硫黄島とマサダ、ともにこれ聖地 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 



西村眞悟の時事通信より。



No.953 平成26年 3月21日(金)

 

 再び硫黄島について書く。
 戦史上の興味からではない。
 我が国のこれからの運命に関わるからである。

 マサダは、
 イスラエル南部の死海の畔に屹立する高さ400メートルの岩山である。頂上はラグビーコートが三面ほど入るほどの広さの台地になっている。紀元前30年代にヘロデ王によって離宮兼要塞に改修された。
 紀元70年、ローマ軍はエルサレムを陥落させユダヤ教の第二神殿を徹底的に破壊する。
 しかし、そのエルサレムから約千名のユダヤ人が脱出してマサダの要塞に立て籠もり、二万人のローマ軍相手に三年間戦い続ける。そして、73年、遂にローマ軍によって攻め落とされるが、陥落直前に2人の女と5人の子供を残して960人全員が自決し玉砕した。
 このユダヤのローマ帝国に対する戦争の歴史は、ヨセフスの「ユダヤ戦記」に詳しく語られているが、20世紀のマサダ発掘調査によって、その「ユダヤ戦記」の信憑性が確認された。
 この「ユダヤ戦記」の中に、マサダ籠城戦のリーダーであったエルアザル・ベン・ヤイールが玉砕の直前に仲間に語った言葉がある。それは、次の通り。

「高邁なる友よ、我々はずっと以前に、決してローマ人たちの召使いにも、また人類の唯一の真にして義である主である神自身以外の何人の召使いにならない決意をしたのであるから、今こそこの決意を実践し真なるものとすべき時が来たのである・・・、
 我々がまだ勇敢に、自由の状態のまま死ねるというのは、神が与えたもうた恵みだと思わないではいられない。
 我々は一日のうちに捕らえられるであろうことは、非常にはっきりしているが、最も親愛なる同志達といっしょに、光栄ある死を選ぶことはまだ出来る。・・・
 辱めを受ける前に、我々の妻達を、そして奴隷の経験をする前に、我々の子供達を死なせよう。・・・
 自由を保持していこうではないか・・・。
 糧食の他は何も残さずにおこう。
 何故なら、我々が死んだ後に、我々が必需品の欠乏により負けたのではなく、我々の最初からの決意により、奴隷になるよりは死を選んだことを証(あかし)してくれるからである。」

 現在、マサダはイスラエル民族の聖地であり、イスラエル国防軍の入隊式はマサダの頂上で行われ、新兵はここで国家への忠誠を誓う。イスラエル軍新兵は、マサダで、自動小銃と旧約聖書を持って宣誓する。
「マサダは二度と陥ちない!」と。
 1948年の建国以来開始された周辺のアラブ諸国との大小7度にわたる戦争にイスラエルが勝ち続けてきたのは、二千年前のマサダの玉砕があったからだ。
「まさにこのマサダの玉砕の死こそが、後世イスラエル民族の永遠を、そして1948年5月14日のイスラエル国として独立宣言に導き、現在に至るまで、彼らの名誉ある死がどれだけの大きな価値をもってきたか、まさに人類による国家再建歴史上の最高の価値ある玉砕死といえる」
(以上、奥山篤信氏の上智大学修士号学位論文「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」より)

 ここまで、遙か彼方の遙か昔のマサダで玉砕したユダヤ人とイスラエルのことを書いてきた理由は、もうお分かりだろう。
 
 イスラエルの聖地がマサダなら、
 我が国の聖地は硫黄島である。
 
 マサダの玉砕が、イスラエル国家再建史上の最高の価値ある玉砕死ならば、
 硫黄島の玉砕は、日本国家再建史上の最高の価値ある玉砕死である。
 
 よって、イスラエルがマサダの九百六十名英霊を国家建設の精神的な要とするならば、
 我が国は、硫黄島の二万千九百二十五名、四千名の特攻隊員、沖縄の二十万人、フィリピンの五十万人そしてペリリュー、サイパン、ガダルカナル、ニューギニア、ビルマ、インパールの二百万英霊を国家再興の要と位置づけねばならない。

 三月十九日午後四時、硫黄島の擂鉢山の頂上から、緑の中に所々硫黄の蒸気が上がる島を眺めたとき、
 まさにこの島全体が、再び危機に直面してゆく我が国家再興のエネルギーをマグマのように蓄えていることを感じた。
 そのエネルギーは、未だ地下に眠る一万千四百三十三名を含む硫黄島で玉砕した二万千九百二十五名英霊の声である。
 いや、彼ら英霊は、未だ地下に潜って祖国日本のために闘ってくれている。それが硫黄島のマグマとなって我々を日本再興に向けて突き動かす。
 硫黄島は、我が国の聖地である。