http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130423/plt1304230711002-n1.htm
VT信管が登場したマリアナ沖海戦=1944年7月、米海軍撮影
なぜ日本は先の戦争に負けたのか、それを決定付けた事象の1つとして挙げられるのが1944年6月のマリアナ沖海戦だ。この時、米軍が使用したレーダーとVT信管(近接信管)は、日本の艦載機を一網打尽にし「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれているほどの実力を見せつけた。
VT信管とは、砲弾に小型のレーダーを搭載し、目標物の近くに来たら爆発させることができる装置。米国はこの開発に数万人の科学者を集め、原爆と同規模といわれるほどの予算をつぎ込んだという。
戦後、わが国でも自衛隊の発足後、装備品の研究が始まりVT信管もその1つとなった。しかし、この情報に関しては米国からの情報提供は一切許されず、ゼロからの出発だったという。日本は結局7年がかりで開発に成功した。
手がけたのは横河電子(当時、北辰電機)。現在も砲弾・ロケットなどの信管はじめ、艦艇航海機器や航空機エンジン関連機器など、防衛分野でその技術力を発揮している。同社の電波式信管技術は意外な所でも生かされ、業務用の食器洗浄機を産み出したことも興味深い。超音波によって汚れを落とすのだ。
一方、コピー機や時計などで知られるリコーエレメックスも自衛隊の信管を製造している。
同社の歴史は古く、明治28(1895)年に、高野小太郎氏が名古屋に時計店を開いたことが出発点だ。
その後、海軍向け計器なども製造し、その精密技術に着目した陸軍から砲弾用信管の製造を熱望されて、引き受けることになる。
戦後は焼け残った工場に時計職人が集まり、水道メーターなどに技術を応用して事業を維持した。後日、やはりその信管製造技術が求められるところとなり、こちらは機械式信管を担う企業として自衛隊との関係が始まることになった。
社内には「再び軍需に手を染めるのか」という逡巡(しゅんじゅん)もあったが、その迷いを「国防を通して社会に貢献するのが使命だ」との信念に変え、誇りを持って同事業に取り組んでいる。
信管は、撃つまでは100%安全でなければならず、撃ったら完璧な破壊力を出さなければならないという、安全と起爆性能の相反する能力が要求される。
その難しさは、とても私には説明ができないが、「ノミの大きさです」という部品は、どう見てもノミより小さいことは分かった。ミクロン単位の極小部品が国防を背負っているのだ。
米国の技術革新が戦局を左右した過去の事実からも、自国の科学技術を発展させることの意義、またその能力があっても、うまく生かせなければ意味はない。俯瞰(ふかん)し、取りまとめる力の必要性をつくづく感じる。
■桜林美佐(さくらばやし・みさ)
1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)など。