《終戦の詔書奉戴記念日》 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

「8・15」に思う
「国連憲章史観」改訂求める秋だ 東京大学名誉教授・小堀桂一郎




《終戦の詔書奉戴記念日》

 周年祭は数へ年式で考へるのが慣例の様であるから、それに従へば、この8月には70回目の終戦の詔書奉戴記念日がめぐつてくる。これはどこまでもこの呼び方の意味での記念日であつて、長く誤解されてきた如き終戦の日では決してない。終戦の日は正しくは昭和27年4月28日である事、本欄でも何度も重ねて指摘してきた。

 その誤解は昨今辛うじてほぼ解消した様に見受けられる。だがより本質的な問題である、日本が20年夏まで遂行してきた対連合国武力行使と、その後に6年8箇月続く軍事占領といふ形での情報宣伝戦での敗北の意味づけについてはまだ作業が終つてゐない。といふよりも、この設問には大別して二種の相撞着(どうちゃく)する答案があり、そのどちらをとるか、日本国の内でも外でも、70年に亙る嶮しい対立が続いてゐるのが現状である。

 この対立は近年では遂に各誌紙の紙面に「歴史戦」といふ表現が頻々と登場するまでに固定化し、抗争として尖鋭化してきてゐる。

対立の様相は国外の場では至つてわかり易い。即ち一方に、あの戦争は国際連合発足当時の原加盟国のその敵国の侵略政策に対する防止措置であつた、との性格規定があり、これはその「敵国」を日本に限定して考へれば、従来東京裁判史観と呼ばれてきた歴史解釈に公式化されてゐた。

 東京裁判についての内外の学術的研究は年を経るに従つて精密化し、今ではあの裁判の判決に法的効果や国際関係上の正義を承認しようとする謬見はさすがに極めての少数派となつてゐる。但し東京裁判自体を離れても、この史観は国際社会に広く定着してをり、今では、かの敵国条項を未だに削除できないでゐる点から国連憲章史観とでも呼ぶのが宜しい様な通俗的歴史解釈として通用してゐる。

 扨(さ)て他方には、私共日本人が日本の立場から近代以降の世界史を十分に考察して得た結論を、昭和の大戦争に及ぼして得た歴史解釈がある。簡単に言へば日本が連合国を相手に戦つた戦争には、国家の自存自衛を全うしアジア諸民族を欧米列強の植民地政策から解放する、といふ大義名分があつた、即ち日本には日本なりの道理も正義もあつた、との主張である。

《世界に向け発信する勇気を》

 この主張は上記の国連憲章史観とは真向から撞着する。そこで、この日本の言分を国際社会の眼が及ぶ様な公の場で発言すれば、彼等は直ちに此に歴史修正主義の烙印を捺(お)して排除してしまふのが常であつた。それは恰(あたか)もナチスの人種差別的な大量虐殺を擁護したり弁明したりするのと同様の非理であると見做(みな)され、一たび歴史修正主義者であると名指しされた言論人はそれだけで言論表現の自由を奪はれ、公の場での発言権を二度と行使できなくなる運命を覚悟しなくてはならなかつた。

 然(しか)しこの運命も決して永久に続くものではない。近年F・D・ルーズベルトとスターリンとの実に怪奇な癒着と密約の上に生じた世界戦略の悍(おぞま)しさ、その結果もたらされた地球規模の災禍への認識が広まるにつれ、連合国共有の歴史観こそむしろ根本的に修正すべきだとの見解が打ち出されてゐる。

連合国側の謀略の歴史への反省が、そのまま日本の主張の肯定につながるといふ性格のものではない。然し連合国の正義の絶対視に漸く相対化の翳がさし始めた今日、我々が勇気を以て歴史修正の聲(こえ)を揚げ国連憲章史観の改訂を要求すべき秋(とき)が来てゐる。さうでなければ謂ふ所の歴史戦を勝ち抜くことはできない。我々が70年の歳月をかけ苦心惨憺の結果我手に掴んだ歴史の真相を、世界に向けてためらふことなく発信してゆく作業が今日の知識人の急務である。

 《昭和史大成の重大な契機》

 所で、国外に向けての情報戦の遂行はそれでよいとして、ここに不思議なのは国内の歴史戦の様相である。即ち国連憲章史観への固執といふ情念は、近隣の反日国家のみならず、日本国内にも存在し依然蠢動(しゅんどう)を続けてゐる。彼等が歴史修正主義に向ける敵意と憎悪は国際社会に於ける旧連合国の体制派のそれと全く同質である。それは戦後70年間に彼等が相続し墨守してきた既得権益、即ち占領利得にとつての最大の脅威がやはり歴史修正主義の眼だからである。

この党派の策動あるが故に、我国が世界に向つて発すべき歴史修正の要求は、お隣の某国の如き挙国一致の勢に達することはできず情報戦は先づ身近の国内に蟠踞(ばんきょ)する対敵内応分子との戦ひから始めなくてはならない。負担の重い両面作戦ではあるが、これも避けることはできない。

 折から「昭和天皇実録」なる史料集成の刊行が予告されてゐる。これは昭和史大成の重大な契機である。国内の歴史戦の帰趨は、結局昭和の歴史を如何に力強く把握し形成するかの決断にかかつてくる。矛を収めてより70年といふ記念年の国民的課題はとにかく当面の歴史戦に勝ちぬくことである。
(こぼり けいいちろう)