【単刀直言】
小松法制局長官「見解示す最高責任者は首相、当たり前じゃないですか」
「解釈改憲は過去にもある」
小松一郎内閣法制局長官=東京都千代田区の内閣法制局(撮影・伴龍二)
心ならずも1カ月近く入院することになり、安倍晋三首相はじめ内閣に大変ご迷惑をおかけした。国会審議にも並々ならぬ支障をもたらしてしまった。大変申し訳なく、心からおわびしたい。私の病状は菅(すが)義(よし)偉(ひで)官房長官が話された通り、腹(ふく)腔(くう)内に腫瘍が見つかり、入院中に抗がん剤治療と化学治療を受けていました。
安静にしていればよくなるという話でもありません。私が直訴して復帰を願ったとの報道もありますが、しかるべきタイミングで外来に切り替え、週に1回程度の通院は必要だが、職務復帰は可能だとの判断を医師団にいただき、24日に職務に復帰しました。
1月31日に首相の見舞いを受けた際は「とにかく健康第一でやってください」と励まされました。復帰したからには誠心誠意、責務を果たしたい気持ちです。25日の閣議でも、私から「一生懸命やらせていただきます」と申し上げ、首相から「よろしくお願いします」との言葉をいただきました。
私は非常に異例とされる人事で内閣法制局長官を命ぜられました。首相は第1次内閣のときから「安全保障の法的基盤の再構築」に非常に強い思いを持っています。集団的自衛権の行使は重要な一部ですが、すべてではありません。
私も病床で国会中継を見ていましたが、首相は非常に詳しく説明しています。わが国をめぐる安全保障環境が非常に厳しさを増す中で、やっぱり安全保障の中心的な柱は「抑止」です。こういう事態が起これば、こういうことをやることができますよと示し、けしからんことを考える国があったら、その場合のコストを認識させ、危ない乱暴なことをやらないようにしようというのが抑止の中心です。
そして、それよりももう少しグレードの低い事態というのはいつでも起こりうる。しかし、法律が十分に整備されていないがために穴があいているのです。
国民の最大の関心は「アベノミクス」の成功で経済が再生することです。日本は戦後、有数の経済大国を築き上げてきた。これは安全保障がきちっと守られてきたからです。自衛隊とともに日米安保体制の両輪がまさに抑止となった。安全保障の法的基盤をしっかりすることは、経済再生の大前提だと思っています。
首相が立憲主義を否定したという報道ですか? まったく、そんなことはないと考えています。内閣として見解を示すときの最高責任者は誰なんですか。法制局長官ではなく首相だというのは当たり前じゃないですか。
内閣が見解を示すにあたって、一定の合理的な制限があることは当然の前提として述べておられるのであって、自分が選挙を通っているから、何でも変えられるんだと述べておられるはずがない。立憲主義に反するというのはおよそ的外れの批判だと思います。
実際に耳で聞いているわけではありませんが、阪田雅裕元内閣法制局長官が、今までの見解は指一本触れることはできないと言っているように報道されています。
そうだとすると、私が長官になる10年も前に、厳しい制約があるのは当然だが、十分熟慮した上で真に至当と認められる場合には、憲法解釈の変更はまったく認められないというわけではないとちゃんと答弁している。阪田氏がそれを否定しているとすると、どうなのかなと思います。
政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」から報告書が出たら、首相の問題意識も踏まえ、われわれは法のプロフェッショナルとして意見を言わなくてはいけない。政策的な意見を述べるというのがわれわれの役割じゃありません。論理的整合性、法的安定性を十分に勘案した上で、どういう意見を言うべきかを6カ月間、ずいぶん議論してきたつもりです。そのときに恥ずかしくない仕事をみんなとしたいと思っています。(峯匡孝、坂本一之)
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こまつ・いちろう 昭和26年、神奈川県出身。一橋大在学中の46年に外務公務員採用上級試験に合格し、中退して47年に入省。主に条約局関係の部署を担当し、欧州局長、国際法局長などを歴任。平成23年9月から駐仏大使。25年8月、安倍晋三首相の意向で外務省出身者として初めて内閣法制局長官に就任した。今月21日まで約1カ月間入院し、24日に職務に復帰した。62歳。