「鎮魂の日」を迎えた。
2年前の3月11日に発生した巨大地震と大津波は、東北を中心とした太平洋岸に未曽有の災禍をもたらした。死者・行方不明は1万8千人を超える。うち2700人近くが今も不明のままだ。
地震が起きた午後2時46分には、黙祷(もくとう)して亡き人々の冥福を祈りたい。残された者の3年目の歩みは、犠牲者の霊前で心をひとつにすることから始まる。
被災地の復興を成し遂げ、必ず襲来する次の巨大地震の被害を最小に抑える。そんな誓いを、かけがえのない家族や友人知人を亡くした人たちと共有したい。
≪ようやく原点に立った≫
この2年、復興の歩みはあまりに遅すぎた。
民主党政権のもと、政治家は保身と権力争いに奔走し、官僚組織の硬直化を招いた。それが被災自治体の手足を縛り、初動を遅らせた。発災当時の首相を起点とする「負の連鎖」といえるだろう。
昨年末の政権交代後、安倍晋三首相は、強い権限を持つ「福島復興再生総局」を新設した。
復興庁の司令塔機能の強化、現地采配の効果が表れるのはこれからだが、復興に取り組む意思と実行力を示し、被災者が前を向く環境に変えた。ようやく「原点」に立った感がある。
「仙台の復興は進んでいると言われるけど、津波をかぶった地域は取り残されたようで…」
仙台で最も被害の大きかった若林区荒浜地区の海岸で、清掃作業をしていた元住民の女性は寂しそうに話した。1年前に比べ、がれきの処理だけは進んだが、普段は訪れる人も少ない。
岩手、宮城、福島の東北3県の自治体では仙台市などを除いて人口減少に歯止めがかからない。仮設や民間の賃貸住宅で避難生活を送る人も31万人以上いて、1年前(約34万人)からそれほど減っていない。原発周辺の福島の被災者は、住み慣れた土地に帰還することすら、まだかなわない。
こうした人々を支えるために、実践すべきことがある。まず風評被害の根絶だ。福島の農水産物は厳格な安全基準と検査を経て、市場に流通している。だが、売れない。放射線に対する拒絶反応が肥大しているからだ。さらに国は、年間1ミリシーベルトまで除染するという非現実的な目標も掲げている。
風評の範囲は東北全県や茨城にも及ぶ。震災がれきの受け入れ拒否も、根っこは同じだ。過剰な自己防衛が被災者を傷つけていることを認識すべきだろう。
大震災直後、海外にまで広がった「絆-つながり」を思い起こしたい。どんな形でも、心をつなぐことが被災者の力になる。
放射線を恐れるな、と言うのではない。被災地の窮状を理解し、「つながり」を拒絶するなと訴えたいのだ。風評被害は偏見から生じた人災である。
≪次の地震に教訓生かせ≫
「3・11」の記憶を引き継ぎ、やがて来る次の巨大地震、津波への備えに生かすことも、大切な、そして誰もができる被災者との「つながり」となる。
東日本大震災では、地震発生から津波の到達までに数十分から1時間程度の時間があった。
安全だと思っていた避難所や渋滞で動けなくなった車の中で、多くの命が濁流にのまれた。「堤防があるから」と自宅にとどまった人もいよう。防災無線で最後まで避難を呼びかけ犠牲になった宮城県南三陸町職員、遠藤未希さんのことを決して忘れまい。
気象庁は今月7日から、新しい津波警報の運用を始めた。大震災を教訓に、津波の規模が過小評価にならないよう改善し、避難行動を強く促すこととした。
しかし住民の避難意識が低下すると、命を守るための警報が「オオカミ少年」的な情報になる恐れがある。システムやマニュアルは、いずれ形骸化する。
今世紀前半に発生する可能性が高い南海トラフ(浅い海溝)の巨大地震は最悪の場合、「東日本大震災を上回る被害が発生し、国難ともいえる巨大災害になる」(中央防災会議)とされる。東日本と同じ海溝型地震で、最大級でなくても津波は起こる。首都直下地震にも備えなくてはならない。
「3・11」の記憶は、列島を今後襲う巨大地震、津波を乗り切るために不可欠な日本の財産だ。一人一人が重い教訓に学び、正しく継承したい。