何が「二強」か、「二弱」じゃ。強いのは田母神! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 



西村眞悟の時事通信より。




No.932 平成26年 1月15日(水)

 

 本日の産経新聞朝刊第一面の大見出しは、
 三人の白髪と禿げの写真の上に、何と、
  「都知事選『2強対決』」

 早朝この見出しを見て、
 神楽坂は赤城神社の近くなる「酒たまねぎや」の国を憂う主人、
木下隆義さんがよく使う言葉が、口からでた。
   「あほらし」

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 さて、今朝の報道は、「桝添氏」「細川氏」という名前と両氏の写真を掲載しているので「2強対決」とは、「細川、桝添」のことだと一目で分かる。
 しかし、何故、これらが「2強」なのか分からない。
 よって、本稿では、これらは「2強」ではなく「2弱」であることを述べる。
 そして、何が日本を明るくするのか、「強い」とは何かについて確認したい。
 
 その前提として、まず、我々日本国民が、つい昨日、苦々しく経験した教訓を噛みしめようではないか。
 それは、口車に乗って投票して当選させた奴が、
 実は、最低だった、という教訓だ。
 そう、四年前の衆議院総選挙での教訓。

 あの時、国民が選んだ民主党政権は、明治に内閣制度が発足して以来の最低・最弱の内閣だった。
「弱」とは、我が国の国力を弱め国民の意識を希薄化させて人心を退廃させ、近隣諸国からの外圧に対して我が国を対処不能に陥れることである。
 この「弱」の先には「亡国」しかない。
 民主党政権とは、こういう政権だったではないか。
 
 しこうして、この民主党政権の最低・最弱を象徴する人物が、世界からルーピーと呼ばれた鳩山由紀夫という御仁だとするならば、
彼と双子のような御仁が細川護煕という今朝の写真の人物なのだ。
 目つきからしてそっくりではないか。
 目は口ほどにものを言う。
 四十過ぎれば、顔に責任を持て。
 この観点から、これからTVの画面でこの御仁を点検していただきたい。

 個々の人物については、告示も迫っているので、もう書かないが、「強と弱」、「明と暗」そして「脱戦後と戦後」という観点から分類しておきたい。
 言うまでもなく、「強と弱」とは今朝の新聞の見出しのような観点ではない。
 抽象的ではなく具体的な我が国に迫る内外の危機を、如何にして克服するかという切実な問題意識から、
選出されるべき首都東京都の知事は、「強」であり「明」であり「脱戦後」でなければならないという観点から述べる(以下、敬称略)。

 まず、「戦後」とは「敗戦国体制」のことである。
 従って、「脱戦後」とは「脱敗戦国体制」のことであり、
従って、必然的に「明るく」そして「強い」のだ。
 「敗戦国体制」とは「日本は悪いことをした国だ」と思い込んで誇りを失い近隣諸国に謝り続ける体制であり、「明るく、強く」あれるはずがない。

 そこで、元航空幕僚長田母神俊雄、
 元総理大臣細川護煕そして元厚生労働大臣舛添要一の三人であるが、
 
 田母神俊雄は「脱戦後」で、従って「明るく強い」。
 しかし、
 細川護煕と桝添要一は共に「戦後」で、すなわち「暗く弱い」。

 考えても見られよ、この三人の中で、
歴史認識において「日本は良い国だ」と言ったのは、
田母神だけではないか。
 他の二人は、言ってない!
 言っていないどころか、一人は総理大臣として初めて、「日本は侵略国家だ」と言っている。
 従って、この三人の中で、靖国神社に参拝しているのも、
田母神だけだ。
 日本は良い国だと、言わないか言えない者が知事になって、
日本の首都東京が明るく強くなり、ひいては日本が明るく強くなるはずがないではないか。

 どうかこの単純明快な基準を、いつまでも堅持し、我が国を戦後から脱却させていこうではないか。
 そうでなければ、我が国は、中国共産党の心理面・軍事面の攻撃を跳ね返せず、遂にかの国のおぞましい属国に堕ちる。即ち、亡国だ。
 
 その亡国をくい止める本年の救国の初戦が、
 東京都知事選挙における田母神俊雄選出なのだ。

 この度の東京都知事選挙には、
 実に、我が国家の興廃がかかっている。
 従って、世界が注視し、特に、支那と朝鮮半島が、重大な関心をもって眺めている。
 そこで、この世界注視のなかで、
 我らの先祖と子孫から、
 まことに、単純明快な基準に基づいて結果を出す責務が我らに課せられている。
 それは、
 「日本は、首都東京から、強く、明るくなる!」
 という結果だ。