慰安婦の持参と現地調達。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





ねず様のブログ・ねずさんのひとりごと より。




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兵士のあとから明るく楽しそうに笑いながら川を渡る慰安婦このどこが強制連行なのだろうか。




5月27日のことです。
次の報道が世界に流れました。
ご紹介します。

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「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」
2013年05月27日 14:38 発信地:ワシントンD.C./米
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2946474/10810152

【5月27日 AFP】(一部更新)
第2次世界大戦(World War II)中の仏ノルマンディー(Normandy)上陸作戦に参加した米軍兵士たちは、フランスをナチスドイツ(Nazi)から解放した勇敢な英雄として描かれてきた。
そうした「若いハンサムな米兵さん」のイメージに隠された負の側面を明らかにした研究書が来月、米国で出版される。



6月に刊行予定の「What Soldiers Do: Sex and the American GI in World War II France(兵士らは何をしたのか:第2次世界大戦中のフランスにおける性と米兵」は、米ウィスコンシン大学(University of Wisconsin)のメアリー・ルイーズ・ロバーツ(Mary Louise Roberts)教授(歴史学)が、米仏で膨大な量の第2次大戦中の資料を研究してまとめた著作だ。

研究の趣旨についてロバーツ教授は、「GI(進駐軍兵士)はたくましい男で、常に正義に基づいて行動するとの典型的な『GI神話』の偽りを暴き出すことだった」と、AFPに語った。
教授によると、米軍では当時「フランス人に対して優位に立つ」手段として性欲、買春、レイプが取り入れられていたという。

米兵たちは、ノルマンディーの人々から「性のアバンチュール」を求めてやってきた、セックスに飢えた荒くれ者と見られていた。
これは地元ノルマンディーではよく知られていることだが、一般的な米国人にとっては「大きな驚きだ」とロバーツ教授は述べている。


■「女性を隠せ」、街中いたるところで性行為

米メディアがノルマンディーに上陸した米兵について、キスをする米兵と若いフランス女性の写真を掲載するなどロマンチックな視点で解放者として描いていた間、地元の人々は「問題」に直面していた。
地元には、「ドイツ人を見て隠れるのは男たちだったが、米兵の場合は女たちを隠さねばならなかった」という話が伝わっているという。

米兵たちの放蕩ぶり、不法行為、さらには組織的な人種差別などもあった。
「GIはどこでも所かまわずセックスしていた」とロバーツ教授。

特に、ルアーブル(Le Havre)やシェルブール(Cherbourg)では米兵たちのマナーの悪さが目立ったという。
米兵たちは、女性を見れば既婚女性でさえ公然とセックスに誘い、公園、爆撃を受けて廃墟と化した建物、墓地、線路の上など、街中いたるところが性行為の場となった。
しかし、全てが両者の合意のもとで行われたわけではなく、米兵によるレイプの報告も数百件残されている。

ロバーツ教授が調べた資料によれば、
「セックスをしている男女を見かけずに街を歩くことは不可能」なほどで、
当時のルアーブル市長が米駐留部隊の司令官に改善を求めたと記されていた。
米軍の上官らは兵士たちの行為について公式な非難声明は出したが、改善の努力はしなかったという。


■フランスは「売春宿」、口説き文句も紹介――米誌プロパガンダ

ロバーツ教授は、当時の米兵が勇気ある青年たちであり、その勇敢で英雄的な行為がフランスから感謝されている事実についても忘れずに触れている。
一方で、米軍が未知の国で戦う若者たちを鼓舞する即効策として、意図的に米兵たちの性欲に訴えかけるプロパガンダを行ったとみられる点も指摘している。

例えば、写真ジャーナリズムの草分けである米誌「ライフ(Life)」は、フランスを「快楽主義者4000万人が住む巨大な売春宿」と表現した。
また、米軍機関紙「星条旗新聞(Stars and Stripes)」は、フランス女性を口説くためのフランス語フレーズを連載。
「きみ、とても可愛いね」
「たばこをあげようか」
「ご両親は今、家にいるの?」といった会話の糸口を紹介していた。

ロバーツ教授は「米兵の性欲は、いったん火が付くと手が付けられなかった」と記している。

さらにロバーツ教授の著書は、当時レイプ事件で訴えられた米兵は、黒人兵士が圧倒的に多かった事実にも踏み込んでいる。
1944年10月の資料によれば、米兵が絡んだ強姦事件152件のうち130件で黒人兵が訴えられている。
これについてロバーツ教授は、米軍内の根深い差別を示していると指摘した。
フランス人も、すぐに黒人米兵を指さして非難するようになったという。


■人類の経験として捉え直す

ノルマンディー上陸作戦から約70年たった今、同書を出版する理由についてロバーツ教授は、歴史を書き換えたいわけではなく、「フランス側から見た実態」を明らかにすることによって、ただの「空虚な英雄譚(たん)」にとどまらない「人類の経験の1つ」としてノルマンディー上陸作戦を捉え直すのが目的だと説明している。
(c)AFP/Fabienne Faur
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引用はここまでです。

ノルマンディ上陸は、正式名称を「オーバーロード作戦」といいます。
「Overlord」というのは、大君主という意味の言葉で、ドイツに蹂躙され占領統治下に置かれたヨーロッパに、米軍という名のまさに大君主が降臨して、ドイツ軍を蹴散らした、そういう誇りあふれる、米軍の勝利の大作戦です。
だからこそ何度も映画化されています。

ところが実際にそこで行われたこと。
それは、上陸されたフランス人にとって、
「ドイツ人を見て隠れるのは男たちだったが、
 米兵の場合は女たちを隠さねばならなかった」
です。
これが現実です。

こうしたことは、何も第二次大戦における米軍だけに限った固有の問題ではありません。
古来、大陸では、戦いに勝った兵士達の報酬は、奪った町の女達とその町にある全ての財産の略奪するのが常識でした。

戦いに勝てば、軍事力を持った敵の守備軍が壊滅します。
守備力がなくなるということは、武器を手にした勝者の側は、好き放題に略奪強姦殺人をほしいままにすることができるし、実際、それが行われてきました。
それがほんのなん十年か前まで、世界の常識でした。
いや、もしかしたら、いまもそうなのかもしれません。

だからこそ人々は、自分たちの平和と生命財産貞操の安全を守るために、大昔には小さな村落単位の自警団で、古代には村落が共同して都市単位の城塞で、中世にはそれら城塞都市が連携した国家として、自分たちの生命や財産を守り、たいせつな女性たちを守ろうとしました。
それが世界における国家形成の仕組みです。
中世の、「高くて頑丈な塀」に囲まれた城塞都市は、こういう背景からできあがったものです。

ところが日本には、古来、城塞都市という概念がありません。
なぜでしょう。
もっというなら、日本にはどうして東京に「23区をまるごと囲む高さ10メートル、厚さ3メートルの城壁」がないのでしょう。

理由は簡単です。
村人を含めた虐殺も収奪も強姦もなかったからです。
城と城、武家と武家との戦いでは、なかには、そういう目に遭った事例があったかもしれません。

けれどそれらは戦う当事者の間の出来事で、「民百姓」といわれた一般の民衆、圧倒的多数の民衆がそうした被害に遭うことはほとんど例がありません。
だからこそ町ぐるみで城塞を築く必要もなかったし、なかったからこそ、23区を囲む城塞だって存在してません。

要するに日本では、戦いが終わった後に、現地で略奪をしたり女性たちを強姦したりすることを、大昔から極端に忌む習慣が「あった」ということです。

現実問題として、戦が終わり、郷里に帰ったときに、たとえ戦に勝ったとしても、敵地において着脱や強姦をしてきたなどと、口が裂けても郷里で自慢などできません。
自慢どころか、日本全国、そんなことをしてきたという噂がご近所にバレただけで、村八分にあいます。
それが古来からある日本の姿です。

けれど、若い男性ばかりの軍では、どうしても性の捌け口としての性の問題は生まれます。
そのことは、大昔も現代もなにひとつ変わりません。
いささか下品な言い方をすれば、「オレは女なんか必要ねえ!」といくら口先で綺麗ごとを言っても、朝になったらチ◯コがカチカチに勃起する。それが健康な若い男子というものです。

けれど、戦地において、現地の普通の女性に迷惑をかけるわけにはいきません。
ですから戦国時代には、大名クラスの人は、男の子(稚子)を戦地に連れて行き、性の処理をしました。
要するに男色です。

けれど、一般の兵には、そんな贅沢は許されません。
では彼らがどうやって性の処理をしたかといえば、世の中は良く出来たもので、春を売ることを商売にする女性たちが(現実に)世の中にいたのです。

時代が変わり、日本が国家として大軍を外地に派遣しなければならなくなったときには、どうだったのでしょうか。
巷間言われるように、外地で「外地の」女性を強制徴発したのでしょうか。

違います。
日本は「内地から」春を商売にする女性たちを外地に連れて行ったのです。
連れて行ったというと語弊があります。
彼女たちは、軍が連行したわけではありません。
ついてきたのです。

軍は、若い男性がいっぱいいて、しかも女気がない。
そして戦いを前にした男性というのは、種の生存本能で、血に飢えたケモノさながらに自分の遺伝子を遺そうという本能が働きます。
ですからそういう軍人を相手に商売をすれば、業者も女性たちもボロ儲けだったのです。
だから軍のいるところには、どこへでも業者や女たちが「付いてきたの」です。

けれど春を売る商売と梅毒などの性病は、切っても切れない関係にあります。
そして軍の兵士たちが、性病に罹患したら、軍は肝心の戦いができない。
だから、軍は、女性たちの性病管理、健康管理を行いました。
また、女衒と呼ばれる女たちを集めて来る業者たちに対しては、絶対に女たちを騙したり強制したりして集めて来ないよう繰り返し通達するとともに、そういう行為をやった業者は、容赦なく重罰に処したのです。

いま、韓国の従軍慰安婦云々が騒ぎとなっていますが、当時、韓国にいた売春婦の女性たちは、その半数以上が、内地の日本人女性です。韓国人は3分の1程度しかいません。
そして大事なことは、当時、朝鮮半島は日本だった、ということです。

そして商売をする女たちは、レンガと呼ばれるほど札束が立つたくさんの月給をもらい、17~8歳から23歳くらいまでの数年間商売をするだけで、一生食うに困らないくらいの大金を稼ぐことができました。

売春宿ですから、ときには客として、朝鮮人や支那人などが来ることもあります。
日本人の客は、女たちを対等な人間として大切に扱ったけれど、朝鮮人や支那人は、女たちをあからさまに見下し、カネを払わずに逃亡するようなことも多々あったそうです。
そうすると、女たちは売春宿の雇い主から叱られ、ペナルティをとられる。
そういう嫌なことも多々あったようです。

とりわけ朝鮮人の客の場合、肛門性交を強要する客が多く、これは裂けて一生痔に悩まされ続けるようになることから、女たちからたいへんに嫌われたそうです。

ともあれ、日本は、外地に出征するに際して、女たちを「持参」で外地に赴きました。
諸外国で、売春婦を内地から連れて行くことで、現地の女性たちに迷惑がかからないようにした軍隊というのは、おそらく、世界で日本だけなのではないかと思います。

しかも日本は、軍の兵士たちが外地の女性たちに狼藉を働かないよう、国を挙げて厳しく監督しました、
万一現地の女性に手を出したとなれば、たとえそれが相思相愛の恋愛によるものであったとしても、強姦罪として、厳しく処断をしました。

持参」か、「現地調達」か。
この違いは、たいへん大きな違いです。

若い男性ばかりの軍において、どっちに転んでも、性の捌け口は必要です。
なしですませれることではありません。
ならば、どちらが人道的といえるのでしょうか。

《参考》是非↓もお読み下さい。
小町園の悲劇
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1601.html




北朝鮮でいまも行われている蛮行(あまりにも酷いです。女性の方は見ない方がいい)
NK 수용소 8;30 (www.ecornerstone.org )