「雨後の虹」に励まされる。  | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






【国防最前線】自衛隊OBの奮闘

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130512/plt1305120707001-n1.htm






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カンボジアでの地雷除去作業





 上原敏のヒット曲「仏印だより」(1941年)には、「ひと雨来たと思ったらトンキン湾に雨後の虹、今極東を吹きすさぶ嵐の後もこのように見事な虹が咲くでしょう」という歌詞がある。

 仏印とは、かつてのフランス領インドシナ、つまり、カンボジアと、ラオス、ベトナムを意味する。今でこそ「PKO」や「キャパシティビルディング」などと日本では言われているが、その昔には「見事な虹を咲かせよう」と悠久の大義に生きた先輩諸氏がアジアの国々の独立を助けた。そして、多くが異国の地で生涯を閉じたことは、現代人の記憶の中にほとんど残っていないと言っていいだろう。

 戦争が終わったのに、何のためにそんなことをするのか…、つい、そんな野暮なことを考えてしまうのは、合理性のみを追求する世の中に知らぬ間に慣らされてしまったのだろうか。

 うがった見方かもしれないが、自衛隊OBを主体として設立されたNPO法人「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」にも、どこか共通した精神性を感じてしまう。長年の自衛官生活を終え、せっかく家族とゆっくり暮らせるようになるのに、あえて僻地(へきち)に行って危険な作業を引き受ける人たちだ。

 もちろん、個々はどこかに再就職をしていて、活動には国などの援助がある。だが、なんだかんだ費用はかさみ、退職金の大半を投じるなど自腹を切っている人も多いようだ。

 「長い自衛官生活でもあんなに怖い思いをしたことはありません」

 カンボジアに赴いた陸自OBの出田孝二さんは振り返る。活動中は緊張感で10キロは痩せたという。同事業には出田さんが所属するコマツが無償で地雷除去機や技術などを提供し5000万円以上の資金を供出した。

 行ってみると、先入観がことごとく崩された。まず現地の人々は地雷除去をそんなに望んでいなかったのだ。

 「それよりも道路、学校が欲しいというわけです」

 地雷は「あって当たり前」という感覚で、もはや共存している彼らにとってインフラ整備の方が喫緊の課題だったのだ。それは違うだろう、まずは危険を除去して…などといきり立てば「上から目線」だと思われ、反発を招く。

 行って触れ合わなければ分からない温度差を感じながら、「支援する」という意識がそもそも相手には高圧的に映るのだと理解し、開き直りおおらかに構えるようになった。

 「将来に夢が持てるようになりました」

 いつの間にか地元の村長にそんなことを言われるようになり、警戒心をあらわにしていた警察官がお前たちを命懸けで守ると言ってきたときは目頭が熱くなった。1つ1つ時間がかかるが、「雨後の虹」に励まされ奮闘するOBたちがいる。 =おわり

 

■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 


1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)など。