西村眞悟の時事通信より。
No.933 平成26年 1月18日(土)
十七日、福島県南相馬郡飯舘村を訪れた。
平成二十三年三月十一日の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の後、時の菅直人内閣は、「放射能汚染」を理由に、飯舘村全村民の退去を命じた。
しかし、その「放射能汚染」は、人に有害な「汚染」の程度に達していなかった。従って、私や特定失踪者調査会の荒木和博さんなど、旧民社党系の仲間は、平成二十三年六月、安全な飯舘村を守らねばならないという思いで、放射線医学専門のドクターと共に退去準備中の飯舘村を訪れた。
飯舘村に入って、村役場前、細川牧場など放射能値を計測し、村は安全であり村民退去の必要性なしとの結果を得て、村役場で菅野村長に会ってそのことを伝えた。
このことは、前に本通信で書いたので詳述しないが、その後の結果は、内閣のしつこい強制により、結局、全村民が村から退去して以後現在まで三年近く、村に村民はおらず、田畑や山林は荒れ放題である。
元気なのは村の猪や猿だ。当たり前だ、宇宙飛行士の調査からも明らかな低線量率の放射線はむしろ体によいというホルムシス効果を、退去しなかった猪や猿が享受しているのだから。
以後私は、たびたび飯舘村を訪れ、この度の訪問は五度目になる。
まず、十七日の村内と近接地と十八日の今私のいる大阪府堺市の放射線量は以下の通りだが、その前に、放射線量が安全か安全でないかの基準を、放射線防御学専門の札幌医科大学高田純教授の著書から引用しておく。
放射線量6段階区分と人体影響のリスク
A、4シーベルト以上 致死・・・広島、長崎、ウイグル
B、1~3シーベルト 急性放射線障害・・・チェルノブイリ
C、0.1~0.9シーベルト 胎児影響 後障害
D、2~10ミリシーベルト かなり安全 医療検診
E、0.02~1ミリシーベルト 安全
F、0.01ミリシーベルト以下 顕著な残留核汚染がない
(ミリシーベルト:シーベルトの1000分の1)
(マイクロシーベルト:シーベルトの100万分の1)
レベルAを全身で受けると100人中50人が60日以内に死亡する。
レベルBはめったに死ぬことはないが、急性の病気になる。一時的な嘔吐、脱毛、白血球減少。健康回復可能。将来、ガンになる確立高まる。
レベルCも発ガンのリスクあり。胎児へ影響を与える確率が発生する。病院の診療ではこのレベルCの線量を妊婦に与えないようにしている。
レベルCとDの間はD+とされ、放射線作業従事者の年間限度の範囲。
レベルDは、自然界にある年間線量やCT検査や放射線診断線量程度。
レベルEは、胸部X線撮影や歯科のX線撮影程度。
D~Fは、医療対処不要の安全領域である。
以上、引用終わり。
以下、この度の計測線量
福島駅 0.13マイクロシーベルト
飯舘村近くの川俣トンネル口 0.17 マイクロシーベルト
川俣町・飯舘村境 0.22マイクロシーベルト
飯舘村細川牧場 小屋下 4.24マイクロシーベルト
小屋付近 2.07マイクロシーベルト
放牧地 1.82マイクロシーベルト
飯舘村役場 0.44マイクロシーベルト
綿津見神社 社殿前 0.78マイクロシーベルト
参道付近 1.17マイクロシーベルト
大阪府堺市 0.15マイクロシーベルト
この通り、飯舘村は、高田教授の分類によるレベルFで安全である。飯舘村は初めて訪れた平成二十三年の時から一貫してレベルF圏内にあり、危険なレベルにはじめから達していない村なのだ。
そして、この安全な村から、全村民七千名を追い出して生活の基盤を奪ったのが菅直人内閣である。
二十一世紀の平成の御代に、このような権力の根拠なき濫用、暴虐を許していいのか。
また、この権力濫用による、村民の生活破壊と国富の消尽を、安倍内閣は何故止めようとしないのか。
村民の村外追放と、除染と称する肥沃な表土を剥がして耕作不能地にする国富の破壊作業は今も続いている。
昭和二十年八月六日、被爆直後の広島は飯舘村の数千万倍の放射線量(レベルA)に覆われたが、除染もせずに人が住み続けて現在に至っているではないか。
安倍内閣が、原子力発電の再稼働を目指していることを評価するものであるが、そうであるならば、一刻もはやく、
現在福島県内で進行中の多くの村民・町民の不当な生活破壊を停止して住居復帰を宣言し、
除染と称する国富消尽を止めることを決断するべきである。
我が憲政史上最低最悪の民主党内閣、菅直人内閣の、
間違った左翼的反核思想に基づいた権力の濫用・暴虐による現在も進行している被害を、停止させ復元させることも安倍内閣の使命であることを自覚されたい。
一刻もはやく、科学的な放射線防御学に基づいて、福島県内の安全レベルの再確認を行い、
飯舘村をはじめとする安全地域への住民復帰宣言を発出されたい。
NHKは、明治期に、足尾鉱山の鉱毒によって汚染された渡良瀬川の鉱毒の貯水沈殿池にされて水没する谷中村を守るために立ち上がった田中正造とその群像を描いたドラマを放映するらしいが、
何故、明治のことではなく、
まさに、この現在の飯舘村を守らねばならないとは思わないのか。つまり、田中正造が現在に生きておれば、飯舘村に住み着くだろうと何故思わないのか。
そこで、飯舘村訪問のもう一つの大きな目的を述べる。
それは、全村民の退避強制のなかで、一人村に残留して二度の越冬を経て三度目の越冬を迎える
飯舘村郷社綿津見神社の、多田 宏宮司をお訪ねすることである。昨年、一昨年に続き三度目の訪問である。
飯舘村に一人留まり続ける神職ありと知ったとき、
かつて、水没する谷中村に一人留まった田中正造を思い浮かべた。そして、そこが村の神社であると知り、
多田宮司は、飯舘村を護り日本を護っているのではないかと思った。
田中正造が、谷中村を護ることが日本を護ることであり、谷中村を滅ぼすことが日本を滅ぼすことだと言っていたからである。
その意味で、飯舘村を滅ぼそうとした菅直人内閣はまさに亡国の内閣であり、飯舘村の多くのご先祖が手を合わせて拝した神々とともに綿津見神社に留まる多田宮司は、飯舘村と日本を護っておられるといえる。
何故なら、「大日本は神国也」(「おおやまとは神の国なり」、神皇正統記 北畠親房)だからである。
突然、綿津見神社の社務所のベルを押すと、無人かなと思われた社務所から神主の白い装束を着た素足の多田宮司が出て来られた。
日中でも零度に近いのに素足とは驚いたが、宮司はきわめて健康そうである。この宮司の健康状況も、飯舘村が安全でありむしろ健康によいということを示すものである。
多田宮司は、一人神社で生活され、神前に氏子二百名の名前を唱えられているという。
神社に来る道にお寺があったが、住職は寺を離れて避難しているらしい。
「坊さんは、因果じゃ、とか言ってさっさと諦めるが、いざとなれば、行動的なのは神主ですなあ、神風連も皆神主でした」と言うと、
「神道は、自然と共にありますから」と多田宮司は言われた。
昼間はともかく、夜は人っ子一人おらず、反対に猪などが傍若無人に出没しませんか、と尋ねると、近くに大きな猪が時々いて、境内の風呂に行くときなど威嚇してくると応えられた。
神社をあとにしてから天気予報を聞くと、夕方から飯舘村は氷点下に下がっていくとのことだった。
飯舘村郷社綿津見神社宮司、
多田 宏様のご健勝を切に祈る。
なお、産経新聞には、飯舘村出身の若い女性の記者がいて、福島支局に所属し郷里の飯舘村を取材している。
そして、十七日、彼女も私と共に多田宮司をお訪ねした。
飯舘村を護ることは日本を護ることである。
よって、彼女の三年にわたる郷里飯舘村の取材が、
いずれ産経新聞の特集に実を結び、
飯舘村再興、即ち、日本再興に期することを祈る。