反日であることが悪である。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





ねず様のブログ・ねずさんのひとりごと より。




反日こそ悪




草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ。 




このブログでは、支那朝鮮の過去の非道のことを、よく記事にさせていただいています。
ただ、私は甘いとお叱りを受けるかもしれませんが、そういう民族としての問題と、個人としての人格は切り離して考えています。

たとえば、南京市があります。
昨今、日本軍が南京で30万人の市民を大虐殺したなどと宣伝されていますが、これはみなさまご存知の通り、そもそも当時の南京の人口は20万しかいませんでした。
ですから30万人虐殺など、そもそも数の上からも起きようがないわけです。

この南京城攻防戦が起きたのが昭和12年ですが、それからまる8年、つまり日本が終戦を迎えて南京市を去るまで、実は南京の治安は、とてもよかったのです。
当時の記録を見ますと、日本が関与していた8年間、南京市の犯罪発生率は、日本の世田谷区よりもはるかに発生率が少なかったのです。
支那共産党や国民党のスパイなどが暗躍していながら、それでも日本よりも犯罪の発生率が少なく、凶悪な事件や発砲騒ぎ、市中での喧嘩騒動や窃盗、強盗さえも、ほとんどなかった。

なぜ世田谷区と比較かといえば、南京城というのは、だいたい東京の世田谷区くらいの広さの城塞だから、比較にちょうど良かったからです。


この8年間というのは、南京市には、汪兆銘(おうちょうめい)政権がありました。
当時の大東亜圏で公認され、日本陸軍が補佐する南京国民政府がありました。

そして当時の南京市は、日本人の若い女性がひとりで市場に買い物にでかけてもまったく平気だったし、夜道を若い女性が独り歩きしても、襲われる心配や不安さえもありませんでした。
さらに戦時中の日本は「ほしがりません、勝つまでは」の標語に代表されるように、食もままならない貧しい状態になっていましたが、南京は平和と安定の中で、食べ物も豊富で安く、内地の人々が飢えて困っているという状況にありながら、南京ではまさに平和と飽食ができる安定した日々があったのです。

終戦後、南京にいた日本人は、それから昭和22年まで、まる2年かけて日本に復員しました。
これも北京にいた北支軍の根本中将と支那国民党の蒋介石との対談によって、治安が完璧に確保されたため、女性が襲われたり、あるいは盗賊に襲撃されたりするような心配もなく、極めて平穏無事に内地への帰還を実現しています。

もちろん、南京からの復員ですから、それなりのご苦労はありました。
けれど当時を体験した方のお話を聞くと、なにより辛かったのは、「復員船の中での船酔いだった」そうです。
他の地域、たとえば通化市などでは、ソ連兵やら支那共産党兵などに、日本人があらゆる乱暴狼藉を受け続けた様子と比べたら、それこそ天と地ほどの開きがあります。

通州事件や、通化事件、あるいは尼港事件などを振り返ってみれば、あの残虐な支那人が、日本の内地以上に良好な治安を保つことができたというのは、実に不思議な気がするかもしれません。
けれど、そうした非道が起こるのは、彼の国の政治の歪み、あるいは特定の不良な思想に凝り固まった、あるいは彼の国が捏造した歴史を鵜呑みにした無教養でおかしな連中、あるいはそうした人々を意図的に煽動する馬鹿者がいたからです。

そういう馬鹿者が、もともと内在している残虐性に火をつけ、あおり、非道を行わせた結果であるといえようかとも思います。
統治がしっかりとすれば、民衆の行動も変わるのです。
そのことを、南京市の8年間は証明しているように思います。

日本人でも、とんでもない連中はいます。
同様に支那、朝鮮にも、とんでもない連中がいます。
昔は、そういう支那人や朝鮮人のことを、不逞支那人、不逞朝鮮人と呼びました。
いまでいうなら、反日朝鮮人、反日支那人と言った方がわかりやすいかと思います。
日本人の中にも、反日はいます。

では、反日というのは、いったいどういう思考なのでしょうか。
多くの民衆は、普通に幸せな家庭や、健康な暮らし、犯罪や暴力におびえる必要のない、安心して暮らせる社会を望んでいます。
それは日本人に限らず、支那、朝鮮、さらには世界万民の共通する願いです。

日本は、民こそが国の柱と考えて国つくりを行ってきた国です。
日本には万世一系の天皇がおわし、民はその天皇の民と基底されてきました。
そして天皇は政治権力を司るのではなく、その政治権力に認証を与えるという存在となっています。

つまり政治権力を行使する者にとって、民衆は権力者よりも上位にある天皇の民という、不思議な姿の国となっていたわけです。
これは会社にたとえてみれば、実権を持つ社長は会長に雇われた人で、その社長の部下は全員が会長の身内みたいなものです。これが「皇民(公民)」の思想です。
もちろん社員と社長の間には身分や権限の違いはあるけれど、人としては対等な関係にあります。
そして日本は、こういう国のカタチをつくることによって、世界で唯一(といっていいかと思います)の「奴隷のいない社会」を築いてきたのです。

ところが支那朝鮮、あるいは世界の多くの国々では、皇帝=政治権力者です。
そして民衆は、皇帝や王の私有民です。
私有民と書けば聞こえはいいですが、実態は「私物」です。
人でさえありません。「物」です。

人の上に立つ者にとって、下にいる者たちは私物ですから、殺そうが犯そうが収奪しようが、それこそ「自由」です。
もっといえば、人の上にたちさえすれば、下の者達に対する生殺与奪の「自由」が与えられる。

あたりまえのことですが、こうした社会では、常に民衆に不満が鬱積します。
ですからその鬱積した不満が暴発しないうちに、力によってその不満者たちを虐殺する。
それが権力維持のための最適手段ともなるわけです。

ただ、そうは言っても、西洋では神のもとの平等思想がありますから、権力者はいたずらに権力を行使することができない。
宗教道徳によって権力にバイアスがかかるからです。

ところが不幸なことに、支那朝鮮には神がいません。
ですから上に立つ者が、下の者にとっての神となる。
神ですから、人を殺しても罪にならない。

そういう社会体制が、すくなくとも2千年以上にわたって続いてきた。
それが、支那朝鮮族であったということです。

おもしろいことに、私達日本人と、彼らの国における自由は、意味が違います。
日本人にとっての自由は、何ものにも束縛されない自由を意味しますが、支那朝鮮での自由は、支配する側にとっての自由であって、民衆には自由はありません。

そしてこのことは、日本における反日左翼思想の根本でもあります。
反日左翼の人々の考え方というのは、権力(肩書き)を持ちさえすれば、下に対してありとあらゆる「自由」を得ることができる、というものです。
従って彼らのいう「自由」は、あくまで政治的権力者の「自由」であって、民衆の自由ではない。

反日の本質も、ここにあります。
人々が、老いも若きも男性も女性も、等しく人間としてお互いを大切にしながら、みずから率先して働き、みんなが食べていけるようにする。
それが日本の古来の考え方です。

江戸身分社会を、まるで階級社会のようにいう人がいますが、これなども大きな間違いで、昔の武家屋敷をみれば、たいていどの武士も、庭で農作物を作っている。
なにせ日本では、天皇ご自身が皇居の中で農作業をしてらっしゃる、日本はそういう国です。

けれど、世の中には、自分では働きたくない、下の者、つまり奴隷に働かせて、自分だけの「自由」をほしいままにしたいと考える馬鹿者たちがいます。
そして不幸なことに、そういう馬鹿者達が権力に取り入り、あるいは権力を持つことで、民に対して好き放題の乱暴狼藉を働く社会が永く続いてきたのが、支那、朝鮮であったわけです。

いま、日本国内には、多くの反日支那人、反日朝鮮人、反日日本人がいます。
反日であるということは、民衆の幸せに背を向け、自分たちだけの特権階級を構成したいと考える人たちであるということです。
そして大切なことは、そうした理不尽を「間違っている」と認識している親日支那人、親日朝鮮人、親日日本人も多数いる、ということです。

要するに、反日であるということは、いたずらに権力を欲しがり、みずから働くことをせず、ただ権威や肩書きにものをいわせて人々を物として扱いたい一部の不逞のヤカラです。

やっかいなのは、たとえば朝鮮半島の旧両班(ヤンバン)や、欧米貴族の一部です。
どういうことかというと、彼らは約500年にわたり、朝鮮両班なら、白丁(はくてい)と呼ばれる朝鮮人たちを使役し支配し隷属させ、まさに民衆をモノとして扱う特権階級をなしてきました。
もちろん、朝鮮半島内を改革し、半島内を皇民化することで、誰もが働き、みんなが協力しあう社会を築こうとした両班もいました。
けれど、一部の両班は、約500年続いた特権意識にしがみつき、その特権を奪った日本をいまだにたいへん恨んでいるということです。

また、一部の欧州貴族というのは、かつて植民地に広大な支配地を持ち、まさに王侯貴族のような生活をし・・・服を着るのも風呂に入って体を洗うのも全部自分でやったことなどなく、奴隷である現地人たちにやらせていた・・・強大な特権のある家柄であった人たちの一部です。
彼らは日本によって植民地を解放され、500年続いた名家としての家柄も特権も財産も全て失ってしまいました。
彼らにとっては、日本はまさに侵略国家であったわけです。

けれど、人々の幸せ、人間に生まれたことの幸せを誰もが活かすことができる、そのチャンスがある社会こそが、大切なものです。

日本では、そのために、かつての名家と呼ばれた大名家も、廃藩置県に素直に応じたし、明治維新を成し遂げた武士たちも、四民平等でその身分を率先して捨てています。
個人的な身分や家柄にこだわることよりも、国が安泰となり皇民である民衆が幸せな暮らしができるようにするために、みずからその身分を捨てたし、そのことを恨みに思っているような人物は、いまに至るまで、まさに皆無です。

要するに反日の本質というのは、かつての身分特権にしがみつきたい(しがみつきたいということは、自身が能無しであることに他ならない)馬鹿者が、無教養な庶民を煽動し、操り、反日に駆り立てているに他ならないということです。

逆にいえば、民衆こそ大切、民衆の幸せこそが国家の幸せと考えることが普遍化しつつある現代の国際社会において、彼ら反日主義者というのは、まさに反動主義者にほかなりません。

こうした次第から私は、人種、民族もさりながら、「反日であることが悪である」、ということをまずはしっかりと認識していくことが、たいせつなのではないかと思っています。