あえて述べておきたいのだが、いま日本の保守派はあまりにも性急になっていないだろうか。安倍晋三政権が成立し、しかも経済政策が幸先よいスタートを切ったことで、いよいよ憲法改正のチャンスが巡ってきたと高揚している。だからこそ、これまで頸木となっていた憲法96 条を改正してしまおうという機運が盛り上がっているのだろう。
こんな当然のことを言い出したのはほかでもない、今回のテーマを考えれば考えるほど、憲法改正問題あるいは自主憲法制定問題がクローズアップされてくるからだ。いまのデフレからの脱却は、ひとつの歴史的テーマとなりうるだろう。しかし、日本の歴史からすれば10年の経済政策ミスの訂正でしかない。デフレに対して構造改革を断行したかと思えば増税を掲げるといった、それまでの経済政策が倒錯していただけなのだ。
憲法改正は違う。自民党が掲げてきた自主憲法制定はもっと違う。これはまさに68年続いた日本の戦後を終わらせる歴史的事件でありうる。もちろん、自主憲法を制定したからといって、日本がただちに真の独立国となるわけではないが、その実現の過程において政治的言論の戦いを繰り広げることで、日本の国体は歴史的連続性を回復することができるかもしれない。しかし、いまの状態で96条を変えれば何とかなると考えているのは、あまりにも甘いと言わざるをえない。
いまの日本の世論を前提とするなら、憲法の改正条項を「議員の2分の1」に変えて世論をかき立てて9条の改正にこぎ着けたとしても、再び世論が平和主義にシフトしてしまえば、再改正によって国軍と交戦権の放棄にオーバー・シュートしないとも限らない。憲法改正という政治的営みは国会の議員数ゲームではなく、国体(constitution)の顕現なのだから、改憲派による粘り強い国民との議論があって初めて実現するものではないのか。
安倍晋三という政治家を見る場合にも、私たちはもう少し冷静に考えるべきだ。しばしば熱心な安倍支持者は「安倍晋三をおいて、誰がいるというのか」などというが、いくら安倍首相がすぐれた保守政治家だとしても、いま日本が抱える歴史的課題を数年ですべて解決してくれると思う方がどうかしている。そもそも、何から何まで期待される生身の安倍晋三氏にしてみれば、ストレスがかかってどうしようもないだろう。
チャーチルの浮沈多き人生
政治家について考える際には、やはり過去の政治家と比較してみるのがいちばんよい。しかも、あまりかけ離れた人間ではなく、多少の類似点がなければならない。そしてまた、その比較はその政治家にまとわりついた神話や伝説ではなく、なるたけ生身の人間を見ていくべきだろう。
私は保守政治家ではチャーチルと比較してみるのがよいのではないかと思う。チャーチルは、ナチスドイツとの宥和策によって危機に陥った欧州を救い、英国の栄光を守って今も人気のある政治家である。
しかし、チャーチルの政治家としての経歴は、実は、失敗と汚辱にまみれている。そもそも、第2次世界大戦がなかったなら、どうしようもない二流政治家で終わったかもしれないのである。
まず、マルバーラ公爵家という名門の家系に生まれながら、子供のころは学業成績がまったくだめだった。有名進学校ハロー校に入学したものの、教師たちはラテン語や
ギリシャ語を教えるのをあきらめて作文だけに絞った。そのため有名大学には進学できずに陸軍士官学校に入らざるをえなかった。
ところが、卒業後、従軍記事執筆のアルバイトを始めたらこれが評判となり、ベストセラー作家として有名になってしまう。若干の吃音があったが演説もうまく、34歳で保守党から庶民院議員に立候補して当選。チャンスを求めて自由党に移籍して閣僚職を歴任した。
これで栄光が続くかと思いきや、第1 次世界大戦の際に海軍大臣としてガリポリ作戦を強行し、26万人もの犠牲者を出した。戦後は、保守党に復帰して大蔵大臣となるが、無理やり金本位制復帰を断行し、英国経済に大きな打撃を与えてしまう。1929 年にはニューヨーク株式市場が暴落した際、個人財産の元手を失っただけでなく巨額の借金も負ってしまう。31年に交通事故に遭い、30年代になると政治的にほとんど引退状態となった。
歴史家A・J・P・テーラーによると、1932年、初の女性議員として有名なアスター卿夫人がソ連を訪問してスターリンに会ったとき、「チャーチルはもう終わりですわ」と語ったという。もっとも、スターリンは「そのうちあの軍馬は必要とされるでしょう」と答えたというから、この独裁者の勘は鋭かったのかもしれない。チャーチル自身は、30年代後半に、「私の生涯は失敗だった。これ以上何も起こらないだろう」と述べるほど失意のどん底が続いた。
チャーチルの人生では、高揚と失意が交互にやってくる。全然だめだった少年時代を通過すると、青年時代にはたちまち脚光を浴びて政治家となるが、海軍大臣として大失敗をしてしまう。大蔵大臣の時代にも、金本位制復帰は危険だと書いたケインズの論文を読み、本人とも面談して理解したはずなのに、どういうわけか判断を間違ってしまう。その後、彼のいう「黒い犬」(鬱状態)がやってくることになった。
参考のために書いておくが、精神分析学ではこうした高揚と失意が、チャーチルの出自に関係のある躁鬱病(双極性障害)だったとする見解もある。彼は名門に生まれたゆえのプレッシャーを感じ続けたが、子供のころは成績が悪く、しかも父親はイートン校からオックスフォード大学を卒業した有名な政治家で、母親は華やかな社交界の女王的存在だったことも、チャーチルのストレスを加速したというわけである。
学歴上のコンプレックスも家系のプレッシャーも克服してベストセラー作家となり、政界でも要職を歴任していくことになったが、やることが派手で暴走が多かった。不遇の1930年代にも、ヒトラーを批判して一定の支持を集めながら、シンプソン夫人と結婚しようとしたエドワード8 世を弁護してしまったため、政治生命すらついえるところだった。
第2次世界大戦が始まってからの高揚はよく知られているとおりである。
ただし、海軍大臣に再び就任したのはいいが、ノルウェー作戦を強行してこれまた大敗北。チェンバレン首相に非難の目が向かなければ、チャーチルは首相になれなかっただろう。
政治家は時に休んでもいい
チャーチルの政治家人生を概観して思うのは、たしかに高揚と失意の落差が目立つが、それよりも驚くのは倦まずに政治家を続けたことである。第2次世界大戦中、もっとも政治的経験に富んだ指導者はチャーチルだった。これだけ失敗しても繰り返し登場したチャーチルはすごいが、繰り返し登場させた英国政治もすごかったといわざるをえない。
いま日本では首相を経験してしまうと顧問格になってしまう。繁栄期の英国ではグラッドストーンとディズレーリとの政権交代に見られるように、何度も首相に再就任するのは珍しいことではないし、チャーチルも1951年から55年に再び首相を務めている。
いまの第2次安倍政権がデフレ脱却に道筋をつけて疲労したら、第2次麻生政権をつくることもあってよいと思うし、短期間なら連立野党に政権を渡してもかまわない。その後、それまで着々と準備を続けて、後継政権が憲法改正を継続できればよいのだ。そのとき、安倍元首相が憲法改正担当相に就くこともありうる。政治家・安倍晋三の評価を論じるのはそれからでも遅くない。
英国の評伝作家ポール・ジョンソンが、17歳のときに老境を迎えたチャーチルに会った際、「あなたの人生を成功に導いたものは何ですか」と聞いたところ、チャーチルは即座に躊躇なく答えた。
「エネルギーを保持することだよ。座っていられるときに立ってはいかん。寝ていられるときに座ってはいかん」。
長期にわたり躁鬱的にすら見えた活動力の秘密はここにあったのかもしれない。あるいは人生の到達点から過去を見た際の総括だったのかもしれない。いずれにせよ私たちも、こうした政治家が生き延びる政治を持たなくてはならない。疲れてきたら休ませ、また、再び押し上げればいい。
まちがっても性急にエネルギーを消耗させてはならない。
言志Vol-12 東谷 暁