「命を頂いて生かされている」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 



ケネディ女史「イルカ漁残酷」に文化理解されぬ「和歌山」の悲しみ…。
「命を頂いて生かされている」精神理解されず、一方的な批判ばかり。

産経ウェスト


ツイッターでイルカの追い込み漁を批判したケネディ駐日米大使(左)と、それに反論した仁坂吉伸・和歌山県知事

「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」。1月18日、キャロライン・ケネディ駐日米大使が短文投稿サイトのツイッターに書き込んだ内容が波紋を広げている。ネットではケネディ駐日米大使の発言に世界中から賛否両論が寄せられ、菅義偉官房長官や和歌山県の仁坂吉伸知事も反論した。イルカの追い込み漁を行っている同県太地町の漁師たちは、困惑するばかりだ。

双眼鏡やカメラで…

 今年1月中旬、まぶしい朝日が降り注ぐなか、Y字型に入り組んだ太地町の畠尻湾に、ドクロのマークが描かれたそろいの黒いジャンパーを着た外国人が約10人、太平洋を望むように立っていた。米反捕鯨団体「シー・シェパード(SS)」のメンバーやその支援者たちだ。

 メンバーらは双眼鏡で湾の方を見たり、カメラの望遠レンズでシャッターを切ったりしている。湾を見下ろせる場所から追い込み漁の様子を撮影し、インターネットで発信して世界にアピールしている。

 その様子を監視するのは、湾の前に設置された臨時交番に常駐する警察官だ。追い込み漁期間中は24時間態勢をとり、さらに海上保安部の船が「もしものとき」のために待機している。 

 この日の漁で捕獲されたイルカは約500頭。入り江ではイルカを選別する仕分け作業が行われ、子供などの小さいイルカは放し、親子と判別できれば親とともに海に帰す。そうして約400頭を逃し、残りは水族館に運ばれたり、食用として処理されたりした。仕分け作業には全国の水族館の関係者らも立ち会っていた。

「法令に基づき適切に実施している」

 ケネディ駐日米大使のツイッター発言があったのは、こうした漁の矢先だった。

 すかさず菅官房長官が20日の記者会見で、「イルカ漁はわが国の伝統的な漁業で、法令に基づき適切に実施されている。米側に日本の立場を説明していく」と言及。翌21日には、仁坂知事が「米国は国として捕鯨に反対している。外交官として反対と言わざるを得ないのだろう」とした上で、「われわれは牛や豚などの命を奪って生きている。食肉処理場には目をつぶって、イルカや鯨を殺しているところだけ残虐というのは論理的ではない」と反論した。

 さらに、「日本人は数少ない資源を大事にしてきたという自負がある。乱獲で資源がなくなるような捕り方はしておらず、自然の恵みに感謝する文化をずっと続けている。そういった全体をよく理解してもらいたい」と強調した。 

 また太地漁協の組合幹部も「昔から続けてきた生業を非難されることは納得がいかない。できれば太地に来て、細々と漁を続けている現状と実際のやり方などを見ていただきたい」と話した。

「400年の歴史」と食文化

 江戸時代から約400年の歴史をもつ国内古式捕鯨の発祥地である太地町は、人口約3400人。「くじらの町」として知られる。

 太地漁協によると、追い込み漁は毎年9月1日に解禁される。組合員約400人のうち、追い込み漁を生業とする「いさな組合」の漁師は24人。泳ぐ鯨類を船から銛で狙う「突きん棒漁」の組合員は約30人で、残りの漁師たちは定置網漁や1本釣り漁などで生計を立てているという。

 太地では古くから「肉といえばクジラ」だった。平地や川のない町にとって貴重な栄養源で、生活の糧でもある。「小さい頃から、すき焼きといえばイルカやクジラ」ともいわれ、店頭にはクジラやイルカの肉や加工食品が並ぶ。クジラ料理は飲食店で食べることが多く、イルカ肉はどちらかというと刺し身やすき焼きとして家庭で食べられているという。

1本の映画で静かな漁村が一変

 平和だった漁村を揺るがすきっかけになったのが、同町のイルカ漁を批判した米映画「ザ・コーヴ(入り江)」だった。漁師たちが入り江に追い込んだイルカの群れを鉄の棒で突き、海面が真っ赤に染まる場面などが映し出された。漁協の組合員を「ジャパニーズマフィア」と称するなど、町内では反発と戸惑いの声が広がった。

 以降、町内には反捕鯨団体に属する外国人らの姿が目立つようになり、伝統漁法の「追い込み漁」が始まるとさらに、重苦しく緊迫した空気に包まれた。

 映画がアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞すると、町役場には国内外のメディアが殺到した。インタビューの一部を切り取って報道したりするなどし、町関係者からは「真意が伝わらないといったじくじたる思いがあった」との声ももれた。

 漁協関係者らによると、SSが常駐するようになったのも映画公開以降だという。常駐するのは大半が団体の支援者で、常に10~20人が入り江付近で監視活動をしている。以前は執拗にビデオで撮影したり、漁師に暴言を吐いたりするなどの嫌がらせ行為が多発したが現在、トラブルの発生は聞いていないという。

ただし、映画は町のイメージを国際的に悪化させ、ネット上の中傷は今も続く。ある町関係者は「以前は漁を妨害するなどの行為が多かったが、今はネットの中傷で世界中から同情を集め、寄付金を募っているようだ」と話した。

慰霊碑でイルカに感謝する漁師たち

 イルカを含む小型鯨類漁に関しては、東日本大震災前には岩手県で盛んだったほか、沖縄県や千葉県でも行われている。太地の追い込み漁は、沖合で捕獲する突きん棒漁と違い、陸地から捕獲現場を見ることができ、「入り江が血で染まるなど残忍さを訴えやすいことから反捕鯨団体のターゲットになったのでは」という声もある。

 太地漁協によれば、伝統ある追い込み漁も時代の流れとともに、処理方法を変えるなど、太地の漁師たちは自主的なやり方を確立し、国の捕獲許可数よりさらに厳しく捕獲数を限定しているという。

 また、漁期が終わる4月には、鯨やイルカの供養を慰霊碑がある高台の公園で行っている。命をいただいて、自分たちは生かされている-。漁師たちは、感謝の気持ちをもって慰霊祭に臨んでいる。

 三軒一高(さんげん・かずたか)町長は「町として追い込み網漁業を守り続けていくという強い思いがある」と力を込めた。捕鯨をめぐるデリケートな問題を抱えながらも、追い込み漁は太地の文化であるとともに、誇りでもある。イルカ類の追い込み漁は2月まで続く。

伝統的な追い込み漁で捕獲されたイルカの群れ=太地町の畠尻湾