【阿比留瑠比の極言御免】軽すぎる村山元首相発言
亀の甲より年の功とはいうものの、最近90歳になった村山富市元首相のこのところの言動は、あいまいで軽すぎ、危ういと感じる。他の何人かにも言えることだが、元首相という重い立場をわきまえてほしい。
先月27日の日本記者クラブでの記者会見では、こんなことがあった。村山氏は慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野談話について、冒頭から事実に反することを述べていた。
「(日本政府が)実際に慰安婦の皆さんに会って証言を求めたようなことはないかもしれない」
だが、甚だおざなりではあったものの、政府が韓国で元慰安婦16人の聞き取り調査を行い、それを河野談話の根拠としたことは議論の大前提だ。耳を疑うとはこのことである。
この点に関しては、さすがに記者側から「当時の宮沢喜一政権は元慰安婦16人からヒアリングをしている。それで事実関係はよろしいか」と確認が入ったが、それに対する村山氏の答えはこうだった。
「はいはい。それは慰安婦から聞いていますね。訂正してください」
この程度の認識で河野談話について「事実がなかったと言ってあげつらって何の意味があるのか」「そんな軽はずみに根拠も何もないのにつくった作文ではないと思う」と擁護・発信されても当惑してしまう。
おやっと思った点はまだある。安倍晋三首相が「侵略という定義については定まっていない」と述べたことについて、「(植民地支配と侵略を謝罪した)村山談話と矛盾を感じたことはないか」との質問に、村山氏は言葉を濁したのだ。
「安倍さんが侵略という言葉に国際的な定義はないと国会で発言して、いろいろな議論がある」
だが、すでに当欄(1月23日付)で指摘した通り、村山氏自身が首相在任中の7年10月に、次のように全く同じ趣旨のことを述べていたではないか。
「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、どういうものであるかという定義はなかなかない」
どうして「ワシもかつてそう語った」と素直に言えないのか。首相答弁の一貫性を内外に示すいい機会だったのに残念である。
また、村山氏は自身の名前を冠した村山談話に関して「ある意味、国際的な約束事、日本の国是みたいなものだ」と胸を張っていたが、これにも違和感を禁じ得なかった。
村山氏は「村山富市の証言録 自社さ連立政権の実相」(新生舎出版、23年9月刊)の中で、「談話を歴代首相も踏襲すると思っていたか」と問われ、こう答えていたからだ。
「そんなことまでは想定していませんでしたね。(中略)期待はあったにしても、誰がなるか分からないのでね、そこまでは考えて談話を出したわけではないね」
このほか、村山氏は記者会見で靖国神社参拝問題の話題になると、安倍首相の名前を2度「小泉さん」と間違えた。尖閣諸島(沖縄県石垣市)については、「(日中)どちらに占有権があるのか、歴史的にみると尋ねてみないとなかなか分からない」などと、無責任な発言をした。誰に尋ねるというのだろう。
元首相らの伸び伸びとした自由な発言に接するたびに、敬老精神が薄れそうになる。(政治部編集委員)