寺越事件の解決なくして拉致問題の解決なし-5/17東京特別集会報告
寺越事件50年、今何をすべきか
1963(昭和38)年5月11日に石川県で起こった寺越事件は、今年で50年。寺越昭二さん、外雄さん、武志さんが沿岸で漁船操業中に北朝鮮工作船に拉致された。北朝鮮工作船は領海に侵入し、漁船に衝突しながら未だに「救助」と開き直ったまま。昭二さんは現場で射殺された可能性が高い。寺越事件の真相はまだ究明されていない。今、何ができるのかなどを改めて考えました。
寺越昭二さんの息子3人(寺越昭男さん、北野政男さん、内田美津夫さん)の他、家族会の増元照明事務局長、救う会石川の大口英夫氏、外雄さんの子弟の戸籍問題に取り組む救う会兵庫の長瀬猛氏が参加。西岡力会長が解説。在京家族会も参加した。
(救う会のホームページから寺越文雄さんのビデオを初め、東京特別集会の全てを見ることができます。救う会ホームページの動画は当日救う会が同時中継したものです)
■寺越事件の解決なくして拉致問題の解決なし
西岡 みなさんこんばんは。先ほど、家族会のメンバーである3人の息子さん、私、家族会の増元事務局長、そして救う会石川、救う会兵庫から来てくださって、みんなで古屋大臣に面会しました。そして みなさんのお手元の要請文を提出しました。
ここに事件の概要が書いてありますので、それを読ませていただきます。
◆要請文
2013年5月17日
拉致問題担当大臣
古屋圭司 殿
寺越昭男、北野政男、内田美津夫
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 代表 飯塚繁雄
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 会長 西岡 力
救う会石川 大口英夫、救う会兵庫 長瀬 猛
1963年5月、石川県沿岸で操業していた3人の漁民が失踪し、24年後に北朝鮮に住んでいるという手紙が来たいわゆる寺越事件の発生から50年が経った。寺越昭二さんと寺越外雄さんはすでに亡くなった。遭難していた3人を救助したという北朝鮮側の説明は、あまりにも不自然だ。韓国に亡命した元工作員は日本に侵入した北朝鮮工作船が上陸地点の秘密を守るため、3人の漁民のうち昭二さんと推定される抵抗した1人を現場で射殺し、少年を含む2人を拉致したと証言している。
現場で射殺された疑いがある昭二さんの息子3人は2002年、家族会に入り、「このまま、父の死の真相が明らかにならないまま、日朝国交正常化がなされれば、自分たちは北朝鮮に対して遭難救助を感謝しなければならない立場になってしまう。それには耐えられない」として、真相究明運動を続けてきた。また、北朝鮮の地で1994年に客死した外雄さんとその家族に手紙や支援を送り続けた寺越文雄さんは、「弟外雄を日本に取り戻すことはできなかったが、せめて外雄の子弟2人は助けたい」と病床の身で運動をつづけたが、2010年、無念のまま他界された。
この間政府は、初めて手紙が来た1987年、寺越武志さんが日本に初めて一時帰国した2002年などの機会を活かすことなく、寺越事件の真相究明への努力を怠ってきたと断じざるを得ない。事件発生50年にあたり、昭二さんの家族と地元の救う会石川、外雄さんを支えてきた救う会兵庫、家族会、救う会は以下
のことを政府に要請する。
1 寺越事件の真相究明を昭二さんの殺人容疑も視野に入れ徹底的に行っていただきたい。
2 政府方針にある「拉致に関する真相究明」の中に寺越事件の真相究明が含まれることを明確にして、「寺越事件の解決なくして拉致問題の解決なし」ということを確認していただきたい。
3 外雄さんの直系子弟を日本の戸籍に記載していただきたい。
4 武志さんや外雄さんの直系子孫ら家族全員を、日本か第三国に呼び、事情聴取や日本帰還への意思確認ができるよう北朝鮮に求めていただきたい。
5 機会を見て、古屋大臣に寺越事件の現場視察を行っていただきたい。
◆現在の法律では拉致され亡くなった方は認定の対象にならないが
西岡 大臣はこの問題について、よくご存知で、その場でかなり具体的な回答をいただくことができました。まず、安倍政権は、「認定未認定に関わらず、すべての被害者を助ける」という方針があり、寺越事件はそれに含まれるということをカメラの前でおっしゃいました。
そして5番目の、現場を見ていただきたいについては「行きますよ。日程調整しましょう」というお話でした。そしてカメラがいなくなった後ですが、家族が殺人容疑で告発していることを視野に入れて真相究明をしなければならない。そして、「寺越事件の解決なくして拉致問題の解決なし」について、「その通りです」とおっしゃいました。
「寺越事件の解決なくして拉致問題の解決なし」ということを政府が認めたということは、事実上寺越事件が拉致認定されたと私たちは受け止めています。
認定ということについて具体的に調べてみると、認定は事件を認定するのではなくて、被害者を認定するんです。そして支援法に基づいて帰ってきた人を認定するんです。
従って、寺越昭二さんは残念ながら殺された疑いがあるので、亡くなっているということですから、支援法に基づく認定の対象にならないんです。しかし、真相究明の対象で、真相究明とは政府が今年の1月に決めた「拉致問題に関する政府方針」です。
そこに北朝鮮に3つのことを要求すると決めてあります。第1が生存者の安全確保と帰還、2番目が真相究明です。3番目が実行犯の引渡しです。真相究明の対象に寺越事件が入っているということは、事件として北朝鮮に真相究明を拉致の枠の中で求めているわけですから、事実上寺越事件は拉致と政府が認めたと私たちは思っています。
そして担当大臣が現場を見ると言ってくださっているので、北朝鮮が寺越事件をうやむやにしたまま、例えば北朝鮮が他の生きている被害者を返したとしても、それでは終わりませんよ、このことも含めなければだめですよというメッセージを発することができたと思います。
今年50年ですので、寺越事件を今日は言いましたが、小住健蔵さんの問題や渡辺秀子さんの問題も殺人ということが視野に入っているから拉致認定されないわけです。しかし、真相究明には当然入ると見なさなければならないし、今日はその話題は大臣には触れませんでしたが、当然そのことを言ってくださったので、そうなると思っています。
◆真相究明の対象として担当大臣が認めた
その点でも、政府は寺越事件を事実上拉致と認めた、拉致の範囲の中で真相究明すべきものだと認めたということは大きな進歩だと思います。
但し、3つ目の日本国籍の問題については、自分の担当ではなく法務省が関わっていることとして即答はいただけませんでした。
また、外雄さんの奥さん、在日朝鮮人の人ですが、その人の意向がどうなのか、あるいは本人たちの意向はどうなのか、という話もされたので、その意向は北朝鮮の地で聞いてもだめです。本当のことなんか言えないんだから。だから要請の4がある。最低でも第三国に出してから本当のことを聞いてください、と。
ジェンキンスさんがいい例だ、と。小泉首相が平壌で会って、「日本に来なさい。私が保証する」と言っても来なかった。しかし、インドネシアに出たら、本当のことを言って日本に来た、ということは言いました。
そして、こういう要求を北朝鮮にしてほしいということについては、「一つの選択肢として視野に入れて考える」と明言されました。
繰り返しになりますが、「寺越事件の解決なくして拉致問題の解決なし」ということを今日明らかにしていただいたのは大変よかったと思っています。
特に我々としては、安倍内閣の間に全面解決を求めているわけです。北朝鮮が一度、「死んだ」と言った人たちを、「生きていました」と言って返すことは大変大きなことです。彼らにとっては大きな譲歩です。それが起きる可能性が十分あると思っています。
その場合に、例えば(横田)めぐみさんが帰ってきたら、日本では大騒ぎになります。そうすると真相究明が忘れられてしまう。北朝鮮が譲歩するのは二度はないと思います。めぐみさんたちを返す時に、真相究明も拉致の解決に入っているんですよと言ってもらわないと置き去りになってしまうんです。
今、日本政府の参与という人が平壌に行っています。中味は何も分かりませんが、動きが出てきた時に置き去りになされない一つの布石を打ったと思っています。
そういうタイミングであれば、武志さんたちを第三国に出せと要求できる。そういう点で大変ありがたいこと、とはいえ、担当大臣としてはこういうことを言うのは当たり前のことですが、事情がよく分かった方々でよかったと思っています。
◆石川県で寺越事件50年の集会を
そして後で救う会石川からお話がありますが、大臣が来ていただくなら、ただ現場視察だけでなく、大きな集会をしたいと思っています。救う会石川と救う会全国協議会、そして石川県の県議会にはまだ拉致議連がないんですが近くできるということですので、その三者、あるいは県と国の対策本部と一緒にやるかどうかは検討中です。
そして大臣に来ていただいて、一番この問題を心配している石川県民に、寺越事件の解決なくして拉致問題の解決はないという明確なメッセージを出してくださいと言ったら、大臣は「行きます」と言ってくださいました。
もちろんこういうことはプロセスで、方法論ですから、本当に真相究明がされたり、るみ子さんや八重子さんが帰ってこなければ、前進と言ってもそれが勝利だとは言えないんですが、それでも一歩一歩こちらの陣中を固めることができていると思っています。
そして、こういうことができたということを踏まえて、50年前から50年のこの事件の流れを整理して、今私たちがこの問題についてどう考えなければならないのかを今日一緒に考えたいと思い、この集会を準備しました。
以上がまず今日の報告です。そしてこれから、救う会兵庫の長瀬猛さんに来ていただいています。みなさんのお手元に、カラーの図(寺越事件の人物関係図)があると思います。
寺越昭二さんの弟さんで、外雄さんのお兄さんに当たる、文雄さん、神戸におられました。その文雄さんを支えてずっと運動してきたのが救う会兵庫の長瀬さんです。
そして文雄さんは弟の外雄さんと連絡を取り合って、その家族をずっと支えてきたわけです。手紙のやりとりをずっとしてきました。そして外雄さんの二人の子どもを何とか助けたいと、最後に癌にかかられたのにも関わらず、3年前に上京され、運動されました。
今日、その文雄さんが亡くなる前にカメラの前で話されたビデオを長瀬さんが持ってきてくださいましたので、みんなで見たいと思います。まず文雄さんがどのような方で、外雄さんをどう支えていたのか、そしてこのビデオがどう録られたのか等について長瀬さんからご報告をお願いいたします。
◆弟外雄さんを支援してきた文雄さん
長瀬
みなさんこんばんは。神戸からまいりました救う会兵庫の長瀬です。なぜ神戸が寺越事件に関わっているのかについてまずご説明いたします。
たくさんのご兄弟(11人兄弟姉妹)がいらっしゃる寺越家の中の5人の男の兄弟の真ん中、3番目が文雄さんです。文雄さんは神戸市東灘区というところで床屋さんを経営されていました。
私は、救う会の活動に入った当初から文雄さんが東灘にいらっしゃるということで面識も得ていました。ただ、ご案内のように、寺越友枝さんという長男の奥さん、武志さんのお母さんの問題があって、表に出てなかなか活動ができないという状態だったので、家族会・救う会という形での運動は当初控えておられまし
た。
私も個人的にお付き合いがありましたので、色々なものを拝見していました。文雄さんは、87年に、拉致、北朝鮮が救出と言っているものがはっきりした時に、最初に親族会議を開いて一番最初に北朝鮮に渡る予定だった方です。
それが、友枝さんからのたっての願いで、訪朝するならまず行かせてほしいということで、文雄さんは友枝さんに、「じゃあ頼むよ」という形で、友枝さんが訪朝されることになりました。
以降、友枝さんを中心とした北朝鮮とのやりとりと、残されたその他のご家族とのやりとりに大きな開きが出てきます。友枝さんはその後何回も訪朝されるわけですが、文雄さんがまず心配されたのは、外雄さんとそのご家族が、非常に物資の少ない窮乏生活を強いられているということを手紙で知りまして、弟の家族
を助けなければいけないということで、お金、それから様々な生活物資を、生活が苦しい中で工面しながらずっと送られていました。
それらは当時朝鮮総連や、今は破綻しましたが朝銀等を通じて、当時は足利銀行が国際決済をしていましたので送金をしていましたし、物資も送っていました。
それらの記録を、文雄さんは丹念に残しておられましたので、私もそれを全部見させていただきました。寺越文雄さんがやりくりをしながら、外雄さんのご家族を支えてこられたんだなということを、まず私が理解しました。
文雄さんも、このことは寺越昭男さんや北野政男さん、内田美津夫さんが家族に入って活動を始めた以上、黙っているわけにはいかないだろうということで、徐々にスタンスを変えられまして、私たちの色々な集会にも出てきていただけるようになりました。
そして文雄さんは、私どもに貴重な情報を渡していただけるようになり、救う会兵庫の運動の一環として、家族を支えてきたというのが今までの経緯です。
そして、本当に残念なことなんですが、3年前、文雄さんは非常に重い病気にかかられ、お亡くなりになりました。お亡くなりになる数か月前にも、今日私たちがお邪魔した大臣室に、当時の拉致担当大臣を訪ねて、この外雄の子どもたちがこのままでは取り残される。それだけは何とかしてほしいということをお願い
しに行っています。
外務省にも行きました。法務省にも行きました。そして海上保安庁が出していた死亡認定を取り消すために、本当に奔走されていたのが寺越文雄さんです。
文雄さんは重い病気にかかった時に、はっきり私にこうおっしゃいました。「運動は一代限りで終らせなければならない。だけども、やり残したことがあまりにも多すぎて、悔やんでも悔やみきれないことがあまりにも多すぎて、なんとかこれをなくしたいとお話がありましたので、お亡くなりになる3か月くらい前、2010年の7月頃に、一時的に入院先からご自宅に戻られた時に、ビデオテープを録画させていただきました。
◆「よく生きて帰ってきたね」嶋崎譲元社会党代議士
そこで、文雄さんが家族の思い、そして自分の無念な思いをしっかりと語っておられますので、是非これをご覧いただきたいと思います。
また、ビデオの中では、色んなエピソードが語られています。一つだけ注意して見ていただきたいことがあります。実は友枝さんの最初の訪朝(1987年)は、当時の社会党の代議士の嶋崎譲という人が手配をし、先導しました。
そして、嶋崎譲という人は、自分の手柄を誇るかのように、「再会」という冊子まで作って配布するということもしています。嶋崎譲は、これは「救助」ではないということを分かっていたと思います。
私は、嶋崎譲は寺越事件の主犯と言ってもおかしくないと思います。実は、武志さん会いたさあまりの気持から、2回目の訪朝を友枝さんが行った時に、この訪朝は嶋崎譲ルートを使わずに地元の朝鮮総連等を通じて単独で北朝鮮に飛んでいます。
そして帰ってきた時に、寺越家の方々が一堂に会して帰国の報告を得た時に、この嶋崎譲は、開口一番、「よく生きて帰ってきたね」と言ったそうです。その言葉を文雄さんは聞いて、「本当にゾーッとした。これはとんでもない所や」と。
以降、向こうから届く厖大な手紙、外雄さんの奥さん、子どもさんの明心さんからの手紙の中には、ほとんどといっていい程、「伯父さん伯母さん、早く北朝鮮を訪ねてください。私たちはずっと伯父さん伯母さんを待っています」と書いているんだけども、絶対に行くことはできないと。
床屋さんを経営し家族を養っている文雄さんとしては、「申し訳ないけど北朝鮮には行けない。ちゃんと国交が回復し、帰ってこられる保証がない限り北朝鮮に渡ることはできない」と、そういう葛藤をされています。
もう嶋崎譲も死んでしまいましたが、嶋崎譲という人間の一つの側面を語る部分が、このビデオに出てきます。是非ご注目いただきたいと思います。
(2につづく)
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