今、幕末が来ている | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 
西村眞悟の時事通信より。



No.1003 平成26年 8月20日(水)

 


 世の中、口では維新々々と言いながら、
 何が維新か分からん連中が騒いでいる。
 そこで言う。
 
 今は維新ではない。その前の「幕末」だ。
 
 天変地異、そして、我が国を取り巻く厳しい国際情勢、
 これ、百六十年前の嘉永六年(一八五三年)に始まった幕末の様相を再現してきている。
 一八五三年(嘉永六年)、黒海に北から張り出しているクリミア半島を巡ってイギリス・フランス・オスマントルコの連合軍とロシアとの戦闘が始まる。クリミア戦争の勃発である。
 この時、この戦争の圏外にあったアメリカが、東アジアの日本を軍艦四隻で恫喝して開国させた。
 ここから幕末が始まった。
 二〇一四年、ロシアのプーチン大統領は、クリミアを武力で併合し、ウクライナとクリミアを巡ってアメリカ・NATO諸国とロシアが対立し、ウクライナ東部では戦闘が始まっている。
 そして、東アジアでは、この紛争の圏外にある中共が軍事力を背景にした覇権拡大を再開している。
 そして気がつけば、
 幕末に我が国が直面した同じ国際情勢に、
 現在の我が国も直面しているではないか。
 それは、武力に勝るものが劣るものを恣に屈服させ、その国益と領土を奪い取るという力の信奉者が作る情勢である。
 さらに加えて、従来の国家体制では、我が国はこの情勢に対処できずに滅ぼされるという国内状況も、百六十年前と現在は同じである。
 
 従って、百六十年前は、我が国家の存続(サバイバル)のために「幕藩体制」を打破するための幕末期に入り、
 現在は、同じく国家存続のために「戦後体制」から脱却するための幕末期に入らねばならない。
 そして、この幕末期は、近代国民国家にして一君万民の立憲君主国家である「明治の日本」を誕生させることによって国家の誇りある存続を確保し得たのである。これが、維新である。
 よって、現在の我々も、国家の誇りある存続を確保する為の
「明治の日本」、即ち、一君万民の立憲君主国家を再興しなければならない。
 現在の維新とは、この国家の再興に他ならない。
 現在は、この国家の再興のための幕末期なのだ。

 然るに、現在の政界は、己が今おかれている内外の情勢への感受性を喪失した連中の空理空論で満ちている。
 このことは、あの夏の前まで延々と続いた与党内の集団的自衛権に関する役にも立たない議論や、死滅したと思っていた社会党の先祖帰りの意見がマスコミを賑わせたことから明らかであろう。
 そして、極めつけは、八月六日と九日の広島と長崎への原爆投下の日の前後に繰り広げられる典型的な「戦後の憲法九条的議論」である。
 全く以て、唖然とするしかない。

 このようなとき、
 この典型的戦後体制的議論を、現実の幕末期の中に生きる者が斯くの如く受け取ったという究極の表現に出会った。
 それは、八月十八日の産経新聞一面に登場した、平成二十三年三月の東日本巨大地震・巨大津波に襲われた福島第一原子力発電所所長だった吉田昌郞氏の「吉田調書」である。
 
 この調書は、政府の事故調査・検証委員会が、原子炉冷却電源喪失と原子炉建屋爆発という極限状況の中で対応にあたった吉田所長に聞き取りをしてまとめた聴取記録である。
 吉田所長以下東電職員は、全員第一発電所内に踏み留まって必死に不眠不休で事態収拾の努力を続けた。

 吉田昌郞は、
 菅首相が、自分が東電が逃げるのを止めたんだみたいなことを言っていたがと聞かれて次のように答えている。
「あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか」
「あのおっさんだって、事故調の調査対象でしょう。辞めて、自分だけの考えをテレビで言うというのはアンフェアも限りない」
 また、菅直人だけではなく、海江田万里経済産業相や細野豪志首相補佐官ら菅政権の中枢にいる政治家達が、東電が全面撤退する意向だと考えていたことに対しては、
「アホみたいな国のアホみたいな政治家」と答えている(以上、八月十八日、産経新聞朝刊)。

 この「あのおっさん!」、「アホみたいな政治家!」
 
 これは、いつも私が使いたい言葉である。
 厳しい現実(幕末)の中で戦っている者からは、
 平和や生活第一や改革や維新を唱えているだけの者は、
 あのおっさんでありアホみたいな政治家、である。
 これ以外の何物でもない。
 吉田所長は、あの一刻を争う緊急時に、こんなおっさんやアホと、
 話をする時間も惜しかったであろう。

 また、これは、何もあの最低の民主党政権だけのことではない。
 国家の存続の為の戦いを知っている者から見れば、戦後体制の中にいて生活を楽しみ空理空論を続ける者は、
みな「あのおっさん」であり「アホみたいな政治家」である。
 
 南西上空で、超音速のスピードで中共軍のSU27戦闘機と緊急発進して対峙している我が国のF15イーグル戦闘機パイロットや、南西海上で尖閣に近づく中共船の阻止行動をしている海上保安庁巡視艇乗組員からみても、
 現場を知ろうとせずに、戦後体制の中だけで大真面目に議論している今のあの与党の面々は、
みな「あのおっさん」であり「あのアホ」である。

 さて、本時事通信も、千通を超えた。
それまでの掲示板への書き込みから時事通信として第一号を通信したのは、平成十三年十月八日である。
 それから、十三年の年月をかけて千通を超えた。
 第一通を開けてみると、
 自由党の時代であり、テロ関連法案に反対したと記している。その反対の理由は、集団的自衛権行使の決断なき国民の軍隊出動は不可であるというものだ。
 つまり、自衛隊に、自分は助けてもらって当たり前だが、人は助けませんというような非常識極まる縛りをかけたままで、外へ出すな、出すなら政治が集団的自衛権行使を決定して出せということだ。

 私は、議員になる前から集団的自衛権があるなら行使できるのは当たり前だと思ってきた。
 そして、議員としてその実現を目指してきた。
 従って、その時から「憲法九条があるから集団的自衛権行使はできない」という者は、「アホ」に見えた。
 
 私は、平時よりも乱世を前提にして国家の存続を考えてきた。
 平時ではなく乱世を克服できるか否かが国家の存亡を分けるからだ。
 しかし、乱世を考えない者達から、過激とか右翼とか問題発言だとかの非難を浴びせられた。

 吉田昌郞さんは、想像を絶する存亡の危機の中で戦っていた。
しかし、福島第一原発の外、特に東京は「戦後体制」の中だった。
 従って、吉田さんが、戦後体制の中にいる者が「アホみたいに」見えたのがよく分かる。
 
 これから、現在まで続いてきている政治と政治家達が、
吉田さんのように、あのおっさんで、アホみたいに見える国民が急速に増えてゆくであろう。
 その数が過半数を超えた時に、
我が国は、「戦後体制」から脱却して幕末が終わり、維新の戦いと明治の外戦に勝利できる体制構築に進む。
 その過程で、民主党政権という典型的な戦後体制の中で、最も苛酷な戦いを戦い抜いた吉田昌郞さんの思いを忘れてはならないとつくずく思う。

 私は、大阪の天王寺の吉田昌郞さんと同じ中学高校に学び、吉田さんと同じ方言と同じ言語感覚を持っている。
 それで、吉田さんが自然に使った
「あのおっさん」や「あのアホ」は、
 実は私の言葉でもあるといえる。
 それ故、
 これから一挙に、戦後から脱却する為に、
「あのおっさん」や「あのアホみたいな奴」を、
 国民同志と力を合わせて、
 こてんパーにしてこましたろうと思っている。
 
 この秋(あき)がその秋(とき)だ。