泉州日々新聞の紹介と私の原稿。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 




西村眞悟の時事通信 より。




昭和三十年代、即ち、私の十代の半ば、大阪の南半分の堺泉州地域に「泉州日報」という新聞があった。
 今、その「泉州日報」を引き継いだ「泉州日々新聞」が堺泉州地域にある。
 そして私は、泉州生まれのご縁で、その「泉州日々新聞」の左正面に、毎回原稿を掲載させていただいている。
 その今月度の私の原稿をここに掲載させていただく。
 
 この秋は伊勢神宮の二十年に一度の式年遷宮の「遷御の儀」があり、また泉州路は秋祭り一色である。
 加えて、堺市では市長選挙があった。
 大阪都構想を掲げる大阪維新の会は、堺市長を廃止するための堺市長を選んでほしいと大阪市長が堺の辻々で堺市民に訴えていた。
 それに対して、堺市はそのまま堺市でいくんやという現職市長を共産党まで支援していた。
 コミンテルン日本支部から始まった日本共産党は、日本という国家は共産化して日本で無くせと国のナショナリズムを否定しながら、堺は堺だ、大阪市長の言いなりになるなと、堺ナショナリズムに訴えていたわけだ。
 ややこしいことだった。

 そういうなかで、安倍総理は、消費税を来年八%に上げると「決断した」と発表した訳だ。
 以下に掲げる泉州日々の原稿は、その「決断」の前に書いたが、総理が「決断」したのなら、もはや致し方ない。それでいい。
 しかし、消費税増税の決断と不可分一体の「景気刺激策」も大胆に「決断」されたい。
 つまり、景気刺激策は、九月にちょろちょろマスコミにリークさせていたような「みみっちい」ものではなく、大規模な「あっと驚く決断」をされたい。

 私も、いろいろな人々から消費税に関して実感を聞いた。
 多くの人が、経済の明るさは裾野に及んでいない、今、消費税を上げると消費意欲が冷え込むので安倍総理は今は自重して、今は裾野からの景気上昇に全力を挙げ、消費税を上げるときは一挙に十%に上げればいい、と言っていた。
 私もそう思う。
 市井の人々の意見は、安倍総理を取り囲む官僚機構よりも「生身の人」の実感をよく伝えている。そして、景気は生身の人が創る。
 
 景気をドーンと刺激して、上げるときは消費税を一挙に十%にもってゆく。これが「総理の決断」の名に値する。
 消費税を一旦八%にしてまた上げるなど、庶民と中小企業の煩わしい手間を無視した民主政権末期の各党妥協の産物(小知恵)ではないか。

 このように申し上げ、
 次に「泉州日々新聞社」を紹介してそこに今月掲載している私の記事を掲げる。
 
 株式会社 泉州日々新聞社
 〒590ー0078
 堺市堺区南瓦町一番十九号 クランビルド堺東304号
 TEL 072(221)5555
 FAX 072(221)5556 

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    今年は伊勢神宮式年遷宮
       我が国の心と伝統は永遠に続く

 泉州路は今秋祭りの季節で、加えて、本年には、我が国の尊い国体(こくたい)そして伝統と文化の継続の証(あかし)であり、さらに「日本の祭り」の源流ともいえる二十年に一度の伊勢神宮の式年遷宮がある。
 この式年遷宮は七世紀の第四十一代持統天皇以来二十年に一度行われてきて本年で六十二回を数える。
 即ち、二十年周期で行われる式年遷宮によって、我が国の心と伝統は永遠に甦り続けるのである。
 そこで、心と伝統の甦りである式年遷宮の秋に当たり、我が国の「為政」において甦るべき伝統を見つめてみよう。
 
 江戸中期の奥州上杉藩藩主である上杉鷹山は、隠居するに当たり、「人民が国の為にあるのではなく、国が人民の為にある」との「伝国の辞」を次の藩主に伝えた。
 この「伝国の辞」は、ヨーロッパにおける近代国家思想と人権思想の表明(コペルニクス的転換)に先立つ卓見であるとアメリカのJ・Fケネディー大統領が感動したのであるが、これは上杉鷹山の独創ではなく我が国の「為政の伝統」である。
 即ち、太古の第十六代仁徳天皇は、「民が豊になれば国が豊になる」との認識を明確に表明し実行された天皇だ。世界史的に視て、この為政が如何に偉大であるか。過去現在の世界の為政者を見渡せば分かる。為政者の頭にこの発想が浮かぶのは、ヨーロッパでは十八世紀末からであり朝鮮半島の北半分や中国大陸では、未だ浮かんでいない。
 
 仁徳天皇はある日、高津の高殿に登られて民のかまどから煙が昇っていないのを眺めて民の疲弊を察せられ、税を三年間免除された。税収が無くなったので天皇の宮殿の修理も衣服の新調もできなかったが、三年後多くの民のかまどから炊煙が昇るようになった。そして、天皇はその炊煙を眺められ、「民が豊になった、我も豊になった」と喜ばれた。
 すると、そばにいた皇后が天皇に問われた。「貴方の衣服は破れてぼろぼろで、私達の住まいは修理ができずに雨や風が入る廃屋のようになっているのに、貴方はどうして豊になったと喜ばれるのですか。」
 天皇は次のように答えられた。「民が豊になることが、私が豊になることだ。」即ち、「漏屋(ろうおく)弊衣(へいい)、赤子(せきし)を富ましむ。子富みて父貧しき此の理無し」(頼山陽)。
 
 そこで、天皇の為されたことを現在の用語で説明すれば次の通りである。まず天皇は、疲弊した民から税を徴収せず民の可処分所得を増大させた。すると、多くの炊煙が昇りだした。つまり、消費が活性化して社会に活気が戻ってきた。また、仁徳天皇が古代における最大の土木事業を敢行した天皇であることを忘れてはならない。天皇は、堀を掘削し堰堤を造って大阪平野の穀物生産量を増大させた。この消費の活性化と大土木事業によって、国内総生産GDPは飛躍的に増大して国が豊になった。もしケインズが、この仁徳天皇の故事を知ったならば、自分の理論を千六百年前に実行していると驚嘆するであろう。
 そして、この仁徳天皇の仁政は今に至るも我が御皇室の伝統なのだ。天皇家が私生活における衣食住を華美にせず民と苦楽をともにされてきたことは、明治天皇や昭和天皇の質素なご生活からも、また、二年前の東日本大震災において天皇皇后両陛下が皇居の電灯と暖房を止められて被災地の人々と不自由を共にされたことからも明らかだ。
 では、我が国の為政のなかに、仁徳天皇の仁政の故事は、伝統として生きているのか。
 
 幕末に、近代日本最大の英傑と財政家が生まれた。薩摩の西郷隆盛と備中松山藩の山田方谷である。この同時代に生きた二人が、同じことを言い、民の可処分所得の増大と土木事業によって、誰も為しえなかった藩財政の再建を実践している。
 西郷隆盛曰く、「租税を薄くして民を裕にするは、即ち国力を養成する也」(西郷南洲遺訓)。また山田方谷は、次のように言って従来の財政専門家が為しえなかった藩財政を再建する。「こと(財政)の外に立って、ことの内に屈してはならない」。即ち、財政を再建しようとすれば、従来の専門家のように、財政に埋没せずに、まず教育を盛んにして軍備を増強させよ、と。
 
 そこで、現在の安倍総理に言いたい。どうも、九月に入って、なし崩し的に消費税増税が決められてきたようであるが、財政の専門家に引きずられるのではなく、仁徳天皇から西郷隆盛や山田方谷に至る我が国為政の伝統に心耳を傾けているのか、今為すべきは、国民の可処分所得の増大である、と。まだまだ、民のかまどからの炊煙はか細いのだ。
 それから、大阪のことであるが、仁徳天皇の故事と伝統を知らず、天皇陵の尊さも知らない者が、堺市にある仁徳天皇陵をイルミネーションでライトアップして陵内に観光客を呼び込むと言っている。この程度の頭(おつむ)の者が、こともあろうに大阪府知事であるとは、馬鹿馬鹿しくも嘆かわしい。




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