【中韓サヨナラ…世界の親日国】
タイ王室がつなぐ日本との太い絆。
中国の反日激化でビジネス拠点として再注目。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20130830/frn1308300731000-n1.htm
天皇、皇后両陛下は2006年のタイ国王即位60周年慶祝儀式で、プミポン国王の出迎えを受けられた。
★タイ
タイが第2次世界大戦中、日本の同盟国であったことは意外に知られていない。
昭和16(1941)年12月2日、海南島に駐屯していた山下奉文中将率いる陸軍第25軍は「ヒノデハヤマガタ」との暗号電報を受信した。「12月8日、対英米開戦、マレー作戦を断行すべし」との内容である。日本軍は一気にマレー半島を南下進撃し、わずか3カ月後の17(42)年2月15日、英国の東アジア支配の拠点、シンガポールを解放したことは周知の史実である。
しかし、日本軍がマレー半島を攻略するためには、タイ領を通過しなければならなかった。時のピブン首相は即刻、日本と協定を結び、日本軍は無事、タイを通過した。さらに、16年12月21日、日本とタイは同盟条約を締結したのである。
これに怒った英米は、17年1月初め、タイの地方都市を空爆した。そして、タイは1月25日、英米両国に敢然と宣戦布告したのであった。
18年11月5、6日、東京で大東亜会議が開催された。日本の指導の下に開かれた、世界初の有色人種の独立国によるサミット会談であった。ビルマ、フィリピン、満州国、中華民国(汪兆銘政権)とともに、タイもこの会議に代表を送り、日本との連帯を誓った。
参加各国は「西洋諸国からのアジアの解放と互恵平等に基づくアジアの繁栄」を世界に宣言したのである。この会議でのタイ代表は、ピブン首相の名代としての王族のワンワイタヤコーン殿下であった。
戦後もタイの歴史教科書では「日本はアジアを侵略した」とは教えていない。むしろ、日本の戦後の経済復興に焦点を当てている。日本の漫画やアニメはいち早く翻訳され、これが世界的な「クール・ジャパン」ブームの先駆けとなった。
一般に、東南アジアの華僑・華人には、反日的な傾向があるが、タイ王室の存在はこの傾向を緩和してくれている。タイにおける王室の存在、仏教国であること、水田稲作を中心とする農業などは、日本人に大いに親しみを感じさせる。また、華僑もタイでは土着化が進んでおり、タイ王室の中には、華人の血も交じっており、これが反日性を中和しているようだ。
すでに60年代から、タイは日本企業のアジア進出の拠点となってきた。中国の反日が激化するなか、再びビジネス拠点として注目されている。
権勢を誇ったタクシン首相は2006年に軍事クーデターによって失脚し、海外亡命の身となった。このクーデターは多くの中産階級の人々によっても支持されていた。
それは新興華人財閥であるタクシン氏が、王制転覆をもくろんでいると多くの国民が危機感を持ったからである。日本の皇室とタイ王室の親交は深く、これが日本とタイの太い絆となっている。
■藤井厳喜(ふじい・げんき)
国際政治学者。1952年、東京都生まれ。早大政経学部卒業後、米ハーバード大学大学院で政治学博士課程を修了。ハーバード大学国際問題研究所・日米関係プログラム研究員などを経て帰国。テレビやラジオで活躍する一方、銀行や証券会社の顧問、明治大学などで教鞭をとる。現在、拓殖大学客員教授。近著に「米中新冷戦、どうする日本」(PHP研究所)、「アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門」(幻冬舎新書)。