【皇室ウイークリー】(282)
アフリカ開発会議で来日したアフリカ各国首脳夫妻らと乾杯される、天皇、皇后両陛下と、皇太子殿下をはじめとする皇族方=6月3日、皇居・宮殿「春秋の間」(代表撮影)
天皇、皇后両陛下は今週、各国首脳や国賓を迎えた重要行事に相次いで臨まれた。側近によると、両陛下はこうした行事の前に、入念な準備をされるという。お忙しい1週間になったようだ。
3日には、第5回アフリカ開発会議に出席した各国首脳を歓待する両陛下ご主催の宮中茶会が皇居・宮殿「春秋の間」で開かれた。両陛下は、各国首脳夫妻がバスで帰るまで手を振って見送られた。にぎやかな演奏を披露した皇宮警察音楽隊にも、拍手を送ってねぎらわれた。
アフリカ開発会議の関連では、両陛下は1日に横浜市で、医療・保健分野でアフリカに貢献した人を表彰する「野口英世アフリカ賞」の授賞式にも臨まれている。野口英世の出身地、福島県から駆けつけた県立安積黎明高校(郡山市)のコーラス部が美しい歌声を披露し、両陛下は盛んに拍手を送られていた。同校は東日本大震災で校舎が壊れ、コーラス部はプレハブの仮校舎で練習しながら、全国合唱コンクールで文部科学大臣賞を受賞している。皇后さまは生徒たちに温かく声をおかけになった。
7日夜には、国賓として来日したフランスのオランド大統領と事実婚パートナー、バレリー・トリルベレールさんを迎え、両陛下ご主催の宮中晩餐(ばんさん)会が皇居・宮殿「豊明殿」で行われた。陛下は冒頭のお言葉で、江戸時代末期から現代に至る日仏関係を振り返られた。その内容は、皇室と日本全体が大きく変革していった歴史に触れられており、興味深いものだった。その一部を紹介する。
「開国に反対の孝明天皇が亡くなり、十代の若さで私の曽祖父、明治天皇が即位いたしました。200年以上、続いた徳川幕府は廃止され、天皇は千年以上にわたって住み続けた京都から、当時、江戸と呼ばれていた東京に移り住むこととなり、今日に至っています」
6日には東京都文京区の豊島岡墓地で、「ヒゲの殿下」として親しまれながら昨年6月に薨去(こうきょ)された三笠宮家の長男、寛仁(ともひと)親王殿下の「墓所一周年祭の儀」が行われた。長女の彬子(あきこ)さまと次女の瑶子(ようこ)さま、皇族方が参列された。
寛仁親王墓は今年5月に竣工報告が行われたばかりで、高さ約1・3メートル、直径約3メートルの円丘。総工費は約8800万円。車椅子で参列した97歳の三笠宮さまと、90歳の三笠宮妃百合子さまは墓前で立ち上がり、深々と拝礼された。
療養中の寛仁親王妃信子さまは参列しなかったが、前日には心境をつづったお手紙を宮内記者会に郵送で届けられていた。皇族方が宮内庁を通さず記者会に直接文書を送られるのは異例。お手紙には「宮様をお偲び申し上げております」と記されていた。
墓所の儀には、9日にご成婚20年を迎える皇太子ご夫妻も参列された。療養中の皇太子妃雅子さまは出席しない予定だったが、足を運ばれた。ただ、小町恭士東宮大夫は7日の定例会見で「急に活動の幅が広がるわけではない。体調を整えながら、まずは可能なことから」と説明した。
皇太子ご夫妻は、1日の学習院初等科の全校参観日に、長女の敬宮(としのみや)愛子さまが授業を受けられる様子をご覧になった。愛子さまは4~6日、修学旅行で奈良県を訪問された。法隆寺、東大寺などをお友達と一緒に熱心に見学されたという。また、皇太子さまは4日、お住まいの東宮御所で、国際会議「水と災害ハイレベル・パネル」第1回会合の出席者と懇談された。
高円宮妃久子さまは7日、スウェーデンのマデレーン王女の結婚式参列のため成田空港から飛行機で出発された。