クジラの恩恵 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

【産経抄】4月2日

幕末から明治の国際化に貢献した中浜万次郎は少年時代に漂流し、米国の捕鯨船によって無人島から助けだされる。そこで命がけでマッコウクジラと戦う船員たちの姿を目の当たりにする。19世紀の半ば、米国で捕鯨が最も盛んな時代だった。

 ▼捕鯨といっても食用ではなく、目的は鯨油だった。万次郎の半生を描く津本陽氏の『椿と花水木』によれば、米国に帰った船長は油を売り、2万ドルという当時なら一生を安楽に暮らせる巨富を得た。船員の一人となった万次郎も目もくらむような配当金を手にする。

 ▼米国にとって鯨油がいかに貴重で、捕鯨が重要産業だったかを示している。しかし19世紀後半に自国内で石油が発見されると、米国は急速にクジラへの関心を失う。20世紀に盛んになる南極海での捕鯨にも目を向けないどころか、次第に「反捕鯨」を鮮明にしてくる。

 ▼だが日本は事情が全く違った。捕鯨は古くからの産業だったが、灯油用ばかりでなく肥料用やタンパク源としてもクジラの世話になった。戦後の食糧難の時代はGHQの許可をとり、小笠原近海で捕鯨を行い危機を脱した。給食で食べた記憶を持つ人も多いはずだ。

▼その日本の南極海での調査捕鯨に国際司法裁判所が中止を命じた。米国など反捕鯨国出身の裁判官が多数を占めているためだ。鯨肉は南極海以外からも入ってくるから、日本の食卓から全く消えるわけではない。だが本格的捕鯨再開をという望みはかないそうもない。

 ▼世界的にみればもう一度クジラを必要とする時代がきてもおかしくない。米国などかつての捕鯨国にはその歴史を説き理解を求めるべきだ。怖いのは日本人まで、かつてのクジラの恩恵を忘れ、反捕鯨運動の尻馬に乗ってしまうことである。