追悼は日本の文化。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

【産経抄】2月7日


野村秋介といっても、若い人には、ピンとこないだろう。右翼団体の元会長だった野村氏が、朝日新聞東京本社に乗り込み、応接室で短銃自殺してから、もう20年以上たつ。

 ▼自身の政治団体「風の会」を週刊朝日が、「虱(しらみ)の党」と揶揄(やゆ)した問題で、話し合っている最中だった。当時の首相は、都知事選に立候補している細川護煕氏である。演説する姿に老いが目立つのも、当然かもしれない。

 ▼NHK経営委員で哲学者の長谷川三千子氏が、没後20年を機に発行された文集に、野村氏の自殺を礼賛する追悼文を発表していると、毎日新聞が一昨日、1面トップで報じ、朝日新聞もきのうの紙面で追いかけている。どちらも経営委員に不適格だと、批判的なトーンで書かれている。

 ▼もとより、暴力によって、政治的敵対者を威嚇する行為は、絶対に許されるものではない。同時に日本では、死者に鞭(むち)打つのは恥ずべき行為とされてきた。命日に追悼するのは、日本の誇るべき文化のひとつである。歴史的仮名遣いで書かれた長谷川氏の追悼文は、野村氏の死の意味を深く考察した名文といえる。ただその行為を称賛しているわけではない。

▼NHK経営委員が、個人の思想を公にしてもなんの問題もない。にもかかわらず、最近の朝日、毎日両紙には、長谷川氏と同じ経営委員の作家、百田尚樹氏の発言をとがめる記事が目立つ。これこそ、両紙が日頃批判してやまない、特定の人物に対する「言論封殺」ではないのか。

 ▼武闘派のイメージが強い野村氏だが、交友関係は広かった。その一人、故筑紫哲也氏は、野村氏の娘さんの結婚披露宴に招かれるほどの仲だった。リベラルの代表だった氏なら、野村氏を擁護しても問題にならなかったかもしれない。