≪伝統に則ったプーチン戦術≫ | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

露は大きな危機を演じ妥協誘う 北海道大学名誉教授・木村汎



 果たして、ロシアだけが用いる特殊な戦術というものが存在するのか。己の外交目的を実現するに当たり、ロシアのプーチン大統領は欧米と異なる手法に訴えているのか。ロシアこそが現在進行中のウクライナ危機の帰趨(きすう)の鍵を握っている状況に鑑(かんが)み、これは重要な問いといわねばならない。

 端的にいうならば、答えはイエス・アンド・ノーである。

 なぜ、ノーなのか。所詮、人間が考えることに奇想天外な工夫などあろうはずがないからだ。仮に独創的な妙手が見つかった場合でも、やがて相手側に模倣されて専売特許とはいえなくなる。

 ≪伝統に則ったプーチン戦術≫

 他方、答えはイエスでもある。次の諸点で、ロシア式の外交行動様式や戦術は他国のそれとは異なる特色を持つからである。

 第1は、目的のためには手段を選ばない性向。かつてレーニンは「われわれはありとあらゆるものを利用せねばならぬ」と説いた。プーチン政権はソビエトの始祖の教えを忠実に守っている。

 第2は、戦術の種類にではなくその使い方にみられる特性だ。ロシア外交は欧米諸国と大同小異の戦術を用いる。が、米欧の政治家や外交官がそうした戦術を、いわば無自覚、行き当たりばったりに運用するのに対し、ロシアの担当者たちはより系統的、定期的に使用し、そして、同じ戦術を飽きることなく執拗(しつよう)に繰り返す。

 第3は、ロシア人が愛用し最も頻繁に用いる類の戦術があることだ。つまり、ロシア人がなぜか偏愛し多用する若干の戦術が存在するのである。例えば、本欄で筆者が繰り返し言及している「パカズーハ(見せかけ)」や「バザール(駆け引き)」戦術などは、その好例といっていいだろう。

 以上の一般論を念頭に置いたうえで、現在プーチン政権がウクライナ東部に対してとっている戦略や戦術を考察してみよう。

 まず気づくのは、プーチン氏が武力による南部クリミア半島の併合の成功(?)例に気を良くしてか、同一の戦略をウクライナ東部に適用しようとしていることである。例えば、武力を背景とする脅しだ。ウクライナとの国境のロシア側に4万人規模のロシア軍を配置し、万一の場合は、「ロシア系住民の保護」を口実にウクライナ側に軍事侵攻できることが分かるような態勢を敷いている。

 ≪クリミアでの手段を東部に≫

 また、クリミア同様にウクライナ東部でも、親露武装集団はロシア製の迷彩服を着用し、ロシア製武器を所持している。ロシア人であるかウクライナ人であるかを問わず、これらの人々に、ロシアのための「トロイの木馬」の役割を演じさせようとしている。

 親露集団は、占拠している自治体施設からの撤退に応じようとしない。業を煮やしたキエフの暫定政権は、下手に強制排除に乗り出すと軍事介入の口実を与え、ロシアの思う壺にはまりかねないというリスクに注意しなければならない。実際、2008年夏にロシア軍が強行したグルジア侵攻は、短気なサーカシビリ同国大統領がロシアの挑発にまんまと引っかかった帰結に他ならなかった。

 もう1つ、何としても見落としてならないのは、プーチン氏が今度も、ロシアお得意の「パカズーハ」や「バザール」戦術を駆使していることである。バザール戦術とは、最初に高値を吹っかけて相手を驚かした後に妥協案を探る形で、当初に狙っていたものを手に入れるという手法である。

 ≪「トロイの木馬」送り込む≫

 今回に即していえば、プーチン氏はウクライナ東部であたかも内戦の危機が迫っているように「見せかけ」ている。そうなると、首都キエフの暫定政権は驚き慌て次々に妥協を行う誘惑に駆られる。果たせるかな、トゥルチノフ大統領代行は、5月の大統領選に合わせて国民投票を行うことに反対しないとの姿勢を表明した。

 さらにいえば、プーチン政権が「バザール」戦術を用いていることも明らかである。ウクライナ東部はロシア系住民の比率などの点でクリミアとは事情が異なる。その点を熟知しているプーチン氏自身は、おそらく東部のロシア併合までは考えていまい。ただし、東部をロシアの手中に収めるかのような大きな危機を演出して、実は以下のことを狙っている。

 まず、東部に世界の注目を集中させることによってクリミア併合を既成事実化すること、次に、キエフの暫定政権に「連邦制」を採用させることだ。具体的には州知事の公選、ウクライナ語と並ぶロシア語の公用語化、近隣諸国との対外関係に関する発言権の増大などである。そうした広範な自治権を認める「連邦制」が導入されれば、ウクライナ東部、したがってロシアは、親欧米派主導のウクライナ中央政府に多大の影響力を行使することが可能になる。

 ウクライナ東部に送り込んだ形の「トロイの木馬」が独り歩きしたりしない限り、「パカズーハ」「バザール」という伝統戦術に基づくプーチン氏のウクライナ戦略は見事、奏功するだろう。(きむら ひろし)