「国民の誇り」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 


詔書で国民に誇りを保つことを呼びかけられた昭和天皇=昭和50年当時


【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】(70)
お言葉から日本の再建へ 人間宣言より「国民の誇り」だった



ミズーリ号上で降伏文書にサインする重光葵外相(手前)。マッカーサー最高司令官ら連合国による占領政策が始まった=昭和20年9月2日


昭和20(1945)年9月2日、東京湾に浮かぶ米軍艦「ミズーリ号」上で、日本と米国など連合国との降伏文書調印式が行われた。日本側で調印したのは天皇と政府を代表する外相、重光葵(まもる)と軍を代表して陸軍参謀総長の梅津美治郎である。

 重光はサインにあたり「向こうのペンなど使えるか」と、自らの秘書官の万年筆を借りたという。「和平派」と目されていた重光だが、敗戦のくやしさだけは他の日本人に負けていなかった。

 調印式をもって連合国による日本占領が始まった。指揮をとったのが3日前の8月30日、厚木飛行場に降り立った米軍のダグラス・マッカーサー元帥だった。マッカーサーは連合国軍最高司令官の地位につく。米政府からは「天皇および日本国政府の国家統治の権限は貴官に従属する」として絶大な権力を与えられていた(山極晃氏ほか編『資料日本占領』)。

 このため新設したGHQ(連合国軍総司令部)を通じ、「民主化」の名のもとに、戦犯の追及や憲法改正など「骨抜き」とも言われる日本の改造に乗り出していく。だがその最初の段階で難問となったのが昭和天皇の戦争責任の扱いだった。

 降伏文書調印から1カ月近くがたった9月27日、昭和天皇は東京・赤坂の米国大使館を訪問、初めてマッカーサーとの会談に臨まれた。このとき、マッカーサーが天皇と並んで立ち、傲然と構えた写真が発表され、日本国民に衝撃を与える。米国が戦勝国としての威厳と日本への優越を見せつける意図的写真だった。

だが会談では、自ら戦争責任の一端を認められた天皇に対しマッカーサーはこれを追及しようとせず、逆に好意的態度をとった。この時点で戦争責任は問わないとの方針を決めていたとみられる。

 その5日後の10月2日、マッカーサーの側近で最高司令官付軍事秘書として来日していたボナー・フェラーズ准将はマッカーサー宛て覚書を送っている。

 この中でフェラーズは「天皇が戦争犯罪のかどにより裁判に付されるならば、統治機構は崩壊し、全国的反乱が避けられないであろう」としたうえで、それを抑えるには「何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍を必要とする」と忠告した。

 特攻など自らの死をいとわない日本人の戦いぶりをみて、天皇の戦争責任を問えば再びそうした戦いを招き、連合国もさらなる代償を払うことになる、と判断したのである。米本国で強かった天皇処罰論を説得するためのマッカーサーへの進言とみられるが、日本人の死にものぐるいの戦いぶりがそうさせたと言っていい。

 だがマッカーサー司令部は、米国内の世論を抑えるため、さらなる要求を昭和天皇に行った。翌昭和21年元日の「新日本建設に関する詔書」である。

 この中で昭和天皇は、天皇と国民との間の紐帯(ちゅうたい)は「信頼と敬愛」で結ばれているとし、「天皇を以て現御神(あきつみかみ)」とする「架空なる観念」に基づくものではないとされた。このため当時の新聞は詔書を「人間宣言」と書き立て、そう呼ばれるようになる。

しかし昭和天皇はそれから30年余り後の52年8月、記者会見で異なる見解を示された。

 詔書の一番の目的は、冒頭に引用した明治維新の「五箇条の御誓文(ごせいもん)」を示すことで、神格否定は「二の問題」だった。「万機(ばんき)公論ニ決スヘシ」という御誓文で分かる通り民主主義は決して輸入のものではない。だから国民が誇りを忘れないために持ち出したのであり、マッカーサーもそれを勧めたと述べられたのだ。

 確かに詔書は国民が「結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ」などとし、敗戦で打ちのめされた国民を励ます趣旨だったことがわかる。戦後の日本人はこのお言葉により、文字通り新しい国の建設に踏み出していったのだ。(皿木喜久)

【用語解説】五箇条の御誓文

 王政復古の大号令から約4カ月後の1868年3月14日、明治天皇が公家、大名らを率い神前に誓う形で発布された維新政府の基本方針。旧福井藩士、由利公正が書いた原文を旧土佐藩士の福岡孝弟や木戸孝允らが修正、完成したとされる。

 福岡の修正案では第1条は「列侯会議ヲ興シ」と、大名等の会議による政治を目指していたが「広ク会議ヲ興シ」と改められた。しかし続けて「万機公論ニ決スヘシ」と議論の尊重を訴えていた。第2条でも「上下心ヲ一(いつ)ニシテ盛ニ経綸(けいりん)(治世)ヲ行ナフヘシ」とし、国民による政治への道を開いたといわれる。

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