世界では有り得ない事。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 



ねず様のブログ・ねずさんのひとりごとより。


国営放送





アメリカの大統領は、年中、テレビに出て、いま大統領が何を考え、どう行動しようとしているのか、米国民のみならず、世界に向けてその説明をしています。
映画などでもお馴染みのシーンです。
大統領だけではなく、広報官や、国務大臣その他、必要に応じて、閣僚たちもテレビに出て、その国民へのメッセージや、対外的ステートメントを発表します。

アメリカだけではありません。
世界中、どこの国でもこれは行われていることです。
なぜなら、政府は国民のためにあるものであり、その政府の発表は国民の生活に直接関わる大切なことだからです。

ところがわが国では、ほぼ毎日行われる総理の記者会見にしても、その一部を抜き取ったものがメディアで報道されるだけで、ひどいものになると、肝心の総理のお話は音声が消された映像だけになり、コメンテーターや番組アナなどが、それぞれに好き勝手な評釈を加えているということが往々にしてあります。
民放ならまだわかりますが、公共放送であるNHKまでがそんな状況です。

世界では、これはありえないことです。

さらにいうならば、東日本大震災後の陛下の国民へのメッセージについて、その全部を放送しない。
これまた世界の常識でいえば、まさにありえない出来事です。
はたして、国民にとって、陛下のメッセージ以上に大切な報道が他にあるのでしょうか。

そもそも陛下の御肉声のことを玉音と言いますが、2700年のわたしたちの国の歴史上、陛下が全国民に向けて玉音を発せられたというのは、史上2回しかありません。
一度目が、終戦のとき、二度目が東日本大震災です。

それだけ重要な、ましてや陛下のメッセージすら、番組の時間の都合とか、わけのわからない理屈をつけて、まともに放送しようとしない。
最早、これは常軌を逸しています。

番組のタイムスケジュールは、局の都合です。
国の都合は、それに優先します。あたりまえのことです。

またもし、そういうことを法律で規制しなければ実現できないのだとしたら、それこそ民度の低下です。
法は罰則を用いて人を裁き、支配するものです。
罰則がなければ言うことをきけない。道徳を重んじることができないというなら、それだけで、民度が低いということです。

そもそも法の中の最高法規は憲法ですが、憲法というのは、その国や民族の歴史伝統文化によって熟成されたその国や民族の伝統的価値観です。
歴史的に熟成されたその国の伝統的価値観ですから、世界には英国のように不文憲法の国もあります。
つまり、法以前に、歴史的に熟成されたその国の伝統的価値観があるのです。

ですからアメリカのようなキリスト教文化の国では、人は神との契約によるものですから、何よりも契約が尊重されます。
そして契約を不履行すれば、その履行を国家の力によって強制する。
そのために法があります。

ところがイスラム圏では、すべては「インシャーアッラー(神が望みたもうならば)」です。
いまこの瞬間も未来も、すべては神のご意思によるものであり、契約は人と人とのものにすぎないから、契約が守れるかどうかも「インシャーアッラー(神が望みたもうならば)」です。
今日契約しても、明日になったら神のご意思は変わっているかもしれない。
ですから人と人との契約は成り立たないし、それを強制するのも「インシャーアッラー(神が望みたもうならば)」です。

これが支那に行くと、契約や約束事は、すべてその場しのぎの言い逃れです。
あくまでも自己都合だけが優先事項であり、皇帝の都合と民間の都合が対立すれば、皇帝は民を殺す。それだけのことです。
だからいつまでたっても、近代化しない。

ちなみに、私は支那のことを「支那」と書きますが、支那という字は「たくさんの(那)枝葉(支)」という意味の漢字です。
支那にはたくさんの価値観を異にする民族がいます。
漢人にしても、農民と客家(あとから支那に住み着いたから客人です)では、文化も伝統も歴史も価値観も違います。
共産主義者と、法輪功のような歴史や文化を大切にする人々も、まるで違います。
いまの中共政府の版図は、旧清朝の版図を模していますが、その清朝当時ですら、チベットやウイグル、モンゴル、満洲などは、別な民族、別な国家です。
要するに、まったく別な異なる文化を持つ様々な民族がたくさん集まっている地帯だから「支那」です。
これは差別用語でもなんでもありません。
世界中の国々が、支那のことを支那と呼んでいます。
中国というのは、日本の鳥取、島根、岡山、広島、山口のことです。

話が脱線しましたが、わたしたち日本人にとって、では国というのは何かといえば、日本人にとっての共同体です。
そして日本は、世界最古の民族国家であり、日本人には日本人の歴史伝統文化があり、日本人として共有する価値観があります。

そして、政府の公式声明は、日本国民にとっては、きわめて重要性の高いものです。
早い話が、特定秘密保護法にしても、安部総理は、メディアの前でちゃんとその成立経緯とその目的と内容等について、きちんと説明責任を果たしています。
いま、問題は、それをメディアが、まるでちゃんと放送しないということです。

幸い、ネットの普及のおかげで、その気になれば国民は見ることができます。
けれども、逆にあれだけメディアが賛成意見を一切出さないという極端な偏向報道に走ったならば、政府はメディアの放送権を一時剥奪してでも、政府声明を国民に広報してもよいのではないかと思います。

すくなくとも、米国では、大統領の緊急発言となれば、すべてのメディアは、どのチャンネルを回しても、同じ大統領の発言の番組になります。

支那の軍事脅威がますます高まる中、そろそろ日本は国家緊急時の対応、そして政府によるメディア統制について、議論を進めるべきときにきているのではないでしょうか。

また、もうひとつ、政府による広報の重要性の問題があります。
昔、支那国民党が日本と戦っていた頃、蒋介石はほとんど毎日のように世界中の記者を集めて、毎日、あることないこと、日本がいかに非道であるか、我々がいかに勇敢に戦っているかなど・・その九割方は嘘ですが・・説明をしていました。

なぜ蒋介石がこのようなことをしたかといえば、蒋介石は第二次上海事変で、約60万の大軍を集め、1万個に及ぶトーチカを用意し、ドイツ軍からその最新鋭の装備を買い受け、ありとあらゆる恥辱を日本に与えて日本を挑発し、やってくる日本軍を全滅させてやろうと待ち受けたわけです。
ところが蒋介石は、またたく間に日本軍に負けてしまう。

蒋介石の国民党軍というのは、軍需を維持するための国内インフラを持たない軍です。
つまり、軍が必要とする武器も兵器も、資金も、全部外国からの援助に依存していたわけです。
しかも、国民党軍は、政府ではありません。
法を作り、それを執行する機関さえありません。
では、蒋介石がどうやって軍を維持し、兵を集めていたかといえば、資金も兵器も全部外国に依存し、そしてその武器で、一般の民間人に銃を突きつけて兵を徴発していたわけです。

ところが蒋介石は、そうやって集めた兵も、兵器も、最精鋭の部隊も、またたく間に、圧倒的少数の日本軍に打ち負かされてしまう。
そこで軍ではもう絶対に日本に勝てないと知った蒋介石は、ひたすら広報活動、つまり情報戦で、日本に勝とうとしたわけです。



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