【産経抄】4月30日
旭日双光章を受章した蔡焜燦(さい・こんさん)さんは日本統治時代の台湾・台中市の生まれである。司馬遼太郎さんの『台湾紀行』の表現では「18歳まで日本人」だった。志願して陸軍少年飛行兵となり、奈良市にあった岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊で教育を受ける。
▼10年以上前、蔡さんと食事をした機会に、その話をうかがったことがある。「じゃあ白毫寺(びゃくごうじ)のあたりですね」と知ったかぶりで教育隊のあった場所を尋ねた。すると間髪入れず「違う違う。新薬師寺の所をこう曲がって」といったふうに、正されてしまった。
▼終戦とともにすぐ台湾に帰られており、奈良滞在はごく短期間のはずだ。しかもそれから半世紀以上がたっていた。それなのに、この確かな記憶力である。奈良の地誌や社寺についても実に詳しく教えていただき、関西で長く生活していた者としては赤面するしかなかった。
▼短期間でも全身全霊で奈良、いや日本の文化を体にたたきこもうとしたからだろう。帰台後も剣道、短歌、俳句など日本文化に親しみ、台湾歌壇の代表もつとめている。台湾で蔡さんに食事に招かれる若い日本人は、その造詣の深さに驚かされることが多い。
▼29日の本紙「人」欄によれば、そんなとき蔡さんは日本人をこう言って諭すのだそうだ。「食事の礼として、君は祖国を愛しなさい」。戦後教育や一部の国からの歴史攻撃で、自国の歴史や文化への誇りを失いがちな日本人にとって「目から鱗(うろこ)」に違いない。
▼蔡さんの受章の理由は日本文化の紹介による対日理解の促進に寄与したということらしい。それは素晴らしいが、蔡さんにより「日本」に対し目を開かされたのは、むしろ日本人自身かもしれない。そのことへの感謝の念も忘れてはなるまい。