★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2013.05.22) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






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寺越事件の解決なくして拉致問題の解決なし-5/17東京特別集会報告2


■寺越文雄さん発言要旨(2010年録画ビデオから)

※寺越文雄さん発言のすべては救う会ホームページから動画で見ることができます。以下は、発言を要約したものです。※寺越文雄さんは録画3か月後の2010年10月8日に亡くなられています。


・(1987年に弟の寺越外雄さんから)手紙が来た時は、これならすぐ帰れると思い、寺越家の兄弟たちも喜んだ。また、帰れるなら、北朝鮮が言う通り、拉致ではなく、「救助」とされてもいいと思った。

・しかし、月日が経ち、帰る期待が薄れ、他方外雄さんの家族から支援の要請が続いた。なぜ帰れないのかと思い続けた。

・韓福生さん(在日の帰国者、外雄さん妻)に一番聞きたいのは、夫婦だったら、せめて僕の弟は、無理矢理に連れてこられたということを一言くらい言ってほしい。それを一番聞きたい。

・弟は死んだが、僕の弟の血を引いた弟の家族が北朝鮮にいる。子どもたちは日本人だから、日本に帰ってきてほしい。

・武志さんの母、友枝さんが何回も訪朝して支援を続けてきた。兄弟と親子はそこが違う。親が子に会いたい気持は分かる。僕も、自分の子どもだったら会いに行くだろう。

・しかし、大使館の保護のない国は恐ろしい。実際に、(元社会党代議士の)嶋崎譲先生が、お母さんが2回目に行った時、「あんたよう帰ってこれたね」と言った。

・外雄さんの家族からの手紙には、「一度来てくれ」と必ず書いてある。当時は僕はまだ子育て中で、その不安がずっとつきまとった。福生さんに対して悪かったなあ、兄に対しても悪かったなあと思う。武志のお母さんが来るのに、なんでうちの兄弟は来ないのかと思っただろう。それはやっぱり、後ろめたさがずっとあった。

・しかし、行って帰れなくなったら僕の子どもは路頭に迷う。弟を犠牲にするか、子どもを犠牲にするか。それは子どもの方に重きを置きます。その代わりできることはしてあげたつもりです。

・外雄さんの妻の韓福生さん(在日朝鮮人の帰国者)の日本の実家に訪ねたら、「もううちは娘と縁を切ったから二度と来ないでくれ」と言われた時は、なぜそう言うのかと思った。「一緒に外雄・福生さんを支援しよう」と言ったのだが。あそこで、外雄の人生がだいぶ変わったんじゃないだろうか。

・以後、二度と行っていない。もっと違った応対をしてくれたら、ずっと支援を続けることができて、彼らもそれなりに幸せになれたかもしれない。

・はっきり言って、僕は余命3か月と医者に言われた。これも癌、これも癌、これも肺気腫と。手術できますかと言ったら、「できない」と。僕がいない家に帰ってきたらどうなるだろうか。もし帰れたら、どうしても頑張りたいけど、こればかりはしょうがない。

・もし帰れたら、救う会のお蔭で帰って来れたんだ、皆さんに対して感謝しなければならないとひとこと言いたい。

・友枝さんは、「明哲はうちの武志がいつもかわいがっている」という。それはそれでいい。武志がああいう生活ができて、その武志にかわいがってもらっているのだから、それなりの生活もできるだろうが、明心は可哀想だ。手紙読んだらいつもそうだ。

・明哲は武志と関係があるから残りたかったら残ってもいい。明心はどうしても日本へ行きたいという。福生さんと明心には、日本政府の援助の手を差し伸べてほしいと思う。

・明哲は武志と同じように、ああいう国の思想と言ったら怒られるかしれないが、帰ってくる気があるんでしょうか。救出の対象にはなるけど、日本に帰ってきたあの武志の態度を見たら、帰ってくる必要もないし、帰ることもないだろう。

・できたら明哲も一緒に帰ってきてほしいけど、あの言葉を見たら、明哲は帰らないのかとも思う。よく分からない。あの国のことだからどこまでが本音で、どこまでが建前か分からない。できれば二人が孫を連れて、そろって帰ってきた方がいい。

・しかし明哲が帰れたら、今度は武志が、「お前をここまで可愛がったのになぜ共和国を捨ててそっちへ行くのか」と。そういうことにならないかな。そしたら同じことが、今度は明哲、明心との間で起こる。

・そういうことが頭の中でぐるぐる、ぐるぐるして、10分置きに目が覚めまる。いつになったら帰れるかなあ。いつになったら帰れるかなあ。長瀬さんは3年と言ったけど。帰ってきたら、どういう応対をしたらいいかということは、四六時中考えている。

・アメリカや自由主義の国から帰ってくるならいいが、ああいう国だから、返してもらえるものか、頭がおかしいなってくる。

・そしてそのうちに、韓国の船を爆発したとか。そうなるとまたややこしくなる。制裁をするとか。そしてまた帰るのが遅くなる。

・僕は何年生きるか分からないが、それまでに話がつくものか。しかし、あまりにも長かった。はっきり言って。

・(拉致ではなく救助と書いてある)武志の『人情の海』を読んだ。普通なら漂流者、遭難者を助けたら必ず母国に返す。それが掟だ。ところが北朝鮮はそうではない。

・横田さんでも、結構疲れているのではないだろうか。どの内閣に期待したらいいのか。あまりにも長い歳月だ。


長瀬 私も3年で帰ってこれるとは思わなかったんですが、文雄さんの病院に行って、もう胆汁も出ない時で、たくさんの管が入っている時でも、明心が苦労しているからまたヘアメイクのカタログやらを送る準備をしてくださいと言われた時に、「大丈夫です。2、3年で帰ってこれるかもしれない」ということを言っちゃったんですね。それを文雄さんが言っておられます。

 何とか今日は、この文雄さんの思いを古屋大臣にお伝えしなきゃなと思って神戸から出てきました。また、今日会場で見てくださった皆様方は、より深くご理解いただけたのかなと思います。ありがとうございました(拍手)。

西岡 ありがとうございました。続きまして、家族会のメンバーであり、寺越昭二さんの長男、次男、三男である寺越昭男さん、北野政男さん、内田美津夫さんに、今日古屋大臣に会われて、あるいは寺越事件50周年で感じておられることをお話していただきます。


◆安倍総理が言う「強い日本」であったなら

寺越昭男 皆さんこんばんは。こんなに集まっていただきありがとうございます。私もこのビデオは初めてなんですが、文雄叔父さんの気持が本当に伝わってきました。

 私たちは何の支援もできなかったんですが、私たちにとってみれば、幸せな思いで頑張ってほしいと頑張ってほしいと思います。

 寺越事件50年というのは、本当に長く、半世紀になりましたが、なぜこれだけ長い時間がかかっても解決しないのかなという思いを持っています。手紙が来た87年に、安倍総理が言う「強い日本」であったなら、もっと早く寺越事件も、横田さんの事件も、有本さんの事件も、増元さんの事件も解決していたんじゃな
いかという思いがします。

 本当に「弱い日本」。北朝鮮にいることが分かった時、普通の国なら、拉致であれ、救助であれ、国民を返せというのが当り前だと思うんですが、それができなかったのは情けないという思いです。

 私たちが2002年に声を上げてから10年経つんですが、進展しない。こういうもどかしさの中で今後どうすればいいかです。

 一番心配なのは、拉致でなく救助で終ってしまうというのが、いつも頭から離れなかったんですが、今日大臣にお会いして、真相究明なしに拉致問題は解決しないということす。真相究明なくして寺越事件は解決しないということを了解していただいたということで、安心しているところです。

 真相は武志が一番よく知っていると思います。武志が本当のことを言えるような環境にしていただきたいという思いがあります。

 また、現場検証や親父の遺骨のことも含め、真相究明ができればと思っています。ありがとうございました(拍手)。

◆「寺越事件」となったのは、手紙が来た87年からだった

北野政男 皆さんこんばんは。お忙しい中、寺越事件についてこれだけ集まっていただいて本当にありがとうございます。

 今日、この会場にパッと足を踏み入れて、ちょっと気になったことがあります。確かに事件は50年前、うちの親父等3人が失踪したことから始まっていますし、「寺越事件50年」と書いてありますが、「寺越事件」となったのは、手紙が来た87年からです。そして拉致、昭二の殺人が表面化しています。私は、寺越事件はこの時から始まったように思います。

 横田さんとか市川さんとか、他の人たちと比べてそんなにたいした時間は経っていないと理解しています。

 50年前、確かに、私が小学校の時でした。そして手紙が来てこの事件を知ったのは、仕事をしていた頃です。働きながら、山でボーリングという水抜きの仕事をしていました。地すべり防止の仕事です。その時、会社から、「昭二、外雄、武志は生きていたよ」と連絡をもらったのが最初です。もう大人でした。そこから私の気持の中で拉致問題が始まったということです。

 それから政府にも色々お願いをしてきました。来るたびに、一つひとつ、「これお願いします」と大臣にお願いしてきたんですけど、最近では松原大臣の時、寺越事件の再捜査をお願いしましたが、何の音沙汰もなく大臣が代わられました。来るたびに、政府に対しては何らかの陳情はしてきました。

 今日も、古屋大臣に要請しました。開口一番、「寺越事件は拉致です。救助というのは方便です」と言ってきました。救助が方便であれば、それは罪にはなりませんよね。さっきも癌の話が出ましたが、昔は、肺癌と言わず肺の腫瘍とか、胃は胃潰瘍とかと患者に嘘をついていましたが、これは罪になりません。それは方便です。

 しかし、方便も、「息子に会いたい」という方便ですから、それはそれで誰もが納得できます。それを今もやっており、これは方便の上塗りです。もう方便を越えてしまっている。見方を変えれば、ちょっと危ない気がします。

 一つの例として、先日三人の連名で、拉致ではありませんということを(友枝さんが)外務省に出しました。私たちは同意もしていないのに、寺越昭二の名前が出ています。外雄さんの名前も出ています。外雄さんのご家族の同意も出ていません。私たちの同意も得ていません。

 これも方便の上塗りとして考えてみれば、度を越えてきている。なぜそこまでやるのか。日本政府が拉致認定するとか、あるいは昭二のことで明確な判断をしないので、友枝さんは一生懸命、救助にしようと、ちょっと批判されるようなこともしました。

 しかし、寺越事件はきれいごとだけではすまされない。皆さんが今日、こうやって来ていただいたからには、裏側も知っていただきたい。そうしないと集まってくださった皆さんに申し訳ないと思います。

 そのことについては、批判されたり、叱られたりする部分はあります。それは私も、橋本市長じゃないけど、自覚はしています。お集まりいただき感謝します。ありがとうございました(拍手)。


◆事件の4年前北朝鮮からの密航者を逮捕、これが大きく報道されていれば

内田美津夫 皆さんこんばんは。今日はどうもありがとうございます。

 私が10歳の時にこの事件が起こり、今年で私は60になります。本当に真相が長く究明できず、長いなと思っています。

 当時、海の事故だったので父親は死んだものとあきらめました。24年経ってから、兄の政男から、「父ちゃん生きとった」という話がありまして、また少し経って、実はなくなっていたと。

 ずっと親父は死んだものとあきらめて、日常生活を過ごしておりました。その後、小泉総理が2002年に拉致問題の扉を開けまして、その新聞に調査団が北朝鮮に入るという報道がありましたので、兄の昭男の方に連絡がありました。

 そこで、父ちゃんのことを調べてもらおうと、なんとかうちの親父のことを知りたいと声を上げました。

 配布資料を1枚めくったところに、寺越事件の4年前にこういうことがありました(北朝鮮密航者の逮捕)。これが大きく報道されれば寺越事件はなかったということです。

 親父たちが船に当てられて、ペンキが付いていた。それは日本製のペンキではない。ではどこのものか。密航者がいたりしたのに、なぜその時に海難事故ですませたんだろう、なぜ北朝鮮を疑って捜査しなかったのか、そういうことをいつも思っています。

 次に、「漁船に乗っていた少年」という見出しのものは、安明進さん(元北朝鮮工作員)が出した本です。親父を「その場で射殺」という話です。その裏は、友枝さんが武志から聞いた話で、「昭二おじさんは入院していたのではなく、寮のベッドで死んだ」となっています。

 さらに、嶋崎譲元代議士は、「病院のベッドの上で自分の誕生日の日に死んだ」と。うちの親父が死んだというのは3つの説があり、どれが本当なのかを一番知りたいんです。

 また、後ろのページでは、「拉致」という言葉を封印せざるをえなかったこと、そのことに対して親子関係、親族関係がどうなっているかが分かるので皆さんに知ってもらいたいと思います。

 私たちが声を上げたのは、親父がどうして死んだのか、また北朝鮮に渡ったのかということ。これを一番知りたいです。そしてもし、北朝鮮の親父の骨があるとしたら、母親の墓に一緒に入れてやりたい。それが苦労をかけた母親に対して子どもがする精一杯の親孝行かなと思っています。

 このことは、常々、大臣や総理にはお願いしています。お願いしてから10年は経ちましたが、皆さんご存知と通り、何ら進展がありません。これは本当に残念だと思っています。

 今日もお願いしましたが、結果は出ていませんが、動いてくれているんだなあということは感じており、動いていることに対してお礼を言ってきました。

 今後も、少しでも早く私たちの思いが実現できるように頑張っていきたいと思います。ありがとうございました(拍手)。

(3につづく)



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