【皇室ウイークリー】(365) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

新年恒例の「講書始の儀」で研究者の講義をお聞きになる天皇、皇后両陛下と皇族方。秋篠宮同妃両殿下の次女、佳子内親王殿下も成年皇族となって初めて臨まれた=9日、皇居・宮殿「松の間」(代表撮影)

1月7日の昭和天皇祭、
陛下はお着替えで忙しい一日に…。
佳子内親王殿下、「講書始の儀」に初のご参加。

産経ニュース


 年が明け、企業や省庁の仕事始めとなった5日より前から、天皇陛下は宮中祭祀(さいし)などにお出ましになった。

 陛下は3日、皇居・宮中三殿で国家、国民の繁栄を祈る「元始祭(げんしさい)の儀」、4日は皇室の祭祀をつかさどる掌典長(しょうてんちょう)から前年の伊勢神宮と宮中の祭事について報告を受ける皇居・宮殿での「奏事始(そうじはじめ)の儀」にそれぞれ臨まれた。

 昭和天皇が崩御した日の7日は「昭和天皇祭」として皇居内外で儀式が営まれた。天皇、皇后両陛下は午前、歴代天皇と皇族をまつる皇霊殿(こうれいでん)で「皇霊殿の儀」に臨まれた。皇后さまは、髪を束ねて後ろに長く垂らす「おすべらかし」での参列が必要な祭祀のお出ましは首などへの負担を考慮して控えることも増えているが、昭和天皇祭については強いご意向から臨まれた。

 両陛下は同日午後、離任する駐日アルジェリア大使の夫妻を皇居・御所でご引見。その後、陛下は再び祭祀の服装に着替えて夕方、皇霊殿での「御神楽(みかぐら)の儀」に出られた。

 通常は祭祀が終わるまで別の行事は控えられるが、宮内庁によると、今回は離任が迫った大使側の日程も考慮する必要があった。陛下は、着付けの手間がかかる儀式服から洋服、また儀式服へと着替えるお忙しい一日となった。

 御神楽は陛下のご退出後も8日未明まで続き、両陛下は終了まで御所で眠らずにお慎みになった。皇霊殿の儀と御神楽の儀では皇太子さまも拝礼された。7日午前に昭和天皇のお墓にあたる武蔵野陵(むさしののみささぎ)(東京都八王子市)で行われた「山陵に奉幣の儀」には、秋篠宮ご夫妻が参列された。

 新年恒例の「講書始の儀」が9日、皇居・宮殿「松の間」で行われ、両陛下は学界の第一人者からの講義を聴かれた。皇太子さま、秋篠宮ご夫妻、常陸宮ご夫妻、三笠宮家の彬子さまと瑶子さま、高円宮妃久子さまが陪席されたほか、昨年12月29日の誕生日で成年皇族となり、初参加した秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまも真剣な表情で耳を傾けられた。ストレス性ぜんそくなどで療養が続いていた寛仁(ともひと)親王妃信子さまも、平成11年以来16年ぶりに参加された。

 

新年恒例の「講書始の儀」に臨まれた女性皇族方。佳子内親王殿下も秋篠宮妃紀子殿下の隣で、成年皇族として初めて講義を聞かれた=9日、皇居・宮殿「松の間」(代表撮影)

 宮内庁によると、明治天皇が学問奨励で始めた「御講釈始」が前身。「国書」「漢書」「洋書」の3分野で行われていたが昭和28年以降、文学をはじめとする「人文科学」、政治学などの「社会科学」、物理学や生物学といった「自然科学」に変わった。

 今年は、北原白秋の短歌とフランスの近代詩人の作品の表現法の共通点を例とした比較文学▽東南アジアの政治経済と国際関係▽学習と記憶の脳のしくみ-の3テーマについて各研究者が15~20分で講義。「貴重な話を広く国民に知ってもらえるように」との陛下のお考えで、平成22年分から宮内庁のホームページに講義全文が掲載されている。

 皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまは4~7日、長野・奥志賀高原でのスキー教室に友人数人と参加された。3年連続の参加で、宮内庁東宮職によると、最大傾斜およそ30度の「エキスパートコース」を滑るなど上達されている。8日は学習院女子中等科の3学期の始業式に出席された。

 昨年12月17日に留学先の英国から一時帰国した秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは8日、再び英国へ戻られた。

 

留学先の英国へ再び出発される秋篠宮同妃両殿下の長女、眞子内親王殿下=8日、羽田空港

 宮内庁の風岡典之長官は8日の年頭の記者会見で、佳子さまが成年皇族となられ公務出席の機会が増えることに関し、「国民の期待も大きいと思う」と語った。また、佳子さまが4月に国際基督教大に入学して再び大学生となられることから、学業との調和も考慮して公務をお支えするとの考え方も示した。


新年恒例の「講書始の儀」を終えて退出される天皇、皇后両陛下。成年皇族として秋篠宮同妃両殿下の次女、佳子内親王殿下も初めて臨まれた=9日、皇居・宮殿「松の間」(代表撮影)