No.1005 平成26年 9月 3日(水)
一週間ばかり、本通信を書き込むことなく過ぎた。
その間、WILL誌の原稿を書いていた。朝日新聞の従軍慰安婦強制連行の捏造についてである。原稿は、四十八枚ほどになった。
今度発売されるWILLの次号をお読みいただきたい。
また、もう一つ、原稿の世界ではなく東京と大阪を往復しながら実施していたことがあるが、これも、もうすぐ報告できると思う。
さて、朝日新聞は、最後に好いことをしたんだ。
この朝日新聞の捏造を通じて、
戦後体制の本質とそれを作りだしている構造、そして、
戦後から脱却する為に何をすべきか、さらに、
脱却して何を目指すべきか、
が明確になってきたではないか。
それを指し示すのが、
昭和天皇が敗戦後に始めて迎えた新年の元旦に発せられた
「年頭、国運振興の詔書」である。
此の詔書は、戦後体制の中で「天皇の人間宣言」という軽薄なレッテルを貼られて内容を封印されてきたが、実は、自虐史観のかけらもなく、
明治維新の志を新たに昭和の志として、人類の福祉と向上の為に絶大なる貢献を為そうと国民に呼びかけられたものである。
戦後からの脱却に当たり、
改めて昭和天皇の偉大な叡慮に頭を垂れる思いである。
諸兄姉に、此の詔書の拝読をお願いする。
朝日新聞の捏造とそれを作りだした戦後の構造は、何を目的としているのか。それは、
「戦前と戦後の分断」と「日本に未来永劫の汚名を着せる」為である。
この為に、朝日新聞は、現在に至るも、GHQ(連合軍総司令部)の「ワォー ギルト インフォメーション」の忠実な機関誌になり続けてきた。
しかし、この度の朝日新聞の捏造告白(八月五日)は、
戦後七十年を目前にして、このインフォーメイションが捏造だったということが目の当たりに判明したということだ。
従って、我々日本人は、「戦前と戦後の連続性」を回復し、
中韓から仕掛けられている歴史戦、思想戦、宣伝戦に勝利して、捏造された汚名をきれいさっぱり拭い去り、
誇り高く来年の大東亜戦争終結七十年を迎えることができる。
さて、朝日が「誤報」を認めた八月五日から二週間後の八月十八日、産経新聞は、東日本巨大地震・巨大津波に襲われた福島第一原子力発電所の所長であった吉田昌郞氏の非公開の「吉田調書」の内容を報道した。
この産経新聞の報道によって、驚くべきことが判明した。
それは、朝日新聞が、五月二十日の朝刊で、同じく「吉田調書」に基づいて「第一原発の所員らは吉田所長の待機命令に違反し、第二原発に撤退した」と報じたことが「ウソ」だということだ。
このような所員の撤退すなわち逃亡などなかった。
反対に、吉田所長は「本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」と述べている。
つまり、第一原発の所員達は吉田所長とともに、踏み留まって炉心冷却の為に英雄的努力を続けていたのだ。
それを朝日は、調書が「非公開」であることをいいことに、「逃げた」と報じたのだ。
この報道によって、世界に、日本の福島第一原発も、大勢の乗客を救助せずに置き去りにして真っ先に船長と船員が船から逃げた韓国の貨客船セウォル号と同じだったのか、という認識が広まった。
これほどの侮辱、これほどの卑劣があろうか。
此の朝日新聞の報道は、
平成元年四月二十日の「K・Yサンゴ報道」と同じ動機から為されている。
つまり、朝日新聞の事実を捏造してでも、日本と日本人を貶めねばならないという動機である。
この「K・Yサンゴ報道」は、朝日新聞のカメラマンが、自分で、沖縄の西表島近海にある世界最大級の美しいアザミサンゴに「K・Y」という傷を付けて写真に撮り、その写真を「K・Yってだれだ」という見出しをつけて紙面に掲載し、
「日本人の記念碑になるに違いない、百年単位で育ってきたものを瞬時に傷付けて恥じない・・精神の貧しさ・・・」という日本人非難の報道をしたものである。
朝日新聞の、福島第一原発所員の撤退(逃亡)報道は、この「K・Y報道」の捏造によって非難する相手を、「ある心ない日本人ダイバー」から「およそ日本人というもの」に拡大したものである。
もの言わぬ吉田昌郞所長、そして、福島原発内に踏み留まって英雄的努力を続けた全ての所員に対して、さらに評価を貶められた全日本人に対して、
朝日新聞は、廃刊して謝罪すべきである。
それが、朝日新聞に残された社会貢献である。
さて、朝日新聞の「従軍慰安婦強制連行の捏造判明」を受けて、安倍晋三内閣は、何をすべきか。
それは、言うまでもない。
「河野洋平官房長官談話」の廃棄である。
政治が為すべきは、朝日新聞糾弾だけではない。
為すべきは、朝日新聞の捏造に同調して、軽薄に動いて民族に汚名を着せた政治の断罪と立て直しである。
安倍内閣は、その証しを、河野洋平談話廃棄という行動で示さねばならない。
安倍晋三総理、
この河野談話廃棄をなさずして、靖国神社に参拝せずして、
来年の大東亜戦争終結七十年を迎えられると、ゆめゆめ思うなかれ。