西岡 力ドットコム より。
韓国の有力紙「朝鮮日報」の記者に日本の外交官が手紙を出し、安倍政権の歴史認識問題での対応を批判して、ソウルの関係者の中で話題になっている。
問題の手紙は朝鮮日報8月12日付けに掲載された「日本の外交官から届いた手紙」と題する李河遠政治部次長の記名コラムで紹介されている。コラムは手紙のほぼ全文を紹介する形式をとっている。差出人は「東京・霞ヶ関の外務省で、外交官K」とされている。
コラムだから、架空の手紙を紹介した可能性や、手紙の一部を加筆修正して紹介した可能性もゼロ ではない。手紙の全体のトーンは日韓関係の悪化を心配し、日本批判を強める韓国 新聞に対して日本の実情を紹介しながら反論を試みたものである。しかし、韓国の反日を批判する前提として手紙に中で日本外交官であるK氏は安倍政権を次のように批判している。
〈私は、安倍首相が就任後に引き起こした歴史認識をめぐる論争にはくみしません。安倍内閣の閣僚や自民党 の議員たちが、元従軍慰安婦の女性たちをけなす発言をしたことも残念に思います。アジア諸国に対する侵略について謝罪した「村山談話 」や、従軍慰安婦問題 への日本政府の関与を認めた「河野談話 」は、必ずや守るべきものだと思います。〉
この部分が実際の手紙にあったとするとK氏は外交官失格だと批判されても仕方がない。韓国のマスコミが安倍政権を極右、軍国主義回帰などと激しく批判していることは事実だ。しかし、その批判の多くは事実関係の誤解や曲解の上に展開されている。その誤解を解いて安倍政権の方針を正しく伝えることが外務省 のすべきことだ。それを放棄して相手におもねるのであれば、何のために外務省 があるのか疑問になる。
外交官は自国の政府の方針と政策を正しく外国に伝え、理解を求める義務がある。政府の方針を決めるのは外交官ではなく、選挙で選ばれた政治家だ。政府の政策に外交の専門家として批判があれば、政府内部で意見を上申すべきであって、外国に自分は政府の方針を支持しないと公表するのであれば、公務員を辞めるべきだ。その観点からコラムに転載されたK氏の手紙は以下の3つの点で大きな問題がある。
第1に、K氏は「安倍首相が引き起こした歴史問題をめぐる論争にくみしません」と自分を第3者の立場において首相批判をしていることだ。K氏の役割は安倍首相の発言を正しく韓国 人に伝えることのはずだ。くみしないなら外交官を辞すべきだ、少なくとも日韓関係に関して一切沈黙を守るべきだ。
第2に「安倍内閣の閣僚や自民党 の議員たちが、元従軍慰安婦の女性たちをけなす発言をした」と断定的に自国政府と与党を批判していることだ。誰のどの発言を指しているのか全く不明だ。そもそも慰安婦に関する最近の発言で政府も与党も閣僚や議員に不適切な発言があったと認めていない。外交官の信念として誰かの発言が「元従軍慰安婦の女性たちをけなす残念なものだ」と判断したなら、少なくともまず日本国内で批判をすべきだ。それなしに自分を高みにおいて自国政府と与党を批判するのは外交官としてだけでなく人間としても卑怯だ。
第3に、村山談話 や河野談話 についてわが国国内で与野党を巻き込んで大きな論争があるにもかかわらず、1外交官が個人的意見を外国に告げることは不適切きわまりない。河野談話 を「従軍慰安婦問題 への日本政府の関与を認めた」と要約して事実関係を間違えている。政府の関与を認めたのは1992年1月の加藤紘一 官房長官談話であり、河野談話 は広義の強制連行を認め、それへの「官憲等の直接加担」を認めたものだ。事実関係の勉強を先ずして欲しい。そのため日本国内で読売新聞と産経新聞が河野談話 の見直しを求め、それに反対する朝日新聞、毎日新聞などと国論を2分する論争が起きている。その論争に個人として加わることもせず、外国の記者に一方的に個人の意見を書き送ることは外交官としての則を超える行動と言わざるをえない。