内外の情勢に関して、必ずクリミアからの連動がある | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 



西村眞悟の時事通信より。




No.946 平成26年 3月 2日(日)

 

 一九八九年(平成元年)十一月十日、
連日、「民主改革」、「自由選挙」を求める大規模な集会が東ベルリンで繰り返される中で、一九六一年(昭和三十六年)八月十三日以来二十八年にわたって東西ベルリンを分断していた「ベルリンの壁」が崩壊し、東西ドイツが統合に動きだした。
 その時、ソビエトKGB職員のプーチン(現ロシア大統領)は東ドイツのドレスデンで活動していた。
 そして、ベルリン郊外に司令部をおいて東ドイツに駐留する十九個師団三十八万のソ連軍を、東ドイツを確保するために動かそうとしていた。
 
 一九六八年(昭和四十三年)、ソビエトは、自由化を求めたチェコスロバキアの首都プラハを一夜にしてソ連軍戦車で埋め尽くして「プラハの春」を制圧した。
 二十一年後の一九八九年、それをベルリンでしようとしたのがKGBのプーチンである。
 しかし、モスクワにはプラハの時にいたブレジネフはいなくて、ゴルバチョフがいた。それゆえ、ベルリンはプラハにならなかった。
 
 それから二十五年、現在モスクワに君臨しているのは、二十五年前にドレスデンにいたKGB職員ウラジミール・プーチンである。
 そして本日の朝刊は、ロシアのウクライナ軍事介入を伝えている。プーチン大統領は、断じてクリミアを手放さないと実力に訴えたのである。

 アメリカの東洋艦隊の四隻の黒船が、ペリーに率いられて浦賀にきたのはクリミア戦争の最中の嘉永六年(一八五三年)である。
 クリミア戦争の御陰でアメリカだけが我が国に来航できたのだ。
 
 このクリミア戦争は、オスマントルコの衰退によって南下を始めたロシアと、それを阻止しようとするイギリス・フランスがクリミアで激突した戦争である。
 この戦争は、クリミア半島というローカルな場所での戦争ではなく、ドナウ川流域でもバルト海でもカムチャッカにおいても闘われた。即ち、列強の十九世紀後半の勢力圏を決っする世界的戦争である。
 それゆえ、この時、イギリスもフランスもロシアもクリミア戦争に釘付け状態だった。だからアメリカだけが抜け駆けで我が国に来航したのだ。

 このクリミア戦争から五十年後、日露戦争において我が国を屈服させようとして来航したロシアのバルチック艦隊は、クリミア半島に基地をおくロシアの黒海艦隊と合流して我が国に押し寄せてきた。

 このように、クリミア半島は、明治維新とその後の我が国の運命に密接にかかわっている。

 本日のロシア軍ウクライナ侵攻・クリミア掌握狙うの報道を見て、歴史上、同じところには同じ事が起こると感じた。

 この度は、次の事態に発展してゆくであろう。
 百五十余年前は、英・仏対露のクリミア戦争であったが、この度は、アメリカとロシアの対立が激化する。その中で、中東情勢が動き出す。
 そこで、次が問題。
 前は、英・仏・露が身動き出来ないときに、抜け駆けして我が国に攻勢をかけてきたのはアメリカである。
 では、この度の抜け駆け国は、何処か。

 答え。それは、中共である。
 動き出すのは、中朝国境つまり朝鮮半島情勢、そして、東シナ海だ。

 前は、アメリカの御陰で、我が国は、
 「大平の眠りを覚ます蒸気船、たった四杯で、夜も眠られず」、となった。
 この度は、・・・想定外はないぞ。
 断じて、狼狽してはならない。
 備えあれば憂いなし。覚悟を決め、国防体制を一挙に整える。
 何故なら、「国防は最大の福祉」であるからだ。

 二月二十八日、衆議院本会議で、二十六年度予算が可決された。
 私は、賛成票を投じた。
 安倍総理は、靖国神社に参拝して予算案を提出してきた。
 そして、これからおそらく未曾有の事態に遭遇することになる。
 この安倍晋三内閣を励まさねばならないと思う。
 従って、予算案に賛成した。

 本会議散会後、安倍晋三総理が、私がいる院内の第一控室に挨拶に来た。私は、総理と握手し、言った。
「予算の次は、直ちに、集団的自衛権行使の決断に突き進んでいただきたい」

 昨日三月一日、東京大手町のサンケイプラザのホールで、去る一月四日に帰天した同志遠藤浩一君の
「遠藤浩一さんお別れ会」があった。
 
 遠藤浩一君の最後の文章となったのが、亡くなる一日前の一月三日の産経新聞朝刊の「正論」である。
 それは「『観念的戦後』に風穴開けた参拝」
と題されたまことに重厚な論考であった。
 この「正論」を、遠藤君は次のように締めくくった。

「民主党政権という悪夢のような現実を精算し、安倍政権が誕生して1年。・・・安倍首相の真の目標は憲法を正して『戦後』に終止符を打つことにある筈だ。
 このすぐれて現実的な目標を達成するには、粘り強さと周到さが求められる。そして現実主義と現実肯定主義を峻別し、後者の罠に嵌らぬように注意することだ。
 その意味で、首相の靖国神社参拝は観念化した『戦後』から脱却するための大きな一歩といえる。」

「お別れ会」で、別れの挨拶にたった私は、
「二月二十八日の予算可決後に、安倍総理と握手して
『集団的自衛権行使の決断』を促したが、
それは、君が俺に言わせたのだ」と言った。
 そして、「蛍の光」の戦後GHQに奪われた第三番の歌を歌った。
 これは決して別れの歌ではない。
 遠藤浩一さん、また会おう、と。
 ・・・筑紫の極み、道の奥、
     海山遠く 隔つとも、
      その真心は、隔てなく、
       一つに尽くせ、国のため・・・