96条改正反対論のウソを見抜け。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









日本大学教授・百地章




 憲法を主権者国民の手に取り戻そうというのが、憲法96条改正論である。ところが、護憲派の巻き返しにより、世論がやや反対の方向に傾き始めた。このまま行けば折角(せっかく)盛り上がってきた改憲論議そのものに水を差しかねない。

 ≪権力「縛る」だけが憲法か≫

 護憲派は「国民を縛るのが法律で、憲法は権力を縛るのもの」と喧伝(けんでん)している。しかし、法律の中にも、国会法などのように権力(国会)を縛るものがあるし、憲法の中にも、国民に対して教育や納税の義務を課し、国民を縛る規定が存在する。また、憲法順守の義務は、当然国民にもある(宮沢俊義『全訂日本国憲法』)。

 確かに、「立憲主義」の立場からすれば、憲法が国家権力の行使を制限するものであることは間違いない。その意味で、憲法は「制限規範」と呼ばれる。しかし、国(権力)が国民から税金を強制的に徴収できるのは、憲法によって政府(権力)に課税徴収権が授けられたからだ。この場合、憲法は「授権規範」である。

 さらに、憲法は「国のかたち」を示すものでもある。従って「憲法は権力を縛るもの」などといった独断は誤りであり、護憲派が自分たちに都合のいいように考え出したレトリックにすぎない。

 ≪発議要件緩和は国民のため≫

 次に、「憲法によって縛られている権力者が、勝手に憲法改正のルールを緩和してしまうのは、本末転倒であって許されない」(小林節慶応大学教授)という批判である。一面の真実を語っていることは間違いない。しかし、現実問題として考えた場合、憲法96条が、「憲法改正阻止条項」と化しているのは事実である(拙稿「憲法を主権者の手に取り戻せ」=4月11日付産経新聞本欄)。

各種世論調査から窺(うかが)われるように、最近では国民の6割前後が憲法改正を支持しており、衆議院でも3分の2以上の国会議員が憲法改正に賛成している。にもかかわらず、参議院のわずか3分の1を超える議員が反対すれば、憲法改正の発議すらできない。

 つまり、主権者国民の多数が憲法改正を望んでも、たった81人の参議院議員が反対したら、一字一句たりとも憲法は変えられないわけである。これはどう考えても不合理である。

 このような異常事態から一日も早く脱却しようとするのが、96条改正の眼目である。こう考えれば、発議要件の緩和は権力者のためでなく、何よりも主権者国民自身のためであることが分かる。

 選挙権と異なり、国民が主権を直接行使できるのは、憲法改正の国民投票だけだ。だから、憲法96条によって、国民は主権行使の機会を奪われ続けていることになる。護憲派は国民主権の問題などどうでもよいというか。

 それに、そもそもこのような厳格すぎる改正条件を課したのは連合国軍総司令部(GHQ)であった(西修駒沢大学名誉教授)。それゆえ、発議要件の緩和は権力者のためではなく、日本人自身のためであり、憲法を日本人の手に取り戻す第一歩となる。

すなわち「憲法は権力者を縛るものであり、権力者が勝手にルールを緩和してもよいのか」などといった単純な話ではないから、現実を無視した机上の空論に惑わされてはならない。

 ≪せめてフランス並みにせよ≫

 もう一つの有力な批判は、改正手続きを厳格にしておかないと政権が変わるたびに憲法が改正されかねない、というものである。

 確かに、その危険は皆無と言い切れないが、「国会が両院の総数の過半数で発議し、国民投票でも過半数の賛成が必要」というのは、決して簡単ではなく法律の改正より遥(はる)かに難しい。ちなみに、法律の制定や改正は、定足数(総数の3分の1)の過半数、つまり極端な場合、総数の6分の1を超える議員の賛成で可能となる。

 それに、容易なはずの法律でさえ、国民の中で意見が対立している場合には、簡単に制定できない。例えば、外国人参政権についていえば、国民の中に強い反対意見がある。そのため、衆議院で圧倒的多数を占め、再議決さえ可能だった民主党政権下でも、結局実現できなかったではないか。

 したがって、改正の発議を総数の過半数にしたからといって、憲法がコロコロ変わるなどということは、まず考えられない。

厳格といわれるアメリカでは、両議院の3分の2以上の賛成で発議し、全州の4分の3の議会の承認が必要だが、発議は定足数(過半数)の3分の2で足りる。だから、総数の6分の2を超える賛成があれば、発議は可能である。また、ドイツでも両院の3分の2の賛成が必要だが、国民投票は不要だ。それゆえ、日本国憲法の改正は世界一難しいといってよい。

 この点、フランスでは両院で過半数が賛成し(ただし総数の過半数といった縛りはない)、国民投票でも過半数の賛成が得られれば、それだけで憲法改正が実現する。これは96条改正案と変わらないが、それでも護憲派は緩やか過ぎるというのだろうか。

                                (ももち あきら)