
今日は、新嘗祭の日なので、それにちなんでお米の話をしてみたいと思います。
稲穂が稔り、収穫の時を迎える10月15日から25日には、伊勢神宮で「神嘗祭(かんなめさい)」が行われます。
これがどういう行事かというと、その年に取れた新らしい「穀」を、最初に神様に捧げて感謝するために、陛下が御神酒と御神饌(しんせん)を伊勢神宮に奉る祭儀です。
陛下は、お手ずから稲を栽培されますが、この時期に天照大神(アマテラスオオミカミ)様に、今年の作柄のご報告と感謝を捧げられるのです。
そしてこの神嘗祭に続いて11月23日に行われるのが「新嘗祭(にいなめさい)」です。
いまではこの日は国民の祝日として「勤労感謝の日」と呼ばれていますが、これは戦前から続いた新嘗祭を意識して、昭和23(1948)年にGHQが故意に名称を変えたものです。
勤労感謝がどうして11月23日かわかりませんが、新嘗祭については、記紀にも記載があって、仁徳天皇が新嘗祭を執り行なったという記述がちゃんと残っています。
新嘗祭は、古代から続く行事です。
この儀式は、宮中において、天皇が新米を神々に捧げて饗応するというもので、23日の夕方から始まって翌日の未明まで続きます。
神嘗祭、新嘗祭ともに、お米の収穫を祝う行事です。
なぜ米なのかというと、これがまた古い話になります。
日本の最高神は、天照大神様です。
天上においでになる天照大神様は、孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)様を、豊葦原の水穂の国(トヨアシハラノミズホノクニ))に降臨させました。これが「天孫降臨」です。
このときアマテラスオオミカミ様が、ニニギノミコト様に、次の神勅を与えたのです。
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豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、
これ吾が子孫の王たるべき地なり。
爾(いまし)皇孫、
就(ゆ)きて治(し)らせ。
行矣(さきくませ)。
寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、
當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし
(日本書紀巻二)
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これを口語訳すると次のようになります。
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豊かな葦原で、
秋になると稲穂がたくさん稲が稔る国は
私の子孫が統治する地です。
なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。
元気で行きなさい。
寶祚(天皇の御位)が栄えることは、
まさに天地と共に永遠で窮まりないことです。
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日本書紀ではこのようにかなり劇的な表現がされていますが、古事記の方の記述は、もうすこし簡素です。
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この豊葦原の水穂の国は、汝の知らさむ国なり
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と書かれています。
いずれも、降臨した天孫(ニニギノミコト)様が、アマテラス様から神勅を受けたことを示しています。
これが、「天壌無窮の神勅」です。
そしてニニギノミコトの曾孫が、初代天皇であらせらる神武天皇で、その神武天皇から延々125代にわたって続いているのが、わが国の天皇陛下であらせられます。
ニニギノミコト様は、アマテラスオオミカミ様から、稲穂の稔る日本を、授かったのです。
ですから代々の天皇は稲を栽培され、収穫が終わると新嘗祭、神嘗祭で、今年の収穫のご報告をされるのです。
神嘗祭は、神々が新らしくできた「穀」を嘗(な)めるお祭り、
新嘗祭は、新しくできた「お米」を嘗(な)めるお祭です。
ちなみに、天皇陛下が御即位された後に、初めて行う新嘗祭だけは、「大嘗祭(だいじょうさい)」といいます。
神嘗祭も、新嘗祭も、そして大嘗祭も、遠く神代の昔から毎年続いている大切な日本の行事です。
三島由紀夫は、命よりも大切なものは、この「天壌無窮の神勅」と「三種の神器」であると言い切りました。
また吉田松陰は、水戸藩の郷士、堀江克之助への手紙に、次のようにしたためています。
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天照の神勅に、
日嗣之隆興
天壞無窮 と有之候所、
神勅相違なければ日本は未だ亡びず、
日本未だ亡びざれば、
正気重て発生の時は必ずある也、
只今の時勢に頓着するは
神勅を疑の罪軽からざる也。
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口語訳すると、
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天照大神の神勅には、
天皇を頂点とする我が日本の興隆は
天地に終わりなし、とある。
日本はいまだ滅びていない。
ならば、日本が正気になるときは必ずやって来る。
だから、ただいまの時勢に翻弄されるのは
天壌無窮の神勅を疑うということである。
それは、決して軽くない罪である。
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今日の新嘗祭を寿ぎ、天壌無窮の神勅を信じて、明日の日本を取り戻そうではありませんか。