八路軍
8月25日は、現中華人民共和国の人民解放軍が、八路軍と名前を変えて改組した日です。
支那共産党は、大正10(1921)年に結成されたのですが、そのわずか6年後の昭和2(1927)年には、正規軍隊である「紅軍(こうぐん)」を結成しています。
この「紅軍」というのは通称で、正式名称は「中国工農紅軍」といいました。
共産主義革命のために結成された、ちゃんと武装した正規軍です。
そしてこの「紅軍」が当時の支那国民党に編入され、「国民革命軍 第八路軍」という名称になったのが、昭和12(1937)年8月25日です。
おおまかな流れをいうと、この八路軍が終戦後の昭和22(1947)年に「中国人民解放軍」となって現在に至っているわけです。
八路軍の兵力は、昭和12年当時で3万人、昭和13年には15万6千人、昭和15年には40万人、昭和20年時点で60万人です。
そして中華人民共和国人民解放軍となった現在では230万人という、数の上ではいまや世界最大の兵力の軍隊となっています。
さて、勘の良い方なら、ここまでの説明で「?マーク」が頭の中で点滅したかと思います。
なぜ、大正10年に結成された支那共産党が、たった6年で3万人もの武装した軍隊を持てたのでしょうか。
これはとても不思議なことです。
いま、保守系の団体などに携わっている方ならすぐにおわかりいただけようかと思いますが、団体は、組織するだけでも様々な費用がかかります。
みんなが手弁当で活動していても、です。
まして3万人規模の「軍」を持つとなれば、その人数分の食事代から銃や実弾などの武器や、軍服、宿泊施設などの整備などを全部捻出しなければなりません。
しかも八路軍と名前が変わる頃には、その軍団の規模は15万6千人です。
冒頭の絵をご覧いただいたらわかる通り八路軍は、ただ銃を持っているというだけでなく、軍服を着て鉄兜もかぶり、後ろには騎馬隊も見えています。
国家ではないのです。税収もない。通貨発行権もない。
それでいてどうやって軍の経費を捻出するのでしょう。
仮に15万の兵を、ただ食べさせるだけで、一日の食費を仮に3食分千円で抑えたとしても、それだけで年間550億円の支出です。
他に兵器やら装備やら、基地の設営費、運営費など、兵士たちが仮に無給であったとしても、その年間経費は5000億円を上回る。
不思議なことです。支那共産党は、その経費をどうやって捻出していたのでしょう。
蒋介石率いる支那国民党は、この点はっきりしています。
米英から援蔣ルートを通じて、衣食、兵器、金銭まで、丸抱えで面倒をみてもらっていましたし、いちおう、国を名乗っていました。
米英の戦略は、欧米の植民地時代を終わらせようとする日本を、どうあっても追い込む必要があったし、そのためには支那国民党を援助して日本と衝突させようとしていたからです。
では、支那共産党はどうだったのでしょうか。
実は、コミンテルンから経費を出してもらっていました。
この話は、大正8(1919)年にさかのぼります。
実はこの年、レーニンが国際共産党(コミンテルン)を組織しました。
コミンテルンというのは、「Communist International」の略です。
コミンテルンの本部はモスクワです。
そしてこのコミンテルンは、世界中の共産党組織に実弾(兵器、食料、お金)をバラまき、その代償として各国の共産党に絶対的服従を強いていました。
そして世界革命をするための破壊活動を指令して各国でやらせました。
なぜレーニンがこのようなことをしたかというと、ソ連共産党は、ロシア皇帝を殺害して帝政を廃止し、またドイツ皇帝を強制的に退位させ、ヨーロッパ諸国の世界共産主義革命を実現しようとしたのです。
これが成功すれば、レーニンは世界皇帝となることができる。
ところが、これが頓挫してしまいます。
なぜなら、ヨーロッパ諸国は「列強」です。
悪いけれどソ連以上に情報力も国力も伝統も武力もある。
そこでソ連は、「アジア迂回作戦」というのを考えたわけです。
ヨーロッパ列強の富の源泉は、アジアの植民地です。
その植民地をけしかけて、マスター・カンパニー(宗主国)に反乱を起こさせて、それによってヨーロッパ列強諸国の弱化を図ろうというわけです。
そのために、アジアのあらゆる不満分子をあおり、取り込んで、反乱を起こさせる。
そのために必要な援助を惜しみなく行う、というものです。
そしてこれがレーニンの世界革命の基本戦略となったわけです。
とりわけ支那は、古くから膨大な住民が圧政のもとに置かれ、しかも大清帝国が崩壊して国内が荒れています。
けしかけるには、まさにもってこいの情勢にある。
ですからそこに大量の工作員を送り込んで、支那人の共産主義者を育てれば、かならず世界は混乱していく。
昭和10(1935)年の、コミンテルン第7回大会では、「人民戦線戦術」を決定しました。
これは「反ファシズム統一戦線」と呼んだりもしますが、資本主義国、特にファシズムとレッテルを貼ったような国に対して、広範な勢力を人民戦線として組織し戦わせるという内容だったのです。
考えてみれば、コミンテルンが組織されたのが大正8(1919)年です。
支那共産党が結成されたのが大正10(1921)年です。
結成に際して、ソ連から莫大な工作費と工作員が支那に入り込み、莫大な経費を使って、支那の民衆の対立をあおり、共産主義者たちの武装化を推進し、国内を大混乱に陥れる。
まさに、支那は、コミンテルンの作戦通りの情況となったわけです。
簡単にいえば、支那共産党は、自発的な庶民の力でもなんでもなく、ソ連の経済的、軍事的支援のもとに政治的に国債謀略のもとに結成され、謀略のもとに武装し、政治的軍事的な一大勢力に育ったのです。
実は、日本における昨今の反日活動にも、これと同じ流れがあります。
すでにコミンテルンという世界共産党機構は失われています。
その代わりを、中共が行っているわけです。
中共工作員はいま、日本や韓国に大量に入り込み、国内対立をあおり、メディアを操作し、日本や韓国の解体のためにお金を遣いまくっています。
人殺しと残酷な暴力で政権を奪った者は、今度は自分が人殺しと残酷な暴力によって命を狙われる側に立ちます。
そういう者が自己の身の安全を図るためには、国内にいる対立する者をことごとく抹殺するだけでなく、対立しそうな周辺国まで、ことごとく傘下において言論から暴力に到るまでの一切を破壊し蹂躙し尽くさなければならない。
かつてのソ連がそうであり、いまの中共も同じです。
そしてこうした、いうなれば悪の破戒主義に染まった者は、破壊という目的のためならば、何をしても構わないと考えるようになる。
まさに共産主義というのは、20世紀が産んだ人類史における最大の悪なのです。
(参考資料)
「支那事変とは何であったか」
第二期日本史検定講座藤岡信勝先生講義
これはとても不思議なことです。
いま、保守系の団体などに携わっている方ならすぐにおわかりいただけようかと思いますが、団体は、組織するだけでも様々な費用がかかります。
みんなが手弁当で活動していても、です。
まして3万人規模の「軍」を持つとなれば、その人数分の食事代から銃や実弾などの武器や、軍服、宿泊施設などの整備などを全部捻出しなければなりません。
しかも八路軍と名前が変わる頃には、その軍団の規模は15万6千人です。
冒頭の絵をご覧いただいたらわかる通り八路軍は、ただ銃を持っているというだけでなく、軍服を着て鉄兜もかぶり、後ろには騎馬隊も見えています。
国家ではないのです。税収もない。通貨発行権もない。
それでいてどうやって軍の経費を捻出するのでしょう。
仮に15万の兵を、ただ食べさせるだけで、一日の食費を仮に3食分千円で抑えたとしても、それだけで年間550億円の支出です。
他に兵器やら装備やら、基地の設営費、運営費など、兵士たちが仮に無給であったとしても、その年間経費は5000億円を上回る。
不思議なことです。支那共産党は、その経費をどうやって捻出していたのでしょう。
蒋介石率いる支那国民党は、この点はっきりしています。
米英から援蔣ルートを通じて、衣食、兵器、金銭まで、丸抱えで面倒をみてもらっていましたし、いちおう、国を名乗っていました。
米英の戦略は、欧米の植民地時代を終わらせようとする日本を、どうあっても追い込む必要があったし、そのためには支那国民党を援助して日本と衝突させようとしていたからです。
では、支那共産党はどうだったのでしょうか。
実は、コミンテルンから経費を出してもらっていました。
この話は、大正8(1919)年にさかのぼります。
実はこの年、レーニンが国際共産党(コミンテルン)を組織しました。
コミンテルンというのは、「Communist International」の略です。
コミンテルンの本部はモスクワです。
そしてこのコミンテルンは、世界中の共産党組織に実弾(兵器、食料、お金)をバラまき、その代償として各国の共産党に絶対的服従を強いていました。
そして世界革命をするための破壊活動を指令して各国でやらせました。
なぜレーニンがこのようなことをしたかというと、ソ連共産党は、ロシア皇帝を殺害して帝政を廃止し、またドイツ皇帝を強制的に退位させ、ヨーロッパ諸国の世界共産主義革命を実現しようとしたのです。
これが成功すれば、レーニンは世界皇帝となることができる。
ところが、これが頓挫してしまいます。
なぜなら、ヨーロッパ諸国は「列強」です。
悪いけれどソ連以上に情報力も国力も伝統も武力もある。
そこでソ連は、「アジア迂回作戦」というのを考えたわけです。
ヨーロッパ列強の富の源泉は、アジアの植民地です。
その植民地をけしかけて、マスター・カンパニー(宗主国)に反乱を起こさせて、それによってヨーロッパ列強諸国の弱化を図ろうというわけです。
そのために、アジアのあらゆる不満分子をあおり、取り込んで、反乱を起こさせる。
そのために必要な援助を惜しみなく行う、というものです。
そしてこれがレーニンの世界革命の基本戦略となったわけです。
とりわけ支那は、古くから膨大な住民が圧政のもとに置かれ、しかも大清帝国が崩壊して国内が荒れています。
けしかけるには、まさにもってこいの情勢にある。
ですからそこに大量の工作員を送り込んで、支那人の共産主義者を育てれば、かならず世界は混乱していく。
昭和10(1935)年の、コミンテルン第7回大会では、「人民戦線戦術」を決定しました。
これは「反ファシズム統一戦線」と呼んだりもしますが、資本主義国、特にファシズムとレッテルを貼ったような国に対して、広範な勢力を人民戦線として組織し戦わせるという内容だったのです。
考えてみれば、コミンテルンが組織されたのが大正8(1919)年です。
支那共産党が結成されたのが大正10(1921)年です。
結成に際して、ソ連から莫大な工作費と工作員が支那に入り込み、莫大な経費を使って、支那の民衆の対立をあおり、共産主義者たちの武装化を推進し、国内を大混乱に陥れる。
まさに、支那は、コミンテルンの作戦通りの情況となったわけです。
簡単にいえば、支那共産党は、自発的な庶民の力でもなんでもなく、ソ連の経済的、軍事的支援のもとに政治的に国債謀略のもとに結成され、謀略のもとに武装し、政治的軍事的な一大勢力に育ったのです。
実は、日本における昨今の反日活動にも、これと同じ流れがあります。
すでにコミンテルンという世界共産党機構は失われています。
その代わりを、中共が行っているわけです。
中共工作員はいま、日本や韓国に大量に入り込み、国内対立をあおり、メディアを操作し、日本や韓国の解体のためにお金を遣いまくっています。
人殺しと残酷な暴力で政権を奪った者は、今度は自分が人殺しと残酷な暴力によって命を狙われる側に立ちます。
そういう者が自己の身の安全を図るためには、国内にいる対立する者をことごとく抹殺するだけでなく、対立しそうな周辺国まで、ことごとく傘下において言論から暴力に到るまでの一切を破壊し蹂躙し尽くさなければならない。
かつてのソ連がそうであり、いまの中共も同じです。
そしてこうした、いうなれば悪の破戒主義に染まった者は、破壊という目的のためならば、何をしても構わないと考えるようになる。
まさに共産主義というのは、20世紀が産んだ人類史における最大の悪なのです。
(参考資料)
「支那事変とは何であったか」
第二期日本史検定講座藤岡信勝先生講義
中国共産党の正体PART1-1