★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2013.06.21) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







以下は、平成25年6月20日、東京・文京区民センターで開催された「よど号犯による拉致事件を考える-東京連続集会73」をテープ起こししたものです。

 金正日は、1978年に、よど号犯らに、自主革命党による日本革命を指令し、そのために日本革命のためのメンバーを増やすため、よど号犯らが日本人拉致を開始しました。よど号犯らは約20名の日本人を拉致したと言われています。

 西岡力救う会会長と、ジャーナリストの惠谷治さんが解説。被害者家族の有本明弘・嘉代子さん、斉藤文代さん、松木信宏さん、家族会の飯塚繁雄代表、横田滋・早紀江前代表夫妻が参加。数回に分けて送信します。概要以下の通り。

■よど号犯による拉致事件を考える

◆よど号犯は労働党の手先政党、自主革命党の党員を増やすために拉致

西岡 みなさんこんばんは。昨年から、一つひとつの事件をもう一度見直してみようというシリーズを始めています。今回はよど号犯による拉致を検討します。

 その一つの契機は、『産経新聞』が拉致問題のプロジェクトチームを作って連載をしているんですが、「再び拉致を追う」というシリーズの第6部で、『「よど号犯」らへの教示』と題する、私に言わせれば「特種記事」を書いたものです。この「教示」の意味をきちんと把握しておきたいというのが今日の中心課題です。

 また神戸から、熊本からご家族にも来ていただきましたので、今ご家族が考えていらっしゃることなども後で一緒に聞きたいと思います。

 明らかになったことは、よど号犯の拉致も金正日の指令によって行われていたことです。その「拉致しろ」という文書があった、ということです。

「よど号犯」への教示というのが、その文書です。タイトルは「日本革命に関する根本問題」で、きちんと表紙がつけられて平壌にあるよど号犯たちの拠点、彼らが日本革命村と呼んでいたところのガラスケースに展示されていた。金正日のサインがあったということです。

 実は私は、「日本革命に関する根本問題」という文書を金正日がよど号犯グループに出したということを90年代から、ある筋から聞いて知っていました。家族会・救う会ができる前に既に私が入手していた情報ですが、1978年5月6日にその文書が出たということです。

 その後家族会・救う会ができて活動を始め、3年経った2000年5月に、八尾恵さんが「現代コリア研究所」を訪問しました。当時救う会は事務所がなくて、「現代コリア研究所」に救う会の事務所を置いていたんですが、我々に会いたいという話でした。

 それで当時の救う会会長の佐藤現代コリア研究所所長、私、そして当時救う会事務局長の荒木和博さんの3人で八尾恵さんに会いました。八尾さんは拉致救出運動に協力したいと言いました。

 当時北朝鮮で生まれた(よど号犯の)子どもたちがまだ北にいて、その子どもたちと連絡もとらしてもらえないということで、よど号犯グループと八尾さんはもめていて、「自分は被害者だ」と言っていました。

 それで私は、「あなたは被害者の部分もあるけれど、加害者の部分もあるんではないか。救出運動に協力するというのならば、できれば警察に言って話をしてほしい。それができないなら記者会見をするなりして、よど号犯グループがやったことにあなたがどう関与していたのかということをきちんと話してほしい」と
言いました。

 そして八尾さんに、「あなたは日本革命テーゼ(日本革命に関する根本問題)という文書を持っていますか」と聞いたんです。そしたら、「文書なんかありませんよ。全文暗記しています」と言いました。

「ああそうか。革命運動について私もちょっとうかつだったなあ」と。文章で何か持ってはいないんだと。ここで「産経新聞」(25.03.25、配布資料)には、「暴力革命までする準備をしろ」ということも(指令に)書いてあった、ということです。

 そういう危険なものは日本に入ってくる時は紙では持ち込まないんです。しかし、全文暗記しているわけです。私は当時、その文書に基づいてよど号犯グループが自主革命党という労働党の手先になる政党を作って、その党員を増やすためにヨーロッパで拉致をしたという話を既に90年代に聞いていたわけですが、それは間接的に聞いていたことで確認がとれていなかったんです。

 しかし、八尾さん本人が文書は全部覚えていますと言ったので、これは間違いないなと思ったんです。そしてそのことを自白してほしかったんです。「金正日の指令文があったんだ」と。私が「あなたには加害者の部分がある」と言ったのはそのことを根拠にして言ったわけです。
その後2年くらい経って、八尾さんは、「有本さんの拉致に自分は加担していました」という証言をし、有本さんのご両親の前で謝罪もし、また『謝罪します』という本も書きました。

 しかし、その中にも、「日本革命に関する根本問題」のことは書いてなかったんです。もちろん、金正日が拉致に加担したということを書くというのは命がけだと思います。あの世界にいた人はそういうことを分かっていると思います。金正日を個人的に攻撃するということは、あの世界では一番してはならないことですから、テロの対象になるかもしれないと八尾さんは思っていたのかもしれない。

 しかし、『謝罪します』という本を書いているのに、誰が命令したのかという基本的なことを書かないというのは、私は納得ができませんでした。

 逆に言うと、「日本革命に関する根本問題」という文書がある。そして金正日が日本に対して何をしようとしていたのかということを有本さんや松木さんや石岡さんは知っているわけです。そのことを隠そうとしていたからこそ、生きている人を「死んだ」と言ったのではないか。

 つまり、田口八重子さんや横田めぐみさんは、実際に北朝鮮のテロに関与している人物のことを知っているわけです。工作機関で工作をしている人を。そのことを隠したいと思っていた。1976年の、「工作員の現地化」指令を隠したいと思っていた。

◆「産経」の歴史的記事-よど号犯の拉致は金正日の命令

 一方、有本さんたちは、1978年の「日本革命に関する根本問題」を隠そうとして、生きているのに「死んだ」と言われたのではないか。そのことについて「産経新聞」(25.03.25)は、「よど号犯関与の拉致、金総書記書簡受取り実行か」と書いたわけです。

 これは大手のメディアでは初めて、よど号犯の拉致が金正日の命令で行われたということを書いた歴史的な記事だと思っています。

 特に私が驚いたのは、私は「日本革命に関する根本問題」、そして「自主革命党を作れ、党員を増やせ、拉致をしろ」ということしか聞いていなかったんですが、ここでは書簡の中に、「主体的力量の準備」や「暴力革命の準備」などが記されていたと書いてあることです。

「主体的力量の準備」という意味は、日本革命のために作った自主革命党を発展的に成長させるためメンバーを増やさないといけない」という意味だと、自主革命党の田宮党首が語っていたと「産経」は報道しています。

◆よど号犯が、自衛隊員によるクーデターの準備も

 それだけではなく、「暴力革命の準備」というのは何か。田宮は、「自衛隊員によるクーデターなどの攪乱工作の準備」と説明したと書いています。

 金正日がよど号犯グループを使って、日本人を地下党の党員にして、自衛隊に入れて、主体思想で洗脳された自衛隊員がクーデターを起こすという準備をしていたということです。

 その具体的な中味が明らかになれば、これは拉致だけではなく、もっと重大な犯罪を金正日が犯していた。それは彼らにとっては隠さなければいけない秘密になるわけです。

 この「自衛隊員によるクーデターなどの攪乱工作の準備」という部分を読んで、やはりそうだなと思いました。八尾恵さんが1988年に捕まった時、何をしていたのか。

 彼女は柴田というよど号犯グループの一番若いハイジャッカーと結婚して、自主革命党党員を増やすために色んな国を廻って拉致をしていたわけです。2000年に「現代コリア研究所」に来た時、確か「60何か国行きました」と言っていました。

 そして外国で日本人に声をかけると、海外旅行をしている時は日本人同士で日本語で話をするとほっとするんですね。その中で、自主革命党員にふさわしいと思う人を拉致していたということです。

 それが一段落した後、彼女は日本に入ってきます。そして横須賀で捕まったんです。横須賀には防衛大学校があります。自衛隊の幹部になる人たちの学校です。その生徒たちが主としてお客さんだった「夢見波(ゆめみは)」というスナックを経営していた。その開店資金は当然、朝鮮労働党から出ていると思います。

 自衛隊員の中に、自主革命党員を作ろうということで、彼女は横須賀でスナックをやっていたんです。私は自衛隊の基地で時々講演をします。90年代の半ばに、ある基地に講演に行った時、東京から新幹線で自衛隊の人が一緒に乗っていたんですが、一緒にいると色んな話をしますよね。

「自衛隊の中に北のスパイが入りそうになって危なかったんですよ」と言ったら、「実は私の防大の同期が『夢見波』というスナックに入り浸って、カウンターの中に入ってシェーカーを振っていました」という話を聞きました。

 八尾恵さんは在日朝鮮人じゃないです。日本人です。90年代の日本の世論はまだ自衛隊に対して冷たかった。スナックの若いママが、「私は自衛隊のファンなのよ。国防のために頑張ってね。サービスしますよ」と言ったら、自衛隊の幹部の卵たちは、「ここはいい飲み屋だ」と思って来るわけです。それも、この
「日本革命に関する根本問題」に基づいてなされていたのです。

 八尾さんの夫の柴田も、やはり日本で捕まりましたが、彼がやっていたのは、高校生を集めて勉強会みたいなことをやって、その中の優秀と思われる人間に主体思想を教えて、私が聞いているのでは、ヨーロッパ経由で北朝鮮に送って、教育を受けさせて日本に戻して、防衛大学校を受験しなさいと言っていたと。それも自衛隊に関係があるんです。

 しかし、日本の警察は大変優秀で、また時期がよかったため、ソウルオリンピックの直前ということで、世界中の情報機関が北朝鮮のテロを防ぐために協力していて、ヨーロッパでキム・ユーチョルという北朝鮮の工作員としょっちゅう一緒に動いていた日本人が、今日本に戻ってきていて横須賀にいるということが分かって、神奈川県警が逮捕した。

 しかし、日本にはスパイ防止法がありませんので、私文書偽造で逮捕しました。それは何かというと、アパートを借りる時に、契約書に八尾恵と本名を書かなかったと。そういうことでしか逮捕できないんです。自衛隊にスパイを入れようとしていたという、治安に関わる重大な、我々から言えば犯罪です。刑法上は外患罪という、敵国と内通して日本の安全保障を危うくするという戦前からある罪名は法律上生きているんですが、それでなぜ逮捕しなかったのかと今でも思っています。

 まず、『産経新聞』の記事、八尾さんが2000年に来て日本革命テーゼのことを話したこと、その背後にある金正日の狙いについて少し問題提起しましたが、惠谷さん今の話を聞いてどうですか。

◆金日成がよど号犯を高く評価

惠谷 まず、よど号犯問題に関してですが、記事にある「56書簡」、「56教示」というのは、金日成がよど号犯グループに最初に1972年5月6日に会ったからそう呼ばれています。

 それから金日成は、ほぼ毎年のようによど号犯グループに会いにいっています。1975年の5月6日は金日成がよど号犯グループに、「お前たちも結婚しろ」という教示を与えます。

 それ以降、日本から女性たちが続々と北に向かうことになります。76年にも金日成は会いにいっています。とにかく金日成というのは、「君たちは金正日の卵だ」という表現で高く評価していました。そして朝鮮労働党連絡部に「56課」というよど号犯担当の部署を新設します。

「よど号」が着陸して以降担当していたキム・ユーチョルという男、もともと連絡部の日本担当で日本語が非常にうまかった男が、最初は世話役的立場だったと思いますが、かれが「56課」の責任者になります。

 この男はとても優秀で、もともとの専攻はロシア語だったようですが、日本語は、ある人物に聞いたら独学で勉強したそうです。よど号犯グループは彼から朝鮮語を習ったりもしたそうです。

 この場で何度も西岡さんが言いましたが、1976年から金正日が工作機関の実権を握ります。しかしこの「56課」というのはそのまま継続します。この「56課」は、金日成の指示を受け続けていたとずっと考えていました。

 というのも、よど号犯グループのヨーロッパでの3人の拉致と他の拉致は性質がどうも違う。その背後には金日成の教示がそのまま80年代も生き続けたため性質が違うのかなと思っていたんです。

 75年5月、76年5月に金日成が行っている。そして77年は、5月1日から5日まで続けて結婚式をしている。そして78年5月6日に「56教示」が出ます。

西岡 私が聞いているのは、結婚式が終った5月7日に、宴会が開かれて、金日成、金正日が二人で来て、そこで金日成が、「新しい党を作って日本革命をやれ」と命令したと。それが自主革命党だと。だから大枠は金日成が命令しているのですが、その次の段階は、78年5月6日に「日本革命に関する根本問題」と題する金正日書簡が出たということです。

惠谷 その「根本問題」の具体化のために、78年の年末と言われていますが、よど号犯の9人と8人の妻、吉田金太郎さんだけは結婚していないんですが、その全員が集まって、彼らはこれを総会と呼びますが、総会を開いた。そこで「56教示」に従って、自主革命党を作る。彼らは自主革命党創建準備委員会をまず作り、田宮が委員長、小西が副委員長になります。

 また、それまでもよど号犯は本名では呼び合っていませんでしたが、妻が決まったので全員に変名、工作員名を付けます。田宮は斉藤委員長、小西は山口副委員長といった具合です。八尾恵は中山明子ですから平壌では中山同志と呼ばれたそうです。本人が証言しています。

◆78年、79年に拉致の拠点づくり「マドリード作戦」

 そして78年の年末から本格的なよど号犯による拉致が始まります。その時に、一番若い柴田が八尾と結婚していますから、この二人が先発というか露払いというか、ヨーロッパに派遣されます。78年、79年に渡って、ヨーロッパ各地、世界各地を動いて、どこが工作しやすいか、どこで日本人を引っ掛けやすいかを
調査し、その一つの拠点としてスペインのマドリードを選択します。彼らは日本人拉致作戦のことを、「マドリード作戦」と呼ぶようになったそうです。

 その後80年に松木さんたちの拉致があります。石岡さんと松木さんは別々に行ってマドリードで出会うわけですが、そういう拠点をまず開拓して、重要なことは、そこにキム・ユーチョル、情報機関内ではKYCという暗号で呼ばれていましたが、彼がすべてを仕切っているわけです。

 ヨーロッパの防諜機関は彼を秘密撮影をしていますが、あらゆるところにこの男が登場します。有本さんの拉致の現場にも貿易商を偽装して座っていたわけですが、私は明らかに拉致実行犯だと思いますし、逮捕状をとって国際指名手配をかけるべきだと思います。

 日本政府は北朝鮮にいて逮捕できなくても国際指名手配をかけているわけですから、色々な事件がありますが、有本さんに関して言えば、少なくともこのキム・ユーチョルは国際指名手配すべきだと思います。

(2につづく)




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