天皇皇后両陛下ご動静。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

(16日・火/宮内庁発表分)

 【午前】

 両陛下 勤労奉仕団ご会釈(皇居・蓮池参集所)

 両陛下 葉山御用邸(神奈川県葉山町)へ車でご移動

 【午後】

 陛下 ご執務(葉山御用邸)

 政府が検討を16日に正式発表した天皇、皇后両陛下のパラオご訪問。戦没者慰霊のお気持ちを身をもってあらわし続ける両陛下にとり、先の大戦中、故郷を遠く離れて1万人以上の日本軍が犠牲になった同国での慰霊は長年、願われてきたことだった。

 広島と長崎の原爆の日、沖縄戦終結の日、終戦の日。天皇陛下はこれらを、日本人が忘れてはならない日とされている。戦後50年の平成7年には、皇后陛下とともに広島、長崎、沖縄と東京大空襲の地を訪ねる「慰霊の旅」を行われた。

 外地で命を落とした人々にもそのお気持ちは向けられてきた。戦後60年にあたる平成17年6月、米自治領サイパンを訪ね、多くの日本人が命を絶った「バンザイクリフ」で黙とうをささげられた。

 第一次大戦後、南洋諸島の国々が日本の委任統治領となり、「南洋庁」が置かれた。激しい戦火に見舞われ、移住した民間人や日本軍が犠牲になった。サイパンやパラオもそうした地。今も日系人が多いという。

 特にパラオのペリリュー島は昭和19年9月、多数上陸した米軍に対し日本軍は当初、玉砕を禁じたことで、十分な補給がないなか2カ月以上にわたる持久戦となり、餓死者も出た。最終的には突撃して玉砕した悲惨な戦いを知る生存者はわずかで“忘れられた戦い”ともいわれる。

「海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います」

 陛下がサイパンへの出発前に空港で語られたお言葉だ。昨年12月の80歳のお誕生日を前にした記者会見では、80年で特に印象に残っている出来事を「先の戦争のこと」と話された。両陛下はいまも、戦争の記憶を持ち続け、平和を願われている。