【阿比留瑠比の極言御免】
常識通じぬ中国の宣伝工作、それを「当然だ」と鵜呑みにする元首相
安倍晋三首相が5月30日にシンガポールで開かれたアジア安全保障会議(シャングリラ対話)で、中国軍関係者から靖国神社参拝を批判する質問を受けた際、「法の支配の順守」と「平和国家、日本」を強調して会場から拍手が巻き起こったことは、膨張する中国を世界がどう見ているかを強く示唆している。
やりとりをおさらいすると、次のようなものだ。
中国軍関係者「歴史に関する視点を聞きたい。首相は靖国に参拝したが、日本軍に殺された何百万人もの中国、韓国人の魂にはどんな姿勢を表明するのか」
安倍首相「国のために戦った方に手を合わせ、ご冥福を祈るのは世界のリーダーの共通の姿勢だ。法を順守する日本をつくっていくことに誇りを感じている。ひたすら平和国家としての歩みを進めてきたし、これからも歩みを進めていく」
会議で日本の過去を糾弾することで優位に立とうとした中国のもくろみは破れ、各国からはしごを外された形だ。
「中国は、マニュアル通りに日本を批判するから場違いになってしまう。日本が『海における法の支配を守ろう』と言っているときに、70年前のことを持ち出しても『何を言っているんだ』となる。私も拍手が起こるとは思わなかったが」
安倍首相は帰国後、周囲にこう指摘した。旧日本軍を無理やりナチスに重ね、安倍首相を危険な軍国主義者だと喧伝(けんでん)してきた中国の宣伝工作は、東シナ海や南シナ海での領土的野心をむき出しにした中国自身の言動によって効果が薄らいでいるのである。
ところが、なぜかこうした世界の常識や共通認識が通用しないのが日本だ。村山富市元首相は、前回の当欄でも取り上げた5月25日の明治大での講演で、こんなことも述べていた。
「(中国側が)私たちに言うのは『中国は覇権を求めない』『どんなことがあっても話し合いで解決したい』と。それは当然だ」
「戦争をしないと宣言して丸裸になっている日本を、どこが攻めてくるか。そんなことはありえない。自信を持っていい」
ありえないのは村山氏の発言の方であり、自信を持たれても困る。誰もが警戒する相手の言い分を丸のみし、自宅に鍵をかけなければ泥棒に入られることはないと訴え続けている。
そもそも真に相手のことを思うなら、その宣伝工作にただうなずいてメッセンジャー・ボーイとなるのではなく、「言動を改めないと、世界で今こう見られているよ」と耳の痛い忠告の一つでもすべきだろう。
リチャード・ニクソン元米大統領は著書『指導者とは』の中で、周囲の「バカを許す」意義について次の3点を挙げ説いている。
「第一、指導者は随(つ)いてくる者を必要とするが、そういう人々の中には指導者がバカとしか思えない考えを持つ人が大勢いる。第二、バカと思って追いやった人が、実はバカでも何でもない可能性がある。第三、たとえほんとうにバカであっても、指導者はその人から何かを学べるかもしれない」
だが、周囲ならともかく指導者その人が該当者だったとしたら、国民はどんな目に遭うか-。自民、社会、さきがけによる自社さ政権と民主党政権が残した教訓はあまりに重く、苦い。(政治部編集委員)