夕刻の備忘録 様のブログより。
元最高権力者が被害者を演じる奇怪
二年前、時の最高権力者だった男が、今は被害者のフリをしながら世を徘徊している。信仰心など欠片も無い男が、「御加護」などと寝言を言っている。恐らくは「ニューヨーク」という場所を考えた上での浮ついた発言であろう。ウケ狙いのネタに「神を利用する」とは、まさに「神をも恐れぬ」所業である。神を冒涜するというのは、こういう態度を言うのだ。まあ本人自体が「疫病神」ではあるけれど。
あれだけ閑散とした選挙戦でありながら、何故拾われたのだろう。あの時、落選させておけば、もう少し影響力を殺げたものを。現職の議員であり、かつ国会では無用の存在であり、加えて党においては邪魔者ともなれば、これからの任期中、何処で何をするやら知れたものではない。履歴書の末尾には、「趣味は反日」とでも書いておけ!
★ ★ ★ ★ ★
しかし、それにしても未だに、この男の震災対応に一定の評価をする人が居ることが理解できない。全く理解出来ない。毛ほども理解出来ないのである。そうした人の論拠は、概ね「誰がやっても難しい対応であった」というところから発している。なるほど、それは事実である。確かに「誰がやっても正解のない、難しい問題」であった。
だからといって、この男の対応が「まとも」だったわけではない。何をもって最悪とするかは別にして、これ以下を探すのに苦労するだろう、というのが実感である。そもそも、重要会議の議事録を意図的に取らせなかった連中の、一体何を評価しろと言うのか。
ところが、「誰がやっても難しかった」論者は、この件に関しては大甘の採点を繰り返し、なお追求すると、「ならば自民党ならやれたのか!」「自民党はそんなに優秀なのか!」「そもそも、この事態を招いた遠因は自民党にあるじゃないか!」等とキレ芸を見せるのである。
これも既に書いてきたことであるが、そうキレられれば、こちらも決め台詞を返すしかない。静かに、そして力強く「自民党ならやれた!」と答えるだけである。そう、自民党なら確実によりマシな対応が取れただろう。それは現状を見れば、半ば証明されているようなものであるが、あの大混乱の日々の中でさえ、自民党ならやり通したことが、幾らでもあるだろう。
そういうと、必ず先の発言が繰り返され「そんなに優秀なのか」と切り返される。答えに窮するだろう、と自信満々の表情を浮かべている辺りが痛々しいが、誰もそんな主張はしていない。「自民党は優秀でないからこそ、民主党よりマシなのだ」と言っているだけである。
自民党は、長く政権の座にあり、反日マスコミの無茶苦茶な手口に対抗しながら、様々な修羅場を潜ってきた政党である。そんな彼等は、重大事件が勃発した時に、如何に対処してきたか。何を原則として処理してきたか。
彼等には「危機に際して個人の能力を信じない」というだけの大人の知恵がある。すなわち、人も党も、己自身も信じないという覚悟と経験がある。緊急時には、普段やれたことしか出来ない、普段やれたことも出来ない、ということを知っている。今さら奇跡を信じるほどウブではないのである。
だから真面目にマニュアルを作り、真面目に訓練をし、真面目にそれに従って、「硬直した応対」と揶揄されることも覚悟の上で、「当たり前のこと」を粛々と熟すことを続けてきたのだ。そして、恐らく、いや間違いなく震災時にも、こうした書面通りの動きをしたであろう。官僚をマニュアル通りに指示したであろう。そして、その中で腹の据わった何人かの漢が、全ての責任を負う覚悟で、臨機応変な動きをしたであろう。
優秀だから出来る、無能だからダメだという話ではない。緊急事態において、有能無能はほとんど関係がない。それを自民党は党として理解している。だからこそ、遙かに民主党よりはマシな対応が取れたと断言できるのだ。この意味が分からない人達が、相変わらず、この「イカレタ元権力者」を盛り立てているのだろう。吐き気がするほど愚かだ、と言わざるを得ない。その愚かさは、もはや個人の問題ではない。国を危うくし、我々国民を窮地に追い込む愚かさなのだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130312/stt13031208230000-n1.htm菅直人氏、原発事故に「神のご加護あった」 NYシンポでビデオメッセージ
2013.3.12 08:22
菅直人元首相は11日、米ニューヨークで開かれた東京電力福島第1原発事故関連のシンポジウムにビデオメッセージを寄せ「最悪の事態と紙一重だった。神のご加護があった」と振り返った。事故の初期対応を指揮した菅氏は「原発ゼロを実現することこそ最も安全な原子力政策、エネルギー政策だ」と訴えた。
菅氏は、より多くの原子炉や使用済み燃料プールが制御不能となり、首都圏を含む5千万人規模の避難が必要になる「最悪のシナリオ」があったと指摘。現実になっていれば「避難過程でも多くの犠牲者が出ただろうし、その後、日本は国としての機能を長期間にわたり十分果たせなかった」との見方を示した。
その上で「核兵器と原発はいずれも人間と共存することが極めて難しい技術」と強調。風力、太陽光、バイオマスといった再生可能エネルギーを拡大し「最終的には原発を使わない、化石燃料も必要としない」社会の実現を目指すべきだとの考えを重ねて示した。
あれだけ閑散とした選挙戦でありながら、何故拾われたのだろう。あの時、落選させておけば、もう少し影響力を殺げたものを。現職の議員であり、かつ国会では無用の存在であり、加えて党においては邪魔者ともなれば、これからの任期中、何処で何をするやら知れたものではない。履歴書の末尾には、「趣味は反日」とでも書いておけ!
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しかし、それにしても未だに、この男の震災対応に一定の評価をする人が居ることが理解できない。全く理解出来ない。毛ほども理解出来ないのである。そうした人の論拠は、概ね「誰がやっても難しい対応であった」というところから発している。なるほど、それは事実である。確かに「誰がやっても正解のない、難しい問題」であった。
だからといって、この男の対応が「まとも」だったわけではない。何をもって最悪とするかは別にして、これ以下を探すのに苦労するだろう、というのが実感である。そもそも、重要会議の議事録を意図的に取らせなかった連中の、一体何を評価しろと言うのか。
ところが、「誰がやっても難しかった」論者は、この件に関しては大甘の採点を繰り返し、なお追求すると、「ならば自民党ならやれたのか!」「自民党はそんなに優秀なのか!」「そもそも、この事態を招いた遠因は自民党にあるじゃないか!」等とキレ芸を見せるのである。
これも既に書いてきたことであるが、そうキレられれば、こちらも決め台詞を返すしかない。静かに、そして力強く「自民党ならやれた!」と答えるだけである。そう、自民党なら確実によりマシな対応が取れただろう。それは現状を見れば、半ば証明されているようなものであるが、あの大混乱の日々の中でさえ、自民党ならやり通したことが、幾らでもあるだろう。
そういうと、必ず先の発言が繰り返され「そんなに優秀なのか」と切り返される。答えに窮するだろう、と自信満々の表情を浮かべている辺りが痛々しいが、誰もそんな主張はしていない。「自民党は優秀でないからこそ、民主党よりマシなのだ」と言っているだけである。
自民党は、長く政権の座にあり、反日マスコミの無茶苦茶な手口に対抗しながら、様々な修羅場を潜ってきた政党である。そんな彼等は、重大事件が勃発した時に、如何に対処してきたか。何を原則として処理してきたか。
彼等には「危機に際して個人の能力を信じない」というだけの大人の知恵がある。すなわち、人も党も、己自身も信じないという覚悟と経験がある。緊急時には、普段やれたことしか出来ない、普段やれたことも出来ない、ということを知っている。今さら奇跡を信じるほどウブではないのである。
だから真面目にマニュアルを作り、真面目に訓練をし、真面目にそれに従って、「硬直した応対」と揶揄されることも覚悟の上で、「当たり前のこと」を粛々と熟すことを続けてきたのだ。そして、恐らく、いや間違いなく震災時にも、こうした書面通りの動きをしたであろう。官僚をマニュアル通りに指示したであろう。そして、その中で腹の据わった何人かの漢が、全ての責任を負う覚悟で、臨機応変な動きをしたであろう。
優秀だから出来る、無能だからダメだという話ではない。緊急事態において、有能無能はほとんど関係がない。それを自民党は党として理解している。だからこそ、遙かに民主党よりはマシな対応が取れたと断言できるのだ。この意味が分からない人達が、相変わらず、この「イカレタ元権力者」を盛り立てているのだろう。吐き気がするほど愚かだ、と言わざるを得ない。その愚かさは、もはや個人の問題ではない。国を危うくし、我々国民を窮地に追い込む愚かさなのだ。