奈良の拉致被害者救出集会・・・大仏造営の如く力を合わせて。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 




西村眞悟の時事通信 より。



去る十月六日の昼、奈良県文化会館において
「北朝鮮に拉致された全ての日本人の早期奪還と領土・領海保全の為の啓発講演会」が開催された。
 主催は、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための奈良の会(救う会奈良)」、
 共催は、「頑張れ日本!全国行動委員会奈良県本部」

 本講演会では、三十六年前に十三歳で北朝鮮に拉致された横田めぐみさんのご両親である横田 滋、早紀江さんが登壇された。
 
 丁度、前日の十月五日はめぐみさんの四十九歳の誕生日だった。 即ち、十三歳で拉致された少女が既に四十九歳になっているのだ。この長い年月、娘と両親は引き裂かれている。
 この拉致の残酷さを思うとき、ご両親は如何なる思いで北朝鮮の何処かにいる娘めぐみさんの十月五日の誕生日を迎えられたのか、また、北朝鮮に抑留されたままのめぐみさんの望郷の念とご両親恋しさの思いは如何ばかりであろうか。お察しすることもできない。

 講演会は午後一時過ぎから始まり四時に終了し、それから参加者一同で奈良県庁前からJR奈良駅付近までを往復するデモ行進を行った。
 
 基調講演を、私西村が行い、その後、横田ご夫妻のご挨拶、そして、市会と県会で拉致問題に取り組んできた植村佳史奈良市議会議員と宮木健一奈良県議会議員が所信を述べ、
 その後、南出喜久治弁護士と特定失踪者問題調査会代表の荒木和博拓殖大学教授が、それぞれ拉致問題に関して講演をした。

 この荒木和博と南出喜久治そして私は、共に民社党の出身である。荒木和博は慶応大学を卒業して民社党本部に入り、南出喜久治は、司法試験受験前に民社党青年隊に入った。
 彼らは、青年の時に、自民党よりまだ右と言われた民社党の活動を支え、民社党無き今は、拉致被害者救出に取り組み、占領憲法無効宣言の論客として活動している。

 さて、私は、講演の冒頭、拉致被害者救出運動において忘れ得ない心にしみる言葉を紹介した。
 それは、平成十四年九月十七日の横田早紀江さんの言葉と
同年十月二十日の皇后陛下のお言葉である。
 共に、最も尊い魂から発せられた言葉であり、
 それ故、全日本国民の魂に深く響いたのである。

 平成十四年九月十七日、
 内閣から娘の死亡宣告を受けた直後の母横田早紀江さんの言葉。
「・・・ほんとうに、めぐみは犠牲になり、また使命を果たしたのではないかと私は信じています。
 いずれ人は皆、死んでいきます。
 本当に濃厚な足跡をのこしていったのではないかと、
 私は、そう思うことでこれからも頑張ってまいります。
 まだ、生きていることを信じ続けて戦ってまいります。・・・」

 同年十月二十日のお誕生日、
 同月十五日の五人の拉致被害者帰国を受けた皇后陛下のお言葉。
「小泉総理の北朝鮮訪問により、一連の拉致事件に関し、初めて真相の一部が報道され、驚きと悲しみと共に、無念さを覚えます。
 何故、私たち皆が、自分たちの共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることができなかったか、との思いを消すことができません。
 今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ、
 今回帰ることができなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり、そのひとしおの淋しさを思います。」

 その上で私は、そもそも平成十四年九月十七日の小泉総理の平壌訪問とは何であったのかを回顧した。
 何故なら、この作業をしておかなければ、今も続いており、これからも続くであろう、日本政府内にある拉致被害者を日朝間の「正常化」を妨げる障害とみなして蓋をして捨て去り忘れ去ろうとする根強い衝動とそれに基づく謀略に国民が騙され流されかねないからである(例、山梨県の二十歳の山本美保さん拉致事件に関し、政府は別人の漂着遺体と山本美保さんのDNAが一致すると強弁して落着させようとしている)。

 平成十四年九月十七日に平壌を訪れた小泉総理に、金正日が日本人拉致を認めたことにより、拉致問題が一挙に国民的関心となったことは確かである。
 では、小泉総理は、拉致問題解決を主要目的として平壌に行ったのであろうか。
 そもそも、日朝平壌首脳会談の主目的は何だったのか。
 
 その答えは、平壌共同宣言が雄弁に語っている。
 共同宣言は冒頭で言う。
「双方は、この宣言で示された精神と基本原則に沿って、国交正常化を早い内に実現させるためにあらゆる努力を傾注することにし・・・」
 そして、その為に、日本側の「痛切な反省と心からの謝罪の意の表明」とそれに基づく金を払うことと請求権の放棄が約束された。この金を払う約束に、宣言の約三十%の文言が使われている。
 また、北朝鮮の核開発の凍結とミサイル発射留保の約束にも宣言の三十%が当てられている。しかし、この核開発の凍結とミサイル発射留保は、嘘であり日本側は騙されていた。北朝鮮は核の開発を続けミサイルを発射した。
 では、日本の外務省が、これこそ北朝鮮が日本人拉致に関して約束したことであると強弁している「日本国民の生命および安全と関連した懸案問題」の宣言における比重は幾らか。
 それは微か八%にすぎない。
 しかも、北朝鮮が「懸案問題について・・・今後再び発生しないように適切な処置をとることを確認した」というだけである。つまり、「懸案問題」は既に解決済みだという前提なのである。
 我々拉致議連は、共同宣言に拉致の「ら」の字もないではないか、と外務省に質したが、外務省はこの「懸案問題」という文言でいいんだと言い張るのみであった。

 つまり、日朝首脳の平壌会談の主目的は、日朝の「国交正常化」であり、その為に日本だけが莫大な金を北朝鮮に支払い時価約八兆円の対北請求権を放棄したうえで、「懸案事項」即ち拉致問題は、被害者の五名生存八名死亡で終結した、つまり解決したことを認めたものであった。
 よって、日本政府は共同宣言の主目的を達成するために、北朝鮮が日本側に手渡した拉致被害者八名の死亡年月日リストを日本にいる被害者のご家族に見せずに、同日東京で厳かに死亡宣言をして家族に被害者の死亡を信じさせて拉致問題の終結を計った。
 
 そもそも、北朝鮮が日本側に提出した拉致被害者の死亡年月日リストは、それを見れば直ちに目撃証言などとの矛盾が明らかになり、北朝鮮の言う死亡は嘘であることが裏付けられる大変貴重なものであった。
 日本政府は、それを拉致被害者家族や拉致議連に隠したのである。
 そのうえで、小泉総理一行は、日朝国交正常化の「功名」が掌中に入った、即ち、日朝首脳会談の成功の証しとして、北朝鮮からトラック二台分の松茸を送られて政府専用機に乗せ、意気揚々と帰路についたのだ。
 北朝鮮にしてみれば、日本からのほぼ一兆円を超える金と、時価約八兆円の請求権の放棄を、トラック二台分の松茸と交換したのである。
 小泉総理を見送った金正日の笑いは、止まらなかったであろう。

 次に私は、日本政府が、国民が拉致されるのを防ぐことができず、
拉致された国民を長年月にわたって放置して救出に動かず、
さらには見て見ぬふりをしてきたのは、何故かと問いかけた。
 それは、まさに、「戦後体制の欠陥」である。そして、「戦後体制」とは「占領憲法によって造られた体制」即ち「占領憲法体制」である。
 
 よって、拉致被害者は、自ら犠牲者となり、身を以て祖国日本に「戦後体制」即ち「占領憲法体制」からの脱却を促している。

 そこで、究極的には、我が日本に北朝鮮の抵抗を抑えて拉致被害者を救出できる「実力」があるか否かであるが、
私は、あると答えた。自衛隊にはその実力がある、と。
 
 従って、問題は次の段階に入る。
 即ち、自衛隊に救出命令を発する総理大臣を誰にするかである。
 さらに、国民は如何にすべきか。

 私は次のように具体的に言った。
 内閣総理大臣に関しては、
 拉致被害者救出が、最重要の国家目的であるのだから、
 拉致被害者救出議員連盟の会長を内閣総理大臣にすべきである、
 即ち、平沼赳夫拉致議連会長を、 
 内閣総理大臣にすることによって、
 この深刻で一刻を争う国家的課題を克服すべきである、と。

 そして、最後に、国民一人一人は如何にすべきか。私は言った。
 この会館の近くに、天平時代に聖武天皇によって現在の一・五倍の巨大な金銅の大仏が造営された。
 その造営に際し、聖武天皇は民衆に「一枝の草、一杷の土を持ちて」手伝えと詔された。
 即ち、あの巨大な大仏も、民衆の参加によって造営されたのである。そして、現在の伊勢神宮の式年遷宮も、この天平の時代と変わらない民衆の参加方式によって行われている。
 従って、我々日本国民は、この全員が参加し、各々何かできることをするという我が国太古からの伝統に基づいて、
拉致被害者の救出のために各々できることを見つけてそれを実践すべきである。
 そうすれば、必ず、巨大な大仏が造営されたように、
 拉致被害者全員の奪還も成功する。




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