ニューヨークに興る日本ルネッサンス運動 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 
西村眞悟の時事通信より。



No.991 平成26年 7月24日(木)

 


 十五日から、ニューヨークそしてポーツマスを訪れて二十二日の晩に帰国した。
 アメリカ在住の日本人によって構成されている「ニューヨーク歴史問題研究会」を主宰するニューヨークの実業家である高崎康裕氏からの、元航空幕僚長の田母神俊雄氏とともに共同講演をするようにとのご依頼によって渡米し、同氏のお世話になって、ニューヨークから北のポーツマスまで足を伸ばすことができた。

 まず、ニューヨークでは、田母神俊雄元航空幕僚長とともに「ザ・ユニバーシティークラブ」で講演をさせていただいた。
 講演の演題は
「これからの日本を考える・・・国家の自立と安全保障問題」
 主催は、「ニューヨーク歴史問題研究会」である。
 この共同講演会は、事前に日本語新聞によって広報されており、百五十人ほどの皆さんが参加された。
 
 また、会場の「ザ・ユニバーシティークラブ」は、ニューヨークの五番街角にある歴史を感じさせる重厚でクラシックな石造りの建物である。
 ここで、百十年前の日露開戦に際し、当時の大統領セオドア・ルーズベルトとハーバード大学で同窓だった金子堅太郞が、
アメリカの政財界の主立った面々を招いて、対露開戦に至った経緯を説明し日本への支持を訴えた。このように、我が国にとって、忘れ得ない歴史的な建物だ。
 
 従って、金子堅太郞が百十年前に日本の運命を背負って演説した同じ場所で講演をさせていただくことは、非常に名誉なことだった。同時に、緊張感がこみ上げてきた。
 何故なら、あの時と同じように、我が日本は、岐路に立っているからである。

 私は、まず、
 昭和二十年二月二十三日に硫黄島の擂鉢山の山頂に星条旗を掲げようとしているアメリカ海兵隊兵士達の写真を会場に掲げた。この写真から、ワシントンのアーリントン墓地の入り口にある巨大なアメリカ海兵隊記念碑ができた。
 そして、言った。
「我々日本人は、この写真や海兵隊記念碑を見て、そこに、「星条旗」だけではなく、翻っている「日の丸」を見なければならない。何故なら、この「星条旗」が掲げられた翌日の二十四日の朝、擂鉢山の上に翻っていたのは、この「星条旗」ではなく「日の丸」だったからである。
 アメリカ軍は、驚いて擂鉢山を滅茶苦茶に砲撃し、日本兵を皆殺したと思って再び擂鉢山に登って「日の丸」を降ろして焼き捨てて「星条旗」を掲げた。
 しかし、翌二十五日の朝、彼らが見上げた擂鉢山の上には、日本兵の血で染めた「日の丸」が翻っていたのだった。再び、アメリカ軍は狂ったように擂鉢山に大砲を撃ち込んだ。
 何故、日本兵は、命と引き替えに「日の丸」を山頂に掲げに行ったのか。それは、兵士一人一人が、一日でも長く硫黄島を死守すれば、それだけアメリカ軍の本土空襲が遅れ、東京や大阪の子供達が疎開できて助かることを知っていたからである。
 この「星条旗」しかない写真を見て、同時に翻る「日の丸」を見ることが、即ち、歴史を回復することである。
 我々は、歴史を回復しなければならない。何故なら、
『過去は過ぎ去った日付けのところにあるのではなく、われわれとともにある。われわれは過去である』からだ(オルデカ・イ・ガセト)」。

 次に、私は、「明治と現在」また「戦前と戦後」の連続性を実証して回復するために、
 明治天皇が明治元年三月十四日に「五箇条の御誓文」と共に発せられた「国威宣布の宸翰」と
 昭和天皇が昭和二十一年一月一日に発せられた「年頭、国運振興の詔書」(通称、新日本建設に関する詔書、もしくは、人間宣言)を配布して、我が国は、志において、
「明治と現在」また「戦前と戦後」は、
何ら断絶なく連続していることを説明した。

 欧米諸国、例えば、アメリカは「独立宣言」によって、
フランスは「人権宣言」によって、「国家の志」を示す。
 ならば、我が国は、
 天皇の詔書と宸翰が、「国家の志」を示す!

 遙かニューヨークの歴史の威厳がしみ込んだような重厚なルーム内に座る参加者の皆さんは、実に熱心に耳を傾けられ、共に天皇を戴く国家の同胞(はらから)であった。
 私は、この充実した思いをもって講演を終えさせていただいた。

 ところが、後で研究会の主宰者である高崎康裕会長の話を聞くと、このニューヨークの歴史問題研究会では、既に高崎康裕会長を講師として、天皇の詔書また教育勅語の勉強会を積み上げてこられており、年々会員は熱心になってきているということだった。
 内地(日本国内)ではなく外地のニューヨークで、天皇の詔書、詔勅そして勅語の勉強会が何年も続いてきているのである。
 むしろ外地であるからこそ、忙しい仕事を抱えながら、人々は内地よりも真剣に日本回復の為の勉強会を続けてこられた。

 ニューヨークは、人種のルツボである。そのなかで、中国・朝鮮人が、声高に朝から晩まで、ありもしないウソを掲げて日本非難を繰り返し、近くのニュージャージーの町に「従軍慰安婦」の像まで建てて、日本軍によって朝鮮人少女二十万人が性奴隷にされたと説明している。
 講演の翌々日、私は、高崎康裕会長の案内で、この「慰安婦」による反日宣伝の場所を訪れた。外国において、恥もなく、ここまでウソをつく韓国・朝鮮人のマインドには、哀れみさえ感じる。
 しかし、同時に、「戦後特有の歴史忘却の隙」を突かれていることは確かであるから、人種のルツボのニューヨークにおいてこそ、真剣な自覚的な日本人のアイデンティティーと歴史の回復、即ち、「日本の回復」は急務となる。

 中世から近世に転換する際に興った文芸復興を、ルネッサンスというのならば、今のニューヨークにおける「日本の回復」への努力は、戦後から脱却する際に興る「日本ルネッサンス運動」だ。
 その担い手である、高崎康裕会長と会長が主宰するニューヨーク歴史問題研究会の皆様に、深く敬意を表して感謝する。

 高崎会長のお世話になって訪れた日露講和の地ポーツマスについては後日語らせていただきたい。