日本経済の幻想と真実 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 



原子力から石炭火力へ──本当にそれでいいのか

JBpress.ismedia
2014.05.20(火)  池田 信夫


 福島第一原発事故から3年たっても、エネルギー政策をめぐる混乱が続いている。全国の原発が民主党政権の行政指導で止められたまま、運転再開の目途が立たない。これまで電力会社はLNG(液化天然ガス)火力発電所を増設してしのいできたが、これは設備投資は安いが燃料費が高い。

 そこで電力各社は、石炭火力発電所の増設を計画している。東京電力は260万キロワットの石炭火力を建設し、関西電力と中部電力と東北電力も100万キロワット以上の石炭火力の新設を計画している。石炭の燃料費は石油やLNGに比べて圧倒的に安く、原子力のような厄介な政治的リスクがないので経営合理的だが、それでいいのだろうか。

石炭は環境に最悪の燃料

 先週起こったトルコ西部ソマの炭鉱事故で、死者は301人にのぼり、トルコ史上最悪の鉱山事故になった。しかし中国では毎週のように炭鉱事故が起こっていると言われ、年間約8万人という推定もある。中国政府は「中国の死者が世界の79%だ」と発表しているので、世界の炭鉱事故の死者は10万人ということになる。

 WHO(世界保健機関)は「全世界で大気汚染で毎年約700万人が死んでいる」という推定を発表した。これまでは320万人とされていたが、最近、中国の大気汚染がひどくなって死亡推定人数が倍増した。

 中国では、PM2.5(小粒子物質)汚染で年間100万人以上が死亡しているとも言われ、政権をゆるがしかねない状況になっている。日本の石炭火力はクリーンだと言われるが、毎年1.23トン(約2000人分の致死量)以上の水銀が石炭火力から大気中に排出されている(環境省調べ)。

 ここには地球温暖化のリスクは含まれていない。これでどういう被害が出るかははっきりしないが、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の予測によると、大雨や洪水や干ばつなどの異常気象が増え、海面が数十センチ上がると予想され、その被害は2100年までに1兆ドル以上と言われている。

 世界の専門家の意見は「石炭は環境にとって最悪の燃料だ」ということで一致している。それは経済的で、埋蔵量も200年以上あり、地球上に広く分布しているので石油のような地政学リスクもないが、健康への影響は他のエネルギーに比べて桁違いに大きいのだ。

 他方、原発から出る使用ずみ核燃料は、日本で今まですべての発電所で出たものを合計しても1万7000トン。日本の石炭火力で1年間に出るゴミの300分の1だ。そこから出るプルトニウムの毒性は水銀の半分ぐらいだが、水に溶けず、体内に蓄積することもない。

再生可能エネルギーで石炭火力が増えた

 「原発も石炭もいやだ」という人は、太陽光や風力などの再生可能エネルギーがその代わりになるという。ドイツ国民はそう考えて「脱原発」を選んだが、その結果どうなっただろうか。2014年2月、ドイツ政府の諮問機関は、再エネに補助金を出す制度は見直すべきだという報告書を出した。

 それによると、ドイツの電気料金の約20%が再エネ発電事業者への補助金に使われ、世帯あたり電気料金は80%も上がった。ドイツの石炭火力発電所は増え、2013年には石炭の消費量が1990年以降で最大になった。再エネは日照や風のないときには使えないので、それと同じ発電能力の火力を増設するしかないのだ。

 ドイツ国民が原発を恐れた理由は理解できる。1986年のチェルノブイリ原発事故の後は、原発からヨーロッパ全域に降り注ぐ「死の灰」によって、10万人以上の死者(がんによる死亡率の増加)が出るとも言われた。こうした恐怖を背景にして「緑の党」が躍進し、彼らがキャスティングボートを握ったために「脱原発」が進んだ。

 しかしチェルノブイリから20年たって国連科学委員会の行なった調査によれば、確認された死者は、事故のとき消火にあたった作業員50人と、放射性沃素の入った牛乳を飲み続けた子供10人の合計60人だ。それ以外に、放射性物質の影響による発がん率の増加はみられない。

 

福島でも国連の調査によれば、死者が出る見通しはない。福島第一原発事故はチェルノブイリのように原子炉が破壊されたのではなく、破壊を防ぐために蒸気を放出したもので、被曝線量もチェルノブイリの1000分の1以下だ。放射線医学が発達し、データも蓄積されて、昔思われていたほど放射線の人体への影響は大きくないことが分かってきたのだ。

 ところが日本の反原発派は、古いデータに基づいて原発事故のリスクを騒ぎ立て、「もう一度原発事故が起こったら日本は滅びる」などと主張した。支持率の落ちていた民主党政権は人気取りのために彼らを利用し、原発を法的根拠なく止めてしまった。自民党政権も、政治的リスクを恐れて傍観している。

 よくも悪くも、これから日本で原発を新規に立地することは不可能だ。このまま新設しないで放置すると、原発は2040年代にはほぼゼロになる。それは経済政策としてはありうるが、本当にそれでいいのだろうか?

原子力は「パンドラの箱」だが・・・

 いま東京などで「パンドラの約束」というドキュメンタリー映画が公開されている。これを撮ったのはロバート・ストーンという環境保護の活動家である。彼はもとは反原発運動に参加していたが、地球温暖化の問題を考えるうちに原発がその解決に役立つと考えた。
 
 彼は福島の事故現場も撮影し、ますますその確信を深めたという。あれだけの事故が起こっても、死者は出なかった。原発をゼロにすると化石燃料の消費が増え、静かに広く地球を汚染するだけだ。どんなエネルギー源のリスクもゼロではない、とこの映画は淡々と訴える。

 しかし石炭火力で大気汚染が起こっても、原発事故のようにメディアの注目を集めることはない。電力会社や政治家にとって、わざわざ厄介な原子力を使うより、目立たない石炭火力にすることが合理的だ。

 気候変動が起こるのは50年後から先の話だし、炭鉱事故は日本で起こるわけではない。今のうちに石炭を使って、気候変動のコストは将来世代に負担してもらうという考え方もある。100年後にはもっと技術が進歩しているので、CO2を減らす技術ができるかもしれない。

 だが地球環境の破壊は、取り返しのつかないことになるかもしれない。少なくとも石炭火力の健康被害が、原発をはるかに上回ることは確実だ。これはリスクを地球上のどの範囲で、どの世代で考えるかという倫理の問題である。今の世代の日本人の利益だけを考えれば、原子力を石炭火力に代えて「原発ゼロ」にすることが合理的だ。

 しかし長期的には、それは恐るべき結果をもたらす可能性がある。かつて原子力は「さまざまな災厄をもたらすパンドラの箱だ」と言われたが、その底には「希望」が残っていた。われわれも地球の未来を冷静に考えた方がいいだろう。