高円宮久子妃殿下インタビューにお答え。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





原稿は当日朝5時まで直しました。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130917/imp13091711140000-n1.htm




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インタビューにお答えになられる高円宮久子妃殿下=15日、東京・元赤坂の高円宮邸(松本健吾撮影)

 2020年東京五輪が決まったアルゼンチン・ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会で、スピーチした高円宮妃久子殿下が、産経新聞のインタビューに応じられた。「7年後の東京オリンピック・パラリンピックは大きな目標になると思います。東日本大震災からの復興に向け、いい方向性をつくってくれるのではないでしょうか」と話された。

(菅原慎太郎)

 

 当初、ブエノスアイレスでは、IOCが行った震災の被災地支援へのお礼のため、IOC委員と懇談されるなどの予定だった久子さま。宮内庁から総会出席について要請を受けられたのは、9月3日の出発の何日か前だったという。

 

 「出発直前でした。限られた期間でIOC委員一人一人に、お礼の気持ちをお伝えするのは難しいですが、総会ならば一番間違いなく皆さまに伝えられるなと、納得しました」

 

 皇族として、開催都市選定につながる招致活動は控えられてきた。特にスピーチで心がけた点について「短い時間で、被災地支援のお礼の気持ちをどうすれば十分に伝えられるか考えました。それから、五輪の理念やスポーツのすばらしさについても触れました」と話される。

 

 スピーチでは、スポーツ振興と国際親善に力を尽くしながら、薨去(こうきょ)された高円宮さまにも触れられ、深い尊敬の念を感じさせた。「宮さまならどうなさるか、私にどうするようにとおっしゃるか。そう考えて動くのが常に高円宮家の方針なのです」


 草稿は現地到着後、ご自分のパソコンを使ってまとめられたという。IOC以外の行事もあり、日中は忙しかったが、「夜がありましたから…。当日は午前5時まで原稿を直しました」と明かされる。

 東京開催決定の瞬間は宿泊のホテルで帰国の荷造りをされていた。「招致に関わってきた方たちが喜んでいる姿をテレビで見て、皆さんの努力が報われて本当に良かった、と思いました」

 知人からは多くのメールが届いた。「パソコンを開いたらすごい量のメール。まだお返事も終わっていません」と話し、携帯電話に長女の承子(つぐこ)さまからも「お母様、若い人の間で話題になっています」とメールが届いたことを明かされた。

 

 東京五輪には大きな期待も寄せられる。「世界中から人々が集まります。世界の中の日本を意識する日本人が増える、そういう機会になればいいと思います」



   


 高円宮久子妃殿下のご経歴 

 

 昭和28年7月、実業家の鳥取滋治郎さんの長女としてお生まれに。英国ケンブリッジ大学ご卒業。通訳の経験などを経て、昭和59年12月に高円宮さまとご結婚。長女の承子さま、次女の典子さま、三女の絢子さまという3人のお子さまに恵まれた。高円宮さまと一緒にスポーツ振興にご尽力。平成14年11月に高円宮さまがスカッシュの練習中に倒れて薨去され、高円宮家の当主となられた。現在、9つのスポーツ団体の総裁や名誉総裁を務められている。