が国の北朝鮮に対する謝罪と金を払って国交を樹立する約束が「宣言」の六割を占める。
北朝鮮の我が国に対するミサイル発射の中止と核開発中止の約束が「宣言」の三割である。そして、我が国外務省がこれこそ北朝鮮の拉致被害者解放の約束なりと強弁する「日本国民の生命と安全に関する懸案問題」についての約束が「宣言」の一割。
しかし、北朝鮮は、ミサイルは飛ばし、核実験もした。横田めぐみさんら数百名の日本人は抑留したままで解放しない。つまり約束は、ことごとく破っている。というより、北朝鮮は嘘をついたのである。もともと約束を守るつもりなどなかったのだ。
「宣言」のなかで生きている約束は、我が国の「北朝鮮への謝罪と金を払い請求権を放棄する約束」だけだ。
この国民を欺く「日朝平壌宣言」に北朝鮮で署名したのは、今、荒唐無稽な脱原発で騒いでいる男であり、それに官房副長官として随行したのは現総理である。
そして、昨年の五月にも、日本側はこの「宣言」を日朝交渉の基本的精神として掲げているのだ。
しかも、驚くべきことに、
昨年の三月にも北朝鮮は日本海に向けて(日本に向けて)、スカッド数発とノドン二発のミサイルを撃っている。直前に相手が露骨に破っている約束を掲げて交渉をする外務省は、痴呆状態ではないか。これこそ、全力をあげて無能であろうとする態度である。
なお、北朝鮮は、数日前にスカッド二発を発射している。そして、現在、ノドン発射準備中と報道されている。そして日本側は、何の反応もしていない。
つまり、断固として成りゆきにまかせて、未だ「日朝平壌宣言」の北朝鮮はミサイル発射をしないという精神を尊重して「交渉」を進めるというのだ。
アホか、こいつら。
さて、これで本稿を止めるが、チャーチルが、第一次世界大戦後に、「戦争屋」や「騒がせ屋」と呼ばれて危険人物の如く扱われながら主張していたことの中心は、
軍事専門家であるドイツの将軍達が、独裁者ヒットラーの野望を、「それは無理です、不可能です」と判断して阻止するに十分なイギリス空軍増強の必要性であった。
海を渡った西の独裁国家に囲まれる現在の我が国にとって、
チャーチルの警告ほど適切なものはない。
よって、昨年末の総選挙において、チャーチルの如く、ド・ゴールの如く、具体的な「戦後」からの脱却を主張し得たことは、私の誇りである。
西村眞悟の時事通信より。
優柔不断でいることを決意し、
成りゆきまかせにするということでは断固としており、
変心しやすいという点では頑固であり、
全力をあげて無能であろうとする。
さて、こいれは一体、誰に対して言っているのか。
諸兄姉は、この言葉は、現在の、即ち戦後日本の政治に関するものだと思われたのではないか。
その通りだ。現在の戦後日本政治は、まさにこの言葉通りである。
しかし、実はこの言葉は、荒野にいたチャーチルが、
戦後のイギリスについて語った言葉だ。
戦後のイギリスも、戦後の日本と同じように、この言葉通りだったのだ。
但し、イギリスの戦後は第一次世界大戦の戦後であるが、
我が国の戦後は、第二次世界大戦の戦後である。
チャーチルは、この言葉を、痛恨の思いを込めて語った。
何故なら、イギリスおよびフランスをはじめとする周辺諸国の優柔不断がなければ、第二次世界大戦は起こらなかったからである。
イギリスは、ナチスドイツの台頭と軍事力(特に空軍)増強を傍観して、欧州の「力の均衡」を確保する努力をせず、
ヒットラーの力の行使によるズデーデン地方割譲要求にミュンヘンで譲歩(宥和)してイギリスに平和をもたらしたと錯覚した。
しかし、独裁者に対するこの「ミュンヘンの宥和」が第二次世界大戦の引き金になった。
従って、チャーチルは、第二次世界大戦を回顧して、
「この戦争は防ぎ得た戦争であった、せずに済んだ戦争であった」、
と言い切っている。
イギリスの「戦後の結末」は、この通りである。
では、我が国の「戦後の結末」は、これから如何に成り行くのか。
我が国の戦後も、チャーチルが嘆いたイギリスの戦後と同じである。
いや、一つ付け加えたほうがよい。それは、
「喉元過ぎれば、断固として熱さを忘れる」
という言葉だ。
これ、イギリスよりももっと重篤でたちが悪いではないか。
よって、如何に成り行くか、既に明らかであろう。
優柔不断の後であっても、ともかく、イギリスは、闘った。
しかし、我が国の「戦後の結末」は、
闘えずに生きながら腐る(腐刑)。
従って、このままでは、再起不能となる。
つい昨日、新年を祝ったと思っていたら、もう既に三月に入っている。
それ故、NHKの放映する国会中継で、衆議院第一委員室における予算委員会審議の様子を見られた方々も多いと思う。
あの委員室は、クラシックな模様の「重厚な木製の壁」で囲まれている。しかし、あのなかの議員の議論の程度(レベル)を聞いておれば、
あれは、「馬鹿の壁」だと言ったほうが適切である。
あれが、「喉元過ぎれば、断固として熱さを忘れる」者達のつくり出す風景である。
北朝鮮に拉致された数百名の日本国民は、現在も極寒の北朝鮮に抑留されたままだ。これは「現在進行中のテロ」ではないか。
従って、安倍内閣は、北朝鮮に対して、昨年末の初冬に、「拉致被害者救出は我が国最大の国家的課題である」と北朝鮮に伝達した。
しかし、その数日後に衆議院が解散になれば、
その「最大の国家的課題」をけろりと忘れて、現在も忘れたまま国会質疑をこなしている。
その間、IS(イスラム教スンニ派過激組織)による脅迫があり、大騒動になった。そして、二人が殺害されて二月にはいると、無念さは忘れられている。
安倍総理の「声明」も、ヨルダンのような報復攻撃なしの「声明」(口だけ)であり、今となっては、
「何も決定しないことを決定した声明」に他ならないように見えるではないか。
そして、中共の仕掛ける執拗な思想戦・歴史戦のなかで、安倍総理は、「戦後七十年談話」を出すという。その為に「有識者懇談会」をつくった。
しかし、結局は、新年に入って未だ靖国神社に参拝できない者が、
裏切り利敵の典型である「村山社会党談話」と整合性をもつ「談話」を書くという。
これ、村山と同様の裏切りであり、
何も決定しないことを決定し、優柔不断でいることを決意し、成りゆきまかせにするということでは断固とした態度、そのものではないか。
北朝鮮による拉致被害者救出問題であるが、
ISに殺された二人の救出に大騒ぎをしたならば、
それと同じ深刻な国民の命を救出する課題であると何故認識しないのか。
実は、安倍内閣と外務省は、この拉致被害者救出問題を
「日朝国交回復交渉問題」
と把握したうえで対処しているのだ。
その証拠に、昨年五月のストックフォルムにおける拉致被害者再調査を取り決めた日朝合意においても、平成十四年九月十七日の「日朝平壌宣言」の精神に基づくと明記されている。
この「日朝平壌宣言」こそ、「国交正常化を早急に実現させるため」の合意なのだ。従って、この合意の大半は、
「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」うえで、我が国の現在に換算した八兆円におよぶ対北朝鮮請求権を放棄し、さらに一兆円を超えると見込まれる現金を北朝鮮に贈り国交を開くことなのである。
この我が国の北朝鮮に対する謝罪と金を払って国交を樹立する約束が「宣言」の六割を占める。
北朝鮮の我が国に対するミサイル発射の中止と核開発中止の約束が「宣言」の三割である。そして、我が国外務省がこれこそ北朝鮮の拉致被害者解放の約束なりと強弁する「日本国民の生命と安全に関する懸案問題」についての約束が「宣言」の一割。
しかし、北朝鮮は、ミサイルは飛ばし、核実験もした。横田めぐみさんら数百名の日本人は抑留したままで解放しない。つまり約束は、ことごとく破っている。というより、北朝鮮は嘘をついたのである。もともと約束を守るつもりなどなかったのだ。
「宣言」のなかで生きている約束は、我が国の「北朝鮮への謝罪と金を払い請求権を放棄する約束」だけだ。
この国民を欺く「日朝平壌宣言」に北朝鮮で署名したのは、今、荒唐無稽な脱原発で騒いでいる男であり、それに官房副長官として随行したのは現総理である。
そして、昨年の五月にも、日本側はこの「宣言」を日朝交渉の基本的精神として掲げているのだ。
しかも、驚くべきことに、
昨年の三月にも北朝鮮は日本海に向けて(日本に向けて)、スカッド数発とノドン二発のミサイルを撃っている。直前に相手が露骨に破っている約束を掲げて交渉をする外務省は、痴呆状態ではないか。これこそ、全力をあげて無能であろうとする態度である。
なお、北朝鮮は、数日前にスカッド二発を発射している。そして、現在、ノドン発射準備中と報道されている。そして日本側は、何の反応もしていない。
つまり、断固として成りゆきにまかせて、未だ「日朝平壌宣言」の北朝鮮はミサイル発射をしないという精神を尊重して「交渉」を進めるというのだ。
アホか、こいつら。
さて、これで本稿を止めるが、チャーチルが、第一次世界大戦後に、「戦争屋」や「騒がせ屋」と呼ばれて危険人物の如く扱われながら主張していたことの中心は、
軍事専門家であるドイツの将軍達が、独裁者ヒットラーの野望を、「それは無理です、不可能です」と判断して阻止するに十分なイギリス空軍増強の必要性であった。
海を渡った西の独裁国家に囲まれる現在の我が国にとって、
チャーチルの警告ほど適切なものはない。
よって、昨年末の総選挙において、チャーチルの如く、ド・ゴールの如く、具体的な「戦後」からの脱却を主張し得たことは、私の誇りである。
西村眞悟の時事通信より。