かって帝国海軍は出征した軍人の家に旭日旗を贈呈した。夫や息子を外洋に送り出した家では、この旗を軒先に立てるのが慣わしになっていた。お国の為にはたらくことは最高の名誉であり、はためく旭日旗はその家の誇りだった。もちろん、町内の人々も掲揚された旗を眺め、出征軍人の家にそれなりの敬意を払った。
そうした誇りや敬意をずたずたにしたのが敗戦で、以降、どこの家でも旭日旗の掲揚は止めてしまった。帝国海軍が消滅したのだから致し方ないが、ぱったりと旭日旗は街中から消えた。日章旗を立てる企業や学校、あるいは一般家庭でも旭日旗は用いない。何の因果か、街宣右翼専用の旗になってしまった。
コレって、旭日旗を大切に扱ってきた軍人の家庭にとって、とても悲しいことだった。掲揚するチャンスが失われても、大切な準国旗だから、おいそれと捨てるワケにはいかない。夫や息子がお国のために戦った記念品でもある。仮に戦死でもしていれば、尚更捨てられるものじゃない。丁寧に畳み、そっと箪笥の奥にしまった家が多かったろう。
しかし、このまま箪笥の肥やしだけじゃもったいないと考える人もいた。筆者の祖母も、大判の綿布だから充分活用できると思ったひとりで、戦後、旭日旗を掛け布団に仕立てた。元海軍軍人だった叔父は、敗れたりとは云え布団にするかね、と呆れていたが、明治の気骨とも呼ぶべき母親の倹約精神には異を唱えなかった。
実を云うと筆者はお婆ちゃん子だった。祖母の寵愛を一身に受け、目の中で度々遊んだ、と云うのはもちろん嘘だが、まあ、そんな環境だった。だから幼児の頃、この愛国心溢れる旭日旗の布団でお婆ちゃんと毎晩一緒に寝たのだ。そして今でもライジングサンを見る度に、お婆ちゃんの優しい笑顔と懐かしい匂いと思い出して、つい涙ぐんでしまう。
頭のおかしい、かの国の連中が、旭日旗を戦犯旗と呼び、「国会社会主義ドイツ 労働者党」即ちナチスの鍵十字と一緒だと騒ぐ。何をいいやがると怒髪天 を衝く。わが国伝統の奉祝旗にして栄光の軍旗を侮辱するな。しかも個人的に、最愛のお婆ちゃんの思い出だぞ。ふざけるのもいい加減にしろ。
あいつらが敗戦後の混乱期に、どれだけ日本人に対し非道で残虐な振る舞いをしてきたか、こちらはちゃんと知っている。旭日旗の布団の中で、お婆ちゃんがすべて教えてくれたのだ。