〝永遠の0〟「恐らく帰れない」…覚悟の真珠湾攻撃。
元飛行士語る。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131220/wlf13122011400007-n1.htm真珠湾攻撃に参加した城武夫さん=大阪市港区
第二次世界大戦で真珠湾攻撃に参加した元飛行士を迎えた講演会「真珠湾攻撃の飛行士が語る」(ウェーブ産経主催)が19日、大阪市港区のホテル大阪ベイタワーで開かれた=写真。昭和16(1941)年12月8日に第一次攻撃隊の一員として出撃した城武夫さん(94)は「飛行機から戦艦をめがけて魚雷を発射しましたが、命中した際の水柱と、燃え上がる煙で想像以上のすごい状況でした」と証言した。
城さんは大正8(1919)年、香川県生まれ。昭和9年に横須賀海軍航空隊予科練習部に入隊。鹿児島県の錦江湾で訓練を経て、空母「飛龍」でハワイへ向かった。
約650人の参加者を前に、低空から魚雷を発射する訓練を積んだことなどを説明。開戦前夜は艦長から酒を振る舞われ、「恐らく帰れないだろう」と覚悟を決め、隊員は自分の髪や爪を残し、遺書を記したことなどを明かした。
陸自八尾駐屯地で零戦特別飛行 昭和19年、サイパンで米軍に接収され、カリフォルニア州の航空博物館で保存されていた零戦。「ゼロ戦を故郷に迎える実行委員会」(梶山治代表世話人)の働きで招かれた。米国人兄弟によって戦没者慰霊をかねた特別飛行が披露された =昭和54年1月15日、大阪府八尾市の陸上自衛隊八尾駐屯地【撮影日:1979年01月15日】