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故郷への誓いを社名に込め、宇宙分野重要部品を製造

「多摩川精機」

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130723/plt1307230731002-n1.htm



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多摩川精機の精密部品は、現在、火星で活動するNASAの火星探査機「キュリオシティー」にも搭載されている (AP=NASA提供)





 長野県飯田市の山の中腹に木造の古めかしい工場が並んでいる。「映画のセット?」と疑うような光景だが、ここで衛星などの宇宙分野や防衛装備品の重要部品を作っているというから驚かされる。

 会社の名を聞いて、多くの人はさらに驚く。

 「え? 多摩川?」

 その名も多摩川精機。言うまでもなく東京と神奈川を結ぶ川の名称だ。長野の山中という立地や、その土地と関係のない社名…。謎がたくさんあるが、知れば知るほど気になる企業なのである。

 設立は1938年。創業者の萩本博市氏は信州・飯田の自然の中で生まれ育った。教師を目指して上京し、青山師範学校に進学する。

 しかし、そのうちに故郷の農村が貧困にあえぐようになり、それを手をこまねいて見ているのは嫌だ。「何かできることはないか」と考えるようになる。そこで、教職を諦め、工業の道を開くことを決心する。

 「故郷に豊かな未来を!」

 その思い1つで現在の東京工業大学に入学し、計器製造企業の北辰電機に入社。

 北辰では当時、海軍からの要請でドイツのジャイロ・コンパス国産化に向けた研究を始めていた。ジャイロ・コンパスとはコマを高速回転(1分に2万回転以上)させることで、方位を知る道具のこと。発明したのはドイツのアンシュッツで、第1次大戦で活躍した独軍の潜水艦に装備されている。

 それまでの磁気式羅津儀では地磁気や艦船、積み荷などの磁気に影響され、度々修正しなくてはならなかったが、その煩わしさがなくなった画期的発明だった。

 北辰電機は1936年に、この発展型の国産化に成功した。翌年には国産部品だけでの製作に至り、1940年(紀元2600年)の「大和」「武蔵」などへの装備化に間に合わせている。

 一方、この頃、信州では満洲開拓への移民熱が高まっていた。しかし、博市氏には、日本の発展は外地に出ていくことではなく、「生まれ故郷の近くに」若い青年が十分に働ける工場があることから始まるという信念があり、それを達成するために早くも独立を決意する。

 北辰電機にとっては相当な痛手であり容易に事は運ばなかったが、とうとう独立を許可された。同時に同社が請け負っていたセルシンモーター製造を全面的に譲渡するというお土産まで持たせてくれた。

 そして、博市氏は、東京・蒲田に工場を作った。なぜ長野ではないのか、それには理由があった。近くに流れる川から取った名は多摩川精機、ここで興した力を必ず故郷の天竜川につなげるという思いで、まずはここから第一歩を踏み出した。



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■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)など。