事に臨み責務果たせる自衛隊に 帝京大学教授・志方俊之
このところ、「言わずもがな」のことを言い、内外で顰蹙(ひんしゅく)を買う政治任用者らがいるのには驚くが、政治で最も大切なのは「言うべきは言う」ことだ。
≪もう許されぬ政治の先送り≫
目下、衆院予算委員会で審議されている個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障への参加という3つの基本的問題は、冷戦時代とは異なり、わが国を取り巻く安全保障環境が大きく変わったにもかかわらず、政治が「先送り」してきたことばかりだ。
これらの問題では、わが国の政治は、国民への説明が不十分、に始まって、政府が与党に了承を取っていない、与党内部の論議がされていない、国会で与野党間の論議が不十分、で終わる、ただ先延ばしするためとしか思えない論議を延々と続けている。
しっかり討議する必要があるとはいえ、国会に提起されてから半世紀余も時間をかけている。百歩譲って、周辺の戦略環境が激変しだした冷戦後を起点としても20年以上である。この基本的問題に果敢に取り組む安倍晋三政権の勇気に期待してやまない。
政府の有識者会議、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)での論議のうち何をどの程度、そしていつ、政治が現実のものとして取り込めるか、なお定かでない。
だが、今、勇気をもって政治決断をしないと、実は間に合わないことばかりだ。社会、経済の問題なら、事象が現れてからでも懸命に「対応」すれば、取り返しがきかないわけではない。
これに対し、安保、防衛の問題はひとたび事が起きてしまえば、その時点での現実から国際社会の関与が始まり、ほとんどの場合、一国で対応できないことが多い。したがって、安保、防衛の問題では、事象の発生を「抑止」することが大切なのである。
わかりやすい例として、尖閣列島をめぐる「領域警備」の問題が挙げられよう。領域警備、とりわけ島嶼(とうしょ)防衛は、国際社会が最も介入し難い問題である。
≪島嶼防衛は他力依存できぬ≫
いや、日米安保体制があり、米国は、水陸両用車などの装備導入面で自衛隊に協力し、実動部隊の日米共同訓練(例えば、米コロナドで離島奪還を想定して行われた訓練)も鋭意実施しているから、何か起きても、米軍は必ず島嶼防衛で加勢してくれると思っている読者もおありだろう。
それは大きな間違いだ。これらの動きは、あくまで「抑止」の範囲なのであり、島嶼防衛作戦への「参加」を保証しているわけではない。どの国でもむしろ、そんな有事にこそ外交的なフリーハンドを持っておきたいと考えるのが国際社会の常識である。
陸上自衛隊を与那国島に配置し、水陸両用団を編成しようとしているのは、島嶼奪還作戦を可能にするためというよりも、近隣国がわが国の離島に上陸して占有の既成事実を作る誘惑を抑止するためにほかならない。難破漁船の乗組員を装った特殊部隊を上陸させたり、特殊工作員を潜水艦から水中スクーターで潜入させたりするかもしれないのである。
正規軍による島嶼奪取作戦はさほど難しいことではない。戦史をひもとけば、失敗例は少ない。奪取した時点から、国際社会で非難の集中砲火を浴びるばかりか、今度は奪還される側に立たされるとはいえ、島嶼に手を出しかねない誘因は、そこにある。
「安保法制懇」は先頃、4月に政府に提出する報告書の骨格を明らかにした。武力攻撃に至らない状況に際しての領域警備、在外邦人救出など個別的自衛権発動、集団的自衛権行使の要件に関する事態が例示されている。
≪事態明確化と法制度整備を≫
これらの事態には「グレーゾーン」「タイミング」「フロントライン」という3つの共通項がある。国会で論議して自衛隊法何条に拠(よ)るといった行動命令を即断できないような中間領域の事態、国会では対応できず国家安全保障会議(NSC)で決めるにせよ決断のタイミングを失すると大きな外交的負担を伴う事態、政治決断したとしても第一線の自衛隊員が迷うことなく行動しなければならない事態の3つである。
現場で任務を遂行する自衛隊員が、これは「武力行使」に当たるのか、「武器の使用」になるのかなどと、頭を悩ませるようなことがあってはならない。
自衛隊員は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」と誓う。隊員たちが「事に臨んで」、自身の行動が憲法に反するのではないか、自衛隊法の何条に当たるのかなどと現場で思い巡らすようでは、「責務の完遂」など到底おぼつかない。
明確な事態の定義と説明、法制度の確立、それに基づく部隊訓練の積み重ねがあって初めて、領域防衛もできるし、海外での邦人救出も可能になる。そして、それこそが、「文民統制(シビリアンコントロール)」の下における、政治の責任なのである。(しかた としゆき)