対馬の仏像盗んだ韓国人は全員前科10犯以上の大悪党
韓国に運ばれた「観世音菩薩坐像」
対馬の仏像盗んだ韓国人グループは、韓国の愛国者どころか、全員が前科10犯以上の大悪党なのだそうです。
逮捕後、容疑者たちは警察に「日本が奪ったものを探し出したのに何か間違っているのか」と苦し紛れの言い訳をしているそうですが、詭弁(きべん)でしかありません。
盗みという行為自体が許されないものであることに加え、仮に彼らの窃盗行為が愛国心に基づくものなら、なぜ仏像を文化財の監督官庁に渡さずに自分たちで隠し持っていたのか。
自ら進んで戒律を破るということは、仏教徒として最も恥ずべきことであり、そこに何の正当性もありません。
さらにいえば、朝鮮半島は500年続いた李氏朝鮮の時代、儒教を信望し、仏教を疎んじていたわけです。そもそもこの浮石寺にあったなら、現代まで保存されていたかさえも疑わしい。
そうであれば、そもそも歴史における浮石寺から観音寺への仏像の移動自体、当時の朝鮮王朝の弾圧をおそれた浮石寺の僧侶たちが、たいせつな仏像の安泰を願って意図的に日本領である対馬に仏像を移動させた可能性も否定できないのです。
ちなみにこの事件で、韓国の地方裁判所は「仏像が正当な手続きを踏んだうえで日本に渡ったかを確認するまで、返還してはならない」という仮処分決定を下しているということも話題になっているけれど、これは問題になりません。
裁判所というのは、訴訟当事者が供託金さえ積めば、裁判を前にたいていの「仮処分決定」をしてくれるわけで、だからこそ「仮」の処分なのです。
ですから裁判所が仮処分決定をしたということよりも、むしろ、こういう誰がみても違法な窃盗行為について、平然と高い供託金を積んだ仮処分申立人の韓国人たちについて、その異常性、偏執性、我執性が問題だと思います。
そしてこのことは、私たちが韓国という国との国交を考える上で、たいへん重要な事項なのだろうと思います。
仏像の話とは異なりますが、4月14日は、「光市母子殺害事件」があった日です。
この事件は、平成11(1999)年に、当時18歳であった在日朝鮮人の福田孝行が、山口県光市の民家に押し入り、主婦(当時23歳)を殺害後屍姦したうえ、その娘の乳児(生後11カ月)も殺害した事件です。
犯人の福田孝行は、逮捕後、次のような手紙を出し、問題になりました。
「終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」
「犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっちゃった」・・・これは罪でしょうか」
極めて凶悪かつ残忍な事件ですが、事件は最高裁まで争われ、最終的に未成年の犯行でありながら死刑が確定しました。
この事件で、死刑囚となった福田孝行は、日本キリスト教婦人矯風会の関連組織で日本キリスト教協議会の大月純子が、同人と養子縁組し、福田の名前を「大月孝行」と変えてまで、同人を庇い立てしています。
ところがこのウリスト教団、住所は、あの有名な反日在日韓国人の拠点として有名な「〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18」です。
最高裁まで争うというのは、たいへんな費用のかかることです。
ところが、そうした費用、資金が何ものかによって提供され、またメディアにおいても、その犯罪が在日韓国人であることが秘匿される。
問題は、一部もしくは多くの在韓韓国人、在日韓国人の中に、反日のためなら、たとえそれがいかなる凶悪犯であっても、それが朝鮮族の犯行であれば、擁護されてあたりまえと考える不逞のヤカラが存在し、どういうわけか彼らが莫大な経済力と組織力をもっている、という事実です。
そしてこうしたヤカラが、よるとさわると伝家の宝刀のように持ち出すのが、人権問題、差別問題、歴史認識問題であり、それらは誰がみても明らかな不法行為や犯罪行為を正当化するための道具として、ただ利用されているだけだという事実です。
情けないのは、そうした不法行為に対し、肝心の日本人が、それらに粉動されて、半ば飲み込まれてしまっているということです。
人権というのは、正しい行いを守るために存在します。
差別はあって当然のものです。人にはそれぞれ違いがあるように、民族にも違いがあるからです。
そして自虐史観と呼ばれる反日史観は、そのすべてが捏造と歪曲によって出来上がっています。
記紀によれば、スサノオがあまりに暴れたためにアマテラスが天の岩戸にお隠れになられたとき、この世には「ありとあらゆる厄災が起こった」と記されています。
順逆という言葉がありますが、要するに太陽がお隠れになって、この世に魑魅魍魎が満ちて、正義が悪となり、悪が正義となった、そんな時代が到来したわけです。
けれど、戦後閉じられた天の岩戸は、昨年末の選挙で、その扉が開きました。
これからは、明るい日差しのもとで、悪行が暴かれ、魑魅魍魎が退散する時代です。
窃盗団や盗賊、強姦魔、殺人鬼など、到底許されるべきない悪党が、いつまでもはびこり続けることはできません。
明るい日本を取り戻す。
それは、いま、私たち日本人に課せられた、これは「使命」だと思います。
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《対馬の仏像盗んだ韓国人グループ 愛国者どころか全員前科10犯以上の大悪党》
JCASTニュース 2013/4/10 18:48
http://www.j-cast.com/2013/04/10172853.html?p=all
長崎県対馬の寺社から重要文化財の仏像を盗んだ韓国人グループは、驚くべき窃盗団だった――。韓国の主要紙、朝鮮日報が綿密な取材でその犯人像に迫った。
全員が10回以上も刑に服した経歴をもち、うちひとりは「前科18犯」という札付き。
対馬での犯行計画も練りに練られていたという。
都合よく「愛国心」を掲げて自己弁護するが、どうやら単なる悪党の犯罪に過ぎないようだ。
「1年以上の懲役」で日本入国できないはずだが…
対馬を舞台にした仏像盗難事件は、韓国警察が現地で容疑者を逮捕したものの、今も完全解決したとは言いがたい。
対馬の観音寺から「観世音菩薩坐像」が、海神神社から「銅造如来立像」が持ち去られたまま、いまだに韓国内にとめ置かれているのだ。
韓国にある「浮石寺」が、「仏像は過去に日本が略奪したもの」と主張し、韓国の地方裁判所も「仏像が正当な手続きを踏んだうえで日本に渡ったかを確認するまで、返還してはならない」との仮処分決定を下している。その後、浮石寺の僧が突然、対馬の観音寺を訪問するが住職と会えないまま帰国するなど、ギクシャクした関係が続いている。
韓国側が返却しないのは「もともと自分たちが所有していた仏像」との主張からだ。盗んだ張本人たちも「愛国心」をたてに、自分たちの行為を正当化する証言をしているという。
2013年4月9日付の朝鮮日報電子版(日本語)では、これまであまり語られていなかった犯人像を詳しく描いている。
窃盗にかかわったとして摘発されたのは9人で、うち4人が実行犯。主犯と見られる男性が70歳、最年少でも50歳の「高齢者軍団」だ。
4人とも人生の大半を犯罪に費やしてきたのか、全員が前科10犯を超え、何度も刑務所に入りながらも改心せずに盗みと服役を繰り返した。
主犯格男性の弟もグループのひとりで、文化財荒らしが「専門」だという。
4人とも犯罪歴は常軌を逸しているが、日本入国の際に問題にならなかったのか。
出入国管理及び難民認定法を見ると、第5条1項4号で「1年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者」は上陸できないとなっている。
前科10犯以上なら入国拒否されそうに思えるが、巧みにすり抜けていたのだろうか。
4人が仲間に引き入れた盗品の「買い取り屋」が韓国の暴力団組織の顧問で、日本にすんなり入国できるようなあくどい手段に精通していたのかもしれない。
「裁判で国民に直接訴えたい」との要請は却下
対馬行きは計画的犯行だった。
2012年8月、9月と2回現地入りして入念に下見し、10月に決行している。
朝鮮日報の記事によると、対馬をねらったのは「現地の文化財管理が緩い」ためだったという。
文化財の仏像2体をまんまと盗み出せたのも、これらを保管していた寺社が通常は無人であるのを「事前調査」で知ったのだろう。
窃盗団のひとりは、盗品を持ってわざわざ福岡まで移動した後に韓国・釜山に持ち込んだ。
遠回りだが、「福岡港にはエックス線検査がないので、楽だった」と証言。
過去10年間で日本に200回以上もの渡航歴があり、釜山港職員とは顔なじみだったという。
結果的には、密輸ではなく正規ルートで仏像を韓国内に持ち込んだことから足がつき、「お縄」となったというわけだ。
逮捕後、容疑者たちは警察に「日本が奪ったものを探し出したのに、何か間違っているのか」と苦し紛れの言い訳をしているという。
だが捜査関係者は、唐突な「愛国心」を「はっきり言って詭弁(きべん)」と切り捨てる。
盗みという行為自体が許されず、仮に愛国心が理由ならなぜ仏像を文化財の監督官庁に渡さずに自分たちで隠し持っていたのか、と指摘する。
韓国・聯合ニュース電子版は4月10日、窃盗団に対する公判の様子を報じた。
被告たちは当初「国民に直接訴えたい」として、韓国版の陪審員制度である「国民参与裁判」を求めたというが、この日の裁判で申請が却下されたという。
次回公判は5月1日に開かれる。
国民の関心が高く、テレビカメラが撮影を許可される異例の裁判になっている。