「降下!降下!降下!」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 



【陸自第1空挺団】(上)精鋭無比の男たち 60キロの装備まとい次々に降下

2014.10.18 06:00

「降下!降下!降下!」。陸上自衛隊習志野演習場(千葉県船橋、八千代両市)の上空340メートルを時速130キロで飛行するヘリコプター内で若い隊員が声を張り上げる。落下傘を装着した隊員が機内の信号ランプに青色がともったのを確認すると、勢いよく大空へと飛び出した。

 斥候役の隊員が大きく開いた落下傘を巧みに操作して風に乗り、目的地点へ降下する。その後を別の隊員が一人、また一人と一定の間隔で続いていった。

 9月中旬に行われた陸上自衛隊第1空挺団の訓練。降下を指揮する「降下長」の資格を取るためのこの訓練に、数十人の若手団員が参加していた。降下の際に身につける落下傘や小銃などの装備は約60キロにも及ぶ。わずかなミスが重大な事故につながりかねない。

 「風が強いから、しっかり抑制しろ」「(背嚢=はいのう=の)切り離しが早い」。上官の厳しい指摘が、スピーカーを通じて絶えず演習場内に響いた。

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 第1空挺団は約1800人が所属するわが国唯一のパラシュート部隊だ。「精鋭無比」をモットーに掲げ、領土内に対する武力侵攻が起きた場合、航空機から落下傘などで人員や資材を降投下する空挺作戦を展開するのが主な任務になる。同隊は有事に備え、日頃から降下長訓練のほか、より高い位置から落下する自由降下や過酷な状況で任務を遂行する空挺レンジャーなどの厳しい訓練に励んでいる。

 日本の空挺の始まりは昭和15年に創設された旧陸軍挺身練習部だ。その後、同部を基本とした空中挺身部隊が編成され、先の大戦ではスマトラ島南部でのパレンバン空挺作戦や沖縄での義烈空挺隊による空挺作戦で運用された。終戦後は、29年に福岡・香椎で臨時空挺練習隊が組織された。

 空挺団と千葉との関係は翌30年に始まる。この年、香椎の同隊が習志野駐屯地に移駐し、3年後に現在の第1空挺団が組織された。以来、習志野駐屯地を起点としながら、全国で訓練や災害救助活動、国際平和協力活動などの任務にあたっている。

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 空挺団に入るために自衛隊の門をたたく新入隊員も多い。「体力面や精神面でどこまで自分を追い込めるか試してみたかった」と話す梅田悠介3等陸曹(22)もその1人だ。

 訓練は「体力的にきつい」と話すが、「先輩たちの厳しい指導で自分も人間として成長している。仲間とともに訓練を積んで、国民からの信頼を裏切らない隊員になりたい」と話す。前田秀次3曹(25)も「最初は空挺団の存在を知らなかったが、国のための力になりたいと志願した」と話す。

 訓練教官を務める大槻弘樹1等陸尉(41)は「専守防衛の我が国にとって、有事はすなわち『戦場は日本』を意味する。国民を守るため、絶対に負けることは許されない」と国防への思いを語る。その上で若い隊員らには「先輩から引き継いだ教えを時代に応じて選択しながら伝えている。どんなに優秀な隊員でも1人では何もできない。後輩にはチームの大切さを教えたい」と“伝統”の継承に意欲を燃やしている。(大島悠亮)



 「日本一精鋭の部隊」と呼ばれる習志野駐屯地の陸自第1空挺団。活躍する自衛官らの姿を追った。

産経新聞