ねず様のブログ・ねずさんのひとりごとより。

FBの友人から、ご紹介いただいた動画です。
観て、ものすごく感動しました。
たまたまその日会った友人に、内容の話をしたのですが、途中から泣けてきて、詰まってしまいました。
是非、多くの方にご覧いただき、また、拡散していただきたいと思います。
=========
【女子高生の怒り
~ここの人らは歩いて来てくれはったんや~】
http://kokorodo.net/e1080
2年前旅行先での駐屯地祭で、例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生と思しき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で…云々」
少女「で、何しに来たんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる…云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や!!
寒い中ご飯作ってくれて
風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのも…ここの部隊の人や!!
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや!
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が…
ここの人らは歩いてきてくれはったんや…」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった…
団体は撤退・・・
彼女が門をくぐった時に守衛さんが社交辞令の軽い敬礼ではなく、直立不動のまま敬礼していた・・・
=========
平和憲法を護れとかいうまえに、災害救助に駆けつけてきてくれた自衛隊の若い隊員たちに感謝することが、どうしてできないのか。
私には、それが不思議でなりません。
軍は暴力装置だという人もいます。
なるほど諸外国の中には、権力者の都合のために存在する軍隊もあるでしょう。
けれど日本の自衛隊は、かつての帝国陸海軍も含めて、つねに私たち庶民のために存在していたし、いまも存在しています。
私たちの身の安全を図ってくれている彼らが、どうしてただの暴力装置というレッテルで片付けられるのか。
実に不思議なことと思います。
いくら能書きを垂れても、いざというとき、しっかりと行動してくれなきゃ、誰も信頼などしてくれないのです。
泣ける話 【自衛隊】 女子高生の怒り
http://youtu.be/gwF5qKp3b1Q
支那軍に町を焼かれ、逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士
(「写真集支那事変」平沼赳夫氏をサポートする会さんより)

昔も今も日本人は、変わりません。
なぜなら、昔の兵隊さんも、いまの自衛隊員も、そして私たち自身も、同じ日本人だからです。